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【vol.18】こころとからだの健康タイム|ゲスト 日高 晤郎さん


 毎週土曜日午前8時から午後5時まで、北海道STVラジオで放送されている人気番組「日高晤郎ショー」は今年で21年目を迎えます。聴取率は常にトップ。毎週笑いと涙と感動を伝えているこの番組は、多くの人達に生きる希望と元気を与えてくれています。
 今回は日高晤郎さんに「こころとからだの健康」についてお話を伺いました。

鳴海周平(以下鳴海) 晤郎さんの番組を聴いていると、とても元気になるんです。9時間という生放送を、毎週21年間も続けているというのは、たいへんなことだと思いますが、その原動力というのは何でしょうか?

日高晤郎さん(以下日高) 僕が小さい頃の話ですが、両親の仲があまりよくなかったんです。いつもケンカばかりしててね。子供ってそういうの、嫌じゃないですか。ところがある日、たまたまラジオから流れてきた落語で、家族みんなで笑うことがあった。その時の気持ちっていうのは、今までに経験したことがないくらい幸せなものだったんですね。だからラジオと笑い、感動っていうのは、僕の中ではとても大切なものなんです。自分が感じたあの幸せな気持ちを味わってもらえている、喜んでくれている人がいる、っていうのが僕を21年間こうして走らせているんじゃないかな。

鳴海 健康ということにおいても「笑い」というのは本当に大切な要素だと思います。事実、落語や漫才などで意識的に患者さんを笑わせるという治療を行っている病院では、信じられないほどの効果があがっているようです。特に免疫機能が大幅にアップするというのは、様々なデータからも明らかになっています。晤郎さんが良くおっしゃる「良く笑えた日は佳い1日だ」という言葉は、まさに名言ですね。

日高 僕が「笑い」ということを特別に意識するきっかけになったことが、もうひとつあるんです。9つでいまの家に貰われてきた時に、向かいに時計屋さんがあって、ここのおっちゃんがね、僕にいつも言ってくれたんですよ。「笑ろうてや、笑らわなあかんで。笑えよ!新ちゃん(本名)の笑ろてる顔はええ顔や!」って。この言葉はずっと心の中にあってね、何か辛いことがあっても「そうだ、オレは笑顔がいいって誉められたじゃないか、よし、何でも笑ってやろう」っていうエネルギーに変えることが出来たんです。
私がこの「日高晤郎ショー」という番組と出逢ったのは40歳になってからなんです。16歳の時に大映に入ってから、翌年役者としてデビューして、23歳の時に今度は歌手としてレコードデビューしました。それからギターの弾き語りを10年以上して、生きてきた。もう、食うや食わずの毎日ですよ。それでもそういう時代を20年以上も続けて来れたのは「何でも笑いというエネルギーに変えてやるんだ」という気持ちと、「いつかこの体験が活かせる時が来る」という想いがあったからじゃないでしょうか。だから、「笑う」ということのもつ素晴らしい力を多くの方にお伝えしたい、という気持ちが強くあるんですね。

鳴海 晤郎さんのラジオを聴いていると、何気ない一言がとても重みをもって響いてくる気がするんです。この「重み」は、きっとそうした食うや食わずの時代に培った経験が活きているのでしょうね。

日高 僕の場合は何でもとにかく一生懸命やってきた、という自負はあります。例えば銀座や四谷あたりで弾き語りをやっていた時は、いかにお客さんを楽しませるかを考えた。それで6時半くらいから始まるステージに合わせて夕刊を読んだり、ラジオを聴いたりするんです。そしてニュースや野球の状況なんかを即興で弾き語りにしちゃう。これはもう大うけでしたね。だから当時、あの界隈では僕が一番客をもってた弾き語りじゃないかな。経験を重ねていくことで説得力も出てくるしね。だから経験を重ねていくこと、歳を重ねていくことがとても楽しみだった。「長生きも芸のうち」って言った芸人さんもいるけど、確かにそういった面はあるな、って思いますね。

