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【vol.22】鳴海周平の全国ぶらり旅|佐賀県編


 人口87万人。早稲田大学を育てた大隈重信の出身地としても知られる佐賀県は、唐津や伊万里、有田など陶磁器の産地としても有名です。深緑の楠が映える佐賀県を訪れました。

 「遂に邪馬台国の発見か!?」と発見当時大きな話題となった「吉野ヶ里遺跡」は、約600年もの間続いたとされる弥生時代のものと言われています。

 弥生時代に始まった稲作は、それまでの狩猟による生活を一変させてしまうほどの大きな革命だったようです。

 吉野ヶ里歴史公園のガイドさんからいろいろとお話を伺う事が出来ました。

「約600年間続いたと言われる弥生時代の全ての時期における遺物が発見されているのが、ここ吉野ヶ里です。日本の稲作が大きく発展した時代における変化の様子がよく現れているので、たいへん学術的価値の高い遺跡とも言われているんです。

 前期には分散的にムラが誕生したようです。そのムラが集まって少しずつ集落となり、クニへ発展していく様子がわかります。

 中期には大きな壕(ほり)が掘られて、首長を葬った墓地も現れてきました。集落が発展して、防御も厳重になってきた様子が伺えますから、争いも激しくなってきたのではないか、と推測されます。

 後期になると壕はさらに大型化し、その中に特別な空間を作るようになります。この空間には祭殿や物
見やぐらといった大きな建物が作られていて、弥生時代の最盛期にあたるようです。」

 歴史的にも大きな変化のあったこの時代の遺跡を調べると、日本という国を支えている稲作文化の移り変わりの様子がはっきりとわかります。
 
「壕で領地を囲む、という考え方が出てくると、どうしてもその土地を守るための争いとなります。『1粒蒔けば10倍の収穫が出来る魔法の粒・コメ』は、こうした時代の大きな変化と共に日本に根付いていったんですね。

 現時点では、ここ吉野ヶ里が邪馬台国だった、という決定的な証拠は見つかっていませんが、こうした論争もまたひとつのロマンではないかと思います。」

 2001年の開園から260万人の入園者を数えた吉野ヶ里歴史公園は、これからも私たちに歴史のロマンを感じさせ続けてくれることでしょう。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)が「栄えの国よ」と言われたことから地名となった、と言われるほど古い歴史をもつ佐賀には、老舗が多く存在しています。

 明治34年の創業以来100年以上の歴史をもつ丸秀醤油さんもそうした老舗のひとつです。丸秀醤油の5代目当主秀島宣雄さんと、奥様のしのぶさんにお話を伺う事が出来ました。

「私の実家は炭鉱で仕事をしていたので、まったく畑違いの仕事だったんです。30年前ここに嫁ぐまで「醤油」という漢字を書けませんでしたから(笑)。子育てが落ち着いて、18年くらい前から事務を手伝い始めたんですが、最初は何もかもわからない事だらけでした。」

「丸秀醤油は、私で5代目になります。醤油や味噌は、日本人にとって切っても切り離せないものですよね。日本独自の風土や気候といったものが、長い年月をかけて作り出した食文化なんです。だから本来は季節や気温、湿度といった諸条件で味も香りも、熟成度合いもまったく異なってくるんです。ところが最近は、いかに効率良く、いかに均一の品質のものを大量に作るか、という考え方で生産されているものが多いように思います。例えば、大半のメーカーさんが行っているように、原料の大豆を水に何時間浸して、何分蒸煮(蒸し)させ、何日間熟成させる、という管理の仕方では美味しい醤油や味噌は出来ないと思うんです。あくまでも大豆や麹菌など原料の状態を見て判断しなければ、気候や気温が原料に影響する度合いまで微調整出来ません。ですから3ヶ月で醤油が出来てしまう現代において、効率が悪いことはわかっていても2年間という熟成期間をおくことが私たちのこだわりなんです。」

 その土地の風土が、その地域ならではの食文化を形成していることは、よく理解出来ます。醤油や味噌も伝統的な食品であることを考えると、効率的、均一的な生産方法が自然の摂理に合っていないことがわかります。

「醤油や味噌には、麹菌という菌がとても重要な働きをしてくれています。私はこの麹菌が活動しやすい環境を整えてやることが美味しい醤油や味噌を作るコツだと思っているんです。原料の大豆や麦は本来種子ですから、生きているんですね。そうすると何時間水に浸すか、ではなく、種子の状態で浸す時間を変えてあげなくちゃいけないんです。子供を育てるのに、何時に何杯のご飯を食べさせて、おかずはこれとこれで、分量は・・・、なんて考えないですよね。その時の体調や成長の過程でどんどん変わって当たり前です。初代から伝えられているレシピには「蒸す時は、蒸気の色が紫色になったら・・・」とか「ツツジの蜜程度の粘り気になるまで…」という表現で製造方法が書いてあります。「何気圧で何時間蒸し上げる」なんて書いてないんです。やはり機械ではわからない職人の技、勘というものが重要なのではないでしょうか。」

「ここ数年は、消費者の皆さんも随分と敏感になってきているように感じます。私たちの生産方法は100年間ほとんど変わっていませんが、お客様は口コミでどんどん増えています。やはり『自然そのままの味が美味しい』と思うのは皆さん同じなんですね。」

 味見をさせていただいた醤油は、まろやかな風味とコクがあり、しかも後味がさっぱりしていて、本当に自然そのままの熟成された美味しさが実感出来ました。

 山歩きをするのが何よりの楽しみという秀島さんご夫妻。これからも自然の摂理に則った美味しい本物の味を作り続けて、たくさんの皆さんに本物の美味しさを伝えて行ってほしいと思います。

 今回のぶらり旅は、丸秀醤油株式会社様に多大なご協力をいただきました。どうもありがとうございました。

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