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【vol.21】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道江差編


 ナルミの所在地である乙部町から車で約20分のところにある江差町。北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた頃にニシン漁で栄えた商人の街でもあります。
 「江差の五月は江戸にもない」と言われたほど栄えていた当時の様子を今も残している江差町を訪ねました。

 「ようこそいらっしゃいました。寒いですから中へどうぞ。」
 そういって温かく迎えてくれたのは、375年の歴史を誇る嶽浄山正覚院の松村俊昭住職でした。松村住職には、私どもナルミが毎月発行している「月刊ぶんぶん通信」で連載をして頂いており、いつも大変お世話になっています。

 「住職こんにちは。今日は是非住職のお寺と江差の歴史を教えて頂きたいと思って来ました。よろしくお願いします。」

 「江差はとても歴史が古い街です。この寺も松前町の江良から移りきて375年。私で23代目になります。禅寺というのは世襲制ではないのですが、養父に跡継ぎがなかったので私が35歳の時にこの寺をお預かりしたのです。当時私は英語の教師をしていたのですが、突然の出家だったので周りは皆、大変驚いてましたね。」

 正覚院がもつ375年という歴史もさることながら、境内にも歴史的な価値を持つものが数多くあります。玄関を入ってすぐ目につくのは樹齢220年のヒバの棟木。ヒバは樹齢と同じ耐久年数があると言われているそうです。「このお寺の棟木は110年前に伐採したものなので、あと110年はもちますよ。」と教えて頂きました。

「江差の五月は江戸にもない、と言われたほどニシン漁が盛んだったのは江戸末期の頃でしょう。江差への一航海で江戸での1年分の稼ぎをあげることが出来たそうです。近江からもたくさんの商人が出入りしていました。よく『近江商人の跡にはペンペン草も生えない』と言われますが、江差にはたくさんの文化財を残してくれましたね。」

 近江商人の大橋宇兵衛によって建てられた中村家も、町の大切な文化遺産として残されています。

 また江差町はヒバ(ヒノキアスナロ)の産地としても栄え、ニシンの交易と共に町の繁栄に貢献しました。

 しかし明治に入ると札幌や函館といった都市へ政治・経済の中心が移っていき、江差は少しずつ衰退していったそうです。

 「今では人口1万人足らずになってしまいましたが、当時の活況はたいへんなものだったようです。全国的にも有名な江差追分は、この時代に信州中仙道で唄われていた馬子唄がはやり、越後に伝わった舟歌がさらに江差に伝わり、現在の基になったそうです。

 毎年行われる『江差追分全国大会』には全国からたくさんの人が集まってくるんですよ。」

 シーズン中の江差追分会館では、歴代の優勝者や師匠の実演を聞くことが出来る他、地元の師匠達から追分の話を聞くことも出来るそうです。

 「民謡の道は江差追分に始まって江差追分に終わる、と言われているらしいですね。情緒豊かな江差追分は民謡を愛する人にはたまらなく魅力的なものなのでしょう。江差追分をはじめ、この町には本当にたくさんの素晴らしい宝物があります。特に日本海に沈む夕日は何度見ても感動します。こんなに美しくて貴重な景観がある江差という街を後世に残していくために、私は今『古事の森』という計画を推進しています。作家の立松和平さんと一緒に、400年後もこの自然を残していこう、とヒバを植えているんです。江差は全国で10箇所の植樹地の3番目。ちょうど3年経ちましたから、あと397年の育樹と植樹をしなくてはなりません。大ロマンですね(笑)。」

 そう言って楽しそうに笑う松村住職のお言葉に、江差町の明るい未来を垣間見た気がしました。

 なお今回のぶらり旅では、嶽浄山正覚院の松村俊昭住職に多大なるご協力をいただきました。どうもありがとうございました。

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