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【vol.68】こころとからだの健幸タイム|ゲスト おすぎ さん・前編


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 映画評論家として、テレビやラジオなど多方面で活躍の場を広げているおすぎさん。
 エヌ・ピュア情報誌・ぶんぶん通信に連載いただいている「名画のすゝめ」紹介作品が累計100本となったことを記念して、これまでの名画を振り返りつつ、おすぎさんの仕事観や健康観、人生観についてお話を伺いました。

 

鳴海周平(以下、鳴海)
 いつも「ぶんぶん通信」への連載ありがとうございます。

おすぎさん(以下、敬称略)
 鳴海さんとも、長い付き合いね。もう15年くらいかしら?

鳴海 この対談コーナーにご出演いただいたのが2006年なので13年目になりますが、おすぎさんは本当に変わらないですね。今日は、その若さの秘訣もたっぷり教えてください。

おすぎ 74歳にしては若いでしょ?鳴海さんは、いくつになったの?

鳴海 48歳になりました。

おすぎ あら、歳相応ね(笑)
 この歳にしちゃ、動いてる方だと思うわよ。今日(水曜日)と明日は東京で映画の試写を観たり、ラジオの収録をしたり。金曜日は福岡へ戻って夕方に番組の打ち合わせがあるのね。土曜日は大分へ行って、日曜日はラジオに5時間出て、月曜日は午前中にテレビが3本、午後から3時間のラジオ、火曜日はロケとかラジオが入ってる。歳とってる暇がないのよ(笑)74歳になっても仕事があるって、本当にありがたいことだと思うわ