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【vol.41】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道 江別編


 国内唯一の平野原生林が茂る、札幌の隣町・江別市。
 初夏の風が心地良い5月下旬に、緑とれんがの街・江別市を訪れてみました。

「緑とれんがの街」と呼ばれている北海道・江別市。

「緑の街」の理由は、国内唯一の平野原生林が茂っている「野幌森林公園」があることからきているようです。

 明治4年に宮城県から渡ってきた21戸76人の農民が最初の「江別市民」となった後、各地からやってきた屯田兵によって本格的な開拓が進められましたが、この原生林は「野幌林業試験場の試験林」として、ほとんど手つかずのまま現在に至っています。

 もうひとつの呼び名である「れんがの街」の理由は、明治24年に始まったと言われている「れんが生産」に由来しています。

 地場産業として市民の生活を支えながら、文化的にも大きな影響を与えてきた「れんが」は、今も残る歴史的建造物やバスの待合所、電話ボックスなどにも幅広く活用され、江別市内のいたるとこで土のぬくもりを感じることができます。

 この江別市の「れんが」を模った名物菓子が「煉化もち」。明治34年から広く親しまれてきた江別銘菓です。

「れんがの形をしているから『煉化もち』。わかりやすい名前ですよね(笑)。」

 そう言って笑顔で迎えてくれたのは「煉化餅本舗」社長の菊田安秀さん。

 今年で110年目を迎えるという「煉化もち」の歴史について、お話を伺うことができました。

「もともとこのお菓子は、煉瓦工場を営んでいた方が『煉瓦の製法』にヒントを得て考案したものなんです。餅作りはふつう餅米を蒸して作りますよね。でも『煉化もち』は、煉瓦の製法を再現しているので一度粉にしてから蒸すんです。そうすることで形が煉瓦のように四角く揃えられ、独特の歯応えになるんですよ。」

 きれいな長方形が規則正しく並んでいる様子は、まさに職人が積んだ煉瓦のようです。

「煉化もちという名前は『瓦は食べられぬが、瓦が化けたら食べることができるのではないか』と考案者の久保兵太郎が名付けたそうです。なかなかシャレがきいていますよね(笑)。」

 こうして、石川啄木の作品「雪中行」にも登場するほどの銘菓となった「煉化もち」でしたが、昭和50年代には、製造元に後継ぎがいないなどの問題から、一時的に休業を余儀なくされたそうです。

 その頃、菊田さんの家業は市内の野幌駅前にお店を構えている洋菓子店でした。

「店が駅前だったこともあり『煉化もちは、もう買えないのですか?』と言ってずいぶん多くの方が訪ねて来られました。今は休業していることを伝えると、皆さんとても寂しそうにして帰っていかれます。その姿を見て、店主だった父は『地元のためにも何とか再開できないものか』と言って、煉化もちの職人さんを何度も訪ね、お願いをしました。」

 熱意が通じ、平成5年「煉化もち」は無事再開を果たします。

 製菓専門学校を卒業後、札幌市内の洋菓子店に勤務していた菊田さんは、この再開を機に家業を後継。「煉化もち」の製造に携わることとなりました。

「シンプルなお菓子なだけに、ごまかしがいっさいききません。創業当初からのレシピである『北海道産の餅米と小豆、ザラメ』という原料にこだわっているため、どうしても原価が高くなってしまいますが、昔からの変わらない味を伝えていくことが、もっとも大切だと思っています。」

 江別の歴史を今に伝えながら、隣接する工場で一つ一つ手作りされている煉化餅本舗のこだわりのお菓子。

「変わらないものを作り続けていくことがもっとも大切」という菊田さんの言葉に、長く愛され続けている秘訣を教えていだきました。

 野幌森林公園という広大な緑と、土のぬくもり感じられるれんがの街・江別市。

 今回も素敵なご縁をいただき、感謝いっぱいの旅となりました。

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