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【vol.70】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 藤平 信一 さん・前編


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 スポーツやビジネス、家庭、教育など様々な分野での応用が可能なことから「生活のなかの合氣道」とも呼ばれ、世界24カ国で3万人の門下生が学んでいる心身統一合氣道。
 会長の藤平信一さんに、心身統一合氣道の成り立ちや、幼少の頃の想い出などについてお話を伺いました。

 

鳴海周平(以下、鳴海)
 信一先生とは、2 0 0 3 年に栃木県の本部道場を訪ねてからのお付き合いです。当時は、先代の藤平光一先生がご健在で、信一先生が門下生に指導している様子をニコニコしながらご覧になっていたのが、とても印象に残っています。

藤平信一さん(以下、藤平)
 懐かしいですね。私が先代からこの道を継承したのが2007年ですから、鳴海さんがお越しになった時は、まだ先代が時々、私の指導の様子を見てくれていました。あの時も背中に相当なプレッシャーを感じながら指導させて頂いたことを覚えています(笑)。

氣は誰もが持っているもので、誰もが活用できるもの

 
藤平 心身統一合氣道は、師匠であり、父でもある先代の藤平光一によって創見された武道です。
「武道」と言うと「格闘技」のように、いかに相手を倒すかを目的にしているように思っている方も多いのですが、本来は学ぶ目的が異なります。「武道」は「戈を止める道」と書きます。戈は武器のことですから、いかに相手と争わないかが武道の主な目的なんですね。「争わない」とは、自分のなかに争う心を起こさないことであり、相手にも争う心を起こさせないことでもあるんです。

鳴海 そのためには、身体の鍛錬と共に、心の学びも必要になりますね。

藤平 はい、身体と心はひとつですから、「身体」を使った「技」を通じて「心」の働きを学ぶことができます。この関係を表現している言葉が「心身一如」であり「心・技・体」ですね。そして、その土台となるのが「氣」です。「氣」が出ている状態になると、心も身体も自由につかえるようになります。

鳴海 スポーツ選手や芸術関係の方、経営者、教育関係者など、幅広い分野の方々が心身統一合氣道を学んでいる理由ですね。

藤平 心と身体が自由につかえるようになることは、どんな分野においても重要です。先代の藤平光一は3人の師から学びました。
 幕末の政治家・思想家であり、剣や禅の達人としても知られた山岡鉄舟翁の教えを説いた小倉鉄樹師、「合気道の開祖」である植芝盛平師、「心と身体の関係」を説いた中村天風師です。偉大な師匠から学んだことに、自らの戦地での体験や厳しい修行の末に体得したことをまとめて、体系化したものが心身統一合氣道なのです。

鳴海 御三方とも、その時代に大きな影響を与えた人物ですね。

藤平 なかでも、合氣道の普及は、先代にとって長く生活の中心でした。戦後間もなく、単身でアメリカへ渡った時には、現地のレスラーなどを相手に連日デモンストレーションを行なったそうですが、160㎝そこそこの日本人が身体の大きな外国人を軽々と投げ飛ばしていく様子は、大いに関心を集めたそうです。こうして、目の前で「氣」の力を見せたあと、「氣は誰もが持っているもので、誰もが活用できるものです。合氣道は、その氣を学ぶためのものです」という説明に入るわけです。

鳴海 ハワイでは、島でいちばん強いといわれるプロレスの選手や柔道の有段者を現地の人に集めてもらって、彼らを次々に投げ飛ばしたり、押さえたりしたら、あっという間に入門者が増えたそうですね。アメリカでも、次々とお弟子さんが増えていった理由がよくわかります。

藤平 こうして合氣道の普及をする生活が続いていましたが、植芝盛平師がご逝去された後、後継者との間に稽古の目的の違いが生じたため、苦渋の決断の末に「心身統一合氣道」を創見することになりました。

鳴海 「心身統一合氣道」創見後は、プロ野球の選手たちが藤平光一先生に弟子入りしたことが話題になりましたね。とくに巨人軍の広岡達朗さん、王貞治さんは、とても熱心に通われていたと伺いました。

藤平 長嶋茂雄さんもいらっしゃっていたそうですし、当時のアルバムには阪神や近鉄の選手もたくさん写っています。王さんとは、対談をさせていただいたことがありますが、「僕の一本足打法に盤石の土台を与えてくれたのが藤平光一先生の心身統一合氣道です」とおっしゃっていました。とくに「動の中の静」を体得できたことが大きかったそうです。
 1 を2 分の1 にしても、そのもの自体は1。これを無限に2分の1にしていってもゼロにはなりません。藤平光一は、これを「無限小の1」と表現していました。そして、この「無限に小なるものの、無限の集まりを総称したものが『氣』である」と。
 すべてのものは常に動いているけれども、その動きを無限に2分の1にしていった先に「静止」という、無限に詰めていった「動の極地」がある。王さんがおっしゃっていたのは、そういうことなのではないかと思います。

鳴海 だから「停止」ではなく「静止」なんですね。光一先生が「心が静まっていれば、相手の心が映るようにわかる。それは、静まっている湖面が、月を月として映し、鳥を鳥として映すことと同じである」とおっしゃっていたことにも通じているように思います。