鳴海 自分は晤郎さんと出遭って「歳を重ねていく」ということがとても楽しみになったんです。歳を重ねることで得られることってたくさんあるんじゃないか、って思えるようになりました。

日高 渡辺文雄さんが山形に行った時に出逢ったおばあちゃん、もう80は越えてるぐらいのその方に「何か楽しいことは?」って訊いたら、「もう、楽しいことがいっぱいだ。私は昔はね、暗い所が嫌いで明るい所の方が好きだった。ところがこの歳になるとね、暗い所も明るい所と同じように好きです。歳はとってみるもんですね。」って言ったんだそうです。「歳を重ねる」ことについてそんな肯定的な考え方が出来たら素敵なことですよ。「歳はとってみるもんだ」って思うか「歳はヤダね」って思うかの違いってとても大きいと思うんです。僕が売れなかった時代についても、僕は「売れなかった幸運」と言ってます。だってどこかで売れてたら、こんなに素敵な番組に出逢うことが出来なかったわけですから。本当に自分ってラッキーだったな、って思える自分もまた幸せだな、と思いますね。幸せだな、って感じることが上手な人は、本当に健康です。心身ともに健康でいられるコツは「幸せ感じ上手」っていうことじゃないですかね。

鳴海 「幸せ感じ上手」っていい言葉ですね。他にもこころとからだの健康について、晤郎さんがふだんから心がけていらっしゃることはありますか?

日高 「学ぶという気持ち」も大切かもしれません。僕は好奇心が旺盛なので、学ぶことに関してもかなり貪欲なんです。週に1度の放送で紹介するために、最低でも本は5冊、DVDも5本は観ています。僕自身が好奇心をもって楽しんでいる様子をそのまま楽しんでいただく、というのが番組の考え方の中にありますから。古今亭志ん朝が弟子に「噺家(はなしか)は歩きながら貯金できる」って言ったことがあるらしいですが、我々芸人にとっては、日常のすべてのことが噺のネタになるんです。だからどんなことにも好奇心をもっているというのは特に大切なことなんですね。6代目尾上菊五郎は「まだ足りぬ、踊り踊りてあの世まで」という辞世の句を詠んでいます。生涯踊り続けた人が、最後までこう言っていたといいますから。生涯現役の芸人であり続けるために、僕はこうした好奇心と向上心を常に持ち続けていきたいと思っている。それが健康にも良い影響を与えていることは確かじゃないですかね。

鳴海 いつまでも「学ぶ」という姿勢がある人は確かに若いし、輝いています。晤郎さんのそうした好奇心と向上心が、「日高晤郎ショー」を作り上げているわけですね。だから毎週新しい情報を、様々な切り口でとりあげていくことが出来る。

日高 同じことで笑ったり、話し合ったり出来る家族、夫婦、仲間っていいですよね。とても幸せなことだと思うんです。「日高晤郎ショー」が、そういうひとつのきっかけになってくれたら、こんなに嬉しいことはないですね。

鳴海 晤郎さんの番組を通じて、「幸せ感じ上手」になってくれる人達がもっとたくさん広がっていくといいですね。今日はどうもありがとうございました。


日高 晤郎 プロフィール

昭和19年2月28日生まれ
昭和35年  大映京都撮影所演技研究所に入所
昭和36年  「江戸へ百七十里」で師・市川雷蔵の相手役でデビュー
昭和40年  大映を退社し上京。数々のTV映画にゲスト出演
昭和42年  クラウン・レコードから「流れ者小唄」でデビュー。声優として、洋画の吹き替えで「007ゴールドフィンガー」「ロシアより愛を込めて」のショーンコネリー役や、 チャールズブロンソン、ポールニューマンなどの声もつとめたことがある
昭和58年  STVラジオでの3時間枠で「日高晤郎ショー」スタート、翌年から現在の9時間放送になる
著書に「日々幸せ感じ上手」「言葉のビタミン」(共に中西出版)などがある

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