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【vol.40】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道・小樽編


 ニシン漁で栄え、日本有数の港湾都市として名を馳せた北海道・小樽市。
 今も残る石積みの倉庫や洋風邸宅が開拓時代のロマンを感じさせてくれる冬の小樽を旅してみました。

 かつてニシン漁で栄えた港湾都市・小樽は、北海道でも歴史ある街のひとつ。
 明治時代に本格化した北海道開拓に必要な物資の商港として大きく発展した後、日本で3番目となる鉄道が札幌との間に敷かれます。
こうして流通の要となった小樽には、積荷を保管する木骨石造の倉庫が次々と建ち並びました。
 その中の一つを再生・転用して1983年(昭和58年)にオープンしたのが、小樽を代表する観光スポットでもある北一硝子三号館。
歴史的建造物をそのまま活かした店舗内を歩いていると、百年以上の時を経た今でも当時の様子が伝わってくるようです。

 1901年(明治34年)に創業された小樽を代表する老舗企業・北一硝子の関崎仁さんに、小樽の歴史と北一硝子さんの歩みを伺いました。

「本州の歴史ある土地と比べてみると、小樽の発展史にはとても特徴があります。長い歴史的背景がある本州に比べて、近代になって急速に開けた小樽は、本州からの和の文化と欧米からの洋の文化が同時に入り込みました。それがとてもグローバルな視点で展開したことが建造物などの街並みに影響を与え、小樽という街の魅力となって今も多くの観光客を魅了しているのだと思います。」

 北一硝子さんの前身となる浅原硝子さんは、そうした時代背景のもと、小樽・函館間の鉄道工事が始まる前年に創業されました。
「この年、故郷の九州から北海道へ渡ってきた創業者の浅原久吉は、この地・小樽で石油ランプの製造を始めました。電気が普及していなかった時代の生活必需品ですね。その後、漁業に使用する浮き玉の製造や金魚鉢、薬瓶、お菓子入れの容器なども手掛けるようになり、硝子の需要に応じて規模もだんだん大きくなっていったようです。」

 ところが時代と共に電気が普及し始めると、石油ランプの需要は激減。漁業用の浮き玉や食器などの日常製品もプラスチック製へと変貌を遂げていきました。
 現社長の浅原健蔵さんが1971年に代表へ就任した時は、ガラス製品需要の激減によって経営はたいへんな状態だったそうです。
「社長は心機一転、社名を北一硝子に変更し『ガラスのことならなんでも引き受けます』と言って小樽の街中を歩き回り、必死に経営の建てなおしをおこなっていました。
そうしたある日、ふと『石油ランプにデザイン性をもたせてみたらどうだろう?』と思いついたそうです。さっそく協力工場に製造をお願いして、できた製品を店先に陳列してみたところ、これがとてもよく売れ、口コミや女性雑誌への掲載などで瞬く間に小樽の観光名所になってしまいました。その後食器やグラス、お皿なども手掛けるようになってからは、ますますたくさんのお客様にご来店いただけるようになり、現在は18の店舗や施設を運営させていただいております。」

 もともと「暮らしに密着したガラス製品作り」を理念として経営を続けてきた北一硝子さん。
時代によるライフスタイルの移り変わりと共に、メインとなる製品が暮らしを彩るためのテーブルウェアとなっていったことは自然の流れなのかもしれません。

「私どもは、小樽の歴史や建造物、風土や文化を育んでいる自然を背景にして製品作りをしています。小樽に来てこの街の美しさや趣を感じていただき、お客様の感性に響いた製品をお求めいただきたい。北一硝子が小樽にしか店舗を構えていないのは、そうした理由からなんです。」

 関崎さんの言葉から、地元・小樽への愛情の深さが、そのままガラス製品になっていることを感じました。

 北海道を代表する蒲鉾メーカーの「かま栄」さんもまた、小樽の歴史と共に百年以上の歳月を歩んできた地元を代表する老舗企業です。

「当社の創業は1905年(明治38年)です。ニシン漁が全盛の頃の創業と言うと『蒲鉾はニシンが原料なんですか?』と聞かれるのですが、蒲鉾にはタラやカレイ、グチやスケトウダラなどが主に使用されていて、ニシンを原料にすることはありません。小樽はもともと漁業が盛んなところだったので、きっと蒲鉾の原料となる他の魚も豊富だったのでしょうね。」

 そう教えてくれたのは、株式会社かま栄の山田直幸さん。
 蒲鉾作りの工場を案内していただきながら、原料や製造へのこだわりなどを伺いました。
「当社の蒲鉾は、ワラズカという魚を原料として使用しています。北海道の日本海側に生息する体長50センチほどの魚で、弾力があって淡白な味わいのため蒲鉾にとても適しているんです。揚げ蒲鉾には米国産のスケトウダラを使用していますが、こちらも油で揚げるとちょうどよい弾力になります。

 魚肉は塩と一緒にすりつぶされることで、たんぱく質が溶け出し網目状に絡み合います。蒲鉾独特のしなやかな弾力は、加熱をすることでこの網目構造が強化されるからなんですよ。」

 厳選した食材を使用しているため、自然そのままの歯応えが素材の味の良さをいっそう引き立ててくれるとのこと。
こうしたこだわりの経営方針が評判となり、昭和36年には天皇陛下が実際に蒲鉾作りのご体験に訪れたこともあるそうです。

「品質と鮮度にこだわった選りすぐりの魚肉を『水さらし』して擂りつぶすところから、練り上げ、熟練の技を要する成形、蒸す・焼く・揚げるといった加熱、パッケージングに至るまでの全工程を自社工場内でおこなうため、すべてがこだわりの自社商品です。」

 物産展でも行列ができるほどの人気を誇るかま栄さんには、全国から卸売りの要望が多数寄せられるそうですが「多品種少量生産で最高品質の蒲鉾にこだわり、地元の方々から喜んでいただきたい」という想いから、販売は直売店のみに限定しています。
「新鮮な原料を確保して、熟練の技を要する生産工程にこだわると、最高の品質を保てる量には限界があるんです。」

 毎朝工場での試食を欠かさないという佐藤公亮社長の経営姿勢からも、商品に対するこだわりと愛情が伝わってきます。

「小樽を訪れた方々が、この街の文化や風土と共に『かま栄の蒲鉾』を良い想い出のひとつとしていただけたら、これほど嬉しいことはありません。この地域に育てていただいたことへ、少しでも恩返しができればと思っています。」

「地域への愛情と感謝」。
 北一硝子さんとかま栄さんという小樽を代表する老舗から、長い間多くの人達に愛され続けている理由を教えていただけたように思いました。
 今回のぶらり旅にあたって株式会社北一硝子様、北一ヴェネツィア美術館様、株式会社かま栄様に多大なる御協力をいただきました。

 どうもありがとうございました。
「小樽を訪れた方々が、この街の文化や風土と共に『かま栄の蒲鉾』を良い想い出のひとつとしていただけたら、これほど嬉しいことはありません。この地域に育てていただいたことへ、少しでも恩返しができればと思っています。」

「地域への愛情と感謝」。
 北一硝子さんとかま栄さんという小樽を代表する老舗から、長い間多くの人達に愛され続けている理由を教えていただけたように思いました。
 今回のぶらり旅にあたって株式会社北一硝子様、北一ヴェネツィア美術館様、株式会社かま栄様に多大なる御協力をいただきました。

 どうもありがとうございました。

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