正しいことには、普遍性と再現性がある

 
鳴海 光一先生のご著書には「疑り深い広岡達朗選手は最初は信用していなかった」とも書いていましたね(笑)。

藤平 そうなんです(笑)。ただ、広岡さんの場合は「ただ疑うのではなく、自分の目で確かめていいものならどんどん取り入れていこうとする姿勢がある。理論的で、凝り性なだけに、探究心も強い」とも書いているんです。じつは、私も広岡さんのお考えに近いところがあって、先代から、よく「お前は難しい言葉ばかり使う」と言われていました(笑)。
 理系だった私は、世の中の「怪しそうに見えるもの」全般に拒絶反応がありました。「科学で証明されないことは信じない」と思っていましたから、「氣というものがある」という前提で学ぶことが、どうしてもできなかったんです。
 そんな私が氣を学び続けられたのは、先代の「正しいことには普遍性と再現性がある」という言葉があったからです。「普遍性」とは、誰でもできるということ。「再現性」とは、同じ条件下であれば何度でもできるということです。ですから、私は自分自身で実践して検証するということを「氣」を学ぶ基本姿勢にしてきました。

鳴海 だから、信一先生のお話は腑に落ちるんですね。

藤平 私は2歳から心身統一合氣道の稽古を始めて、大学を卒業するタイミングでこの道の継承者を目指すことを決めました。この時から、藤平光一との関係は親子から師弟に変わったわけですが、最後まで理屈っぽい弟子だと思われていたかもしれません(笑)。

すべてが学びにつながっている

 
藤平 私は藤平光一が53歳のときの息子ですが、感情的に叱られた記憶がありません。
 小さい頃、いつも脱いだ履物を揃えられない私に、母は常に腹を立てていました。その様子をみていた父が、ある日「よし!自分に任せなさい」と言って、私の履物指導係になったんです。初めは、どれだけ厳しく叱られるのかと警戒していたのですが、いっこうに叱る素振りがないので、安心してまた脱ぎっぱなしにしていました。すると、その度に父はニコニコしながら私を呼んで、「一緒にやろう」と履物を揃えます。私はすぐに忘れて、また脱ぎ散らかすのですが、その都度呼ばれて、また一緒に揃えます。そんなことをいったい何百回繰り返したでしょうか(笑)。そのうちに、私は履物を自然と揃えるようになっていました。

鳴海 何百回は凄い(笑)。「ニコニコしながら」というのが、ひとつのポイントですね。

藤平 そうなんです。「叱るぞ」という氣を父が発していたら、私は抵抗していたでしょう。笑顔はプラスの氣を発するので、自然に受け入れられたのだと思います。
 こんなふうに父は、習慣になるまで「繰り返す」ことで、無意識という「心の倉庫」に入れることを徹底して教えてくれました。「意識しているうちは半人前で、無意識でもできるようになって初めて役に立つ」ということもよく言っていましたね。

鳴海 信一先生は、大学を卒業して継承者として歩むことを決めてから、光一先生へ「内弟子」として、あらためて入門したそうですね。

藤平 はい、このときに「いいか、よく聞け。これからは師弟であり親子ではない」と言われて、この道の継承者として歩むことの重さをあらためて感じました。
 内弟子になって最初に教わったのは道場と周辺の清掃です。内弟子になったら稽古の時間が増えるだろうと思っていたら、清掃ばかりで逆に減ってしまいました。初めのうちは、その意味がよくわからなかったのですが、毎日清掃を続けているうちに、それまでは見逃していたような細かなことまで氣がつくようになっていたんです。それは、稽古の中にも知らずに活かされていたようで、技の細かなところまで意識がいくようになりました。
「内弟子修行においては、好むと好まざるとにかかわらず、目の前のことを全力でやれ」と言われていたのは、すべてが学びにつながっている、という教えだったのだと思います。

鳴海 内弟子だからこそ、ふだんの稽古だけでは氣づかないことに氣づける機会もあるのでしょうね。
「内弟子」という制度は、目先のことにとらわれるのではなく、長いスパンで物ごとを捉える視点も養ってくれるのかもしれません。

藤平 そうですね。本当にいろいろなことを教えてくれた父であり、師でした。
 藤平光一は、2011年5月19日に91歳で天寿を全うしましたが、亡くなる前に私を傍に呼んで「儂が死んだ後、いかに立派であったかなどと絶対に口にするな。儂が立派であったかどうかは、弟子であるお前たちの行動によって決まるのだから」と言いました。
 この言葉もまた「一生涯修行」という、長いスパンのテーマを与えてくれたのだと思っています。

 
 次号の後編では、氣を日常生活に活かす実践例などをご紹介します。
どうぞお楽しみに!!

 

藤平 信一さん プロフィール

心身統一合氣道継承者。一般社団法人心身統一合氣道会会長。
慶應義塾大学非常勤講師。
1973年東京生まれ。東京工業大学生命理工学部卒業。
父・藤平光一より心身統一合氣道を継承し、世界24カ国、
約3万人の門下生に心身統一合氣道を指導、普及に務めている。
米国・大リーグのロサンゼルス・ドジャースやサンディエゴ・パドレスの
若手有望選手・コーチを指導するほか、経営者、リーダー、アスリート、
アーティストなどを対象とした講習、講演会、企業研修などもおこなう。
著書に『心と身体のパフォーマンスを最大化する「氣」の力』
『「氣」が人を育てる』『「氣」の道場』( いずれもワニブックス[PLUS]新書)
『一流の人が学ぶ氣の力』(講談社)王貞治氏、広岡達朗氏との共著『動じない』
(幻冬舎)などがある。

 

 

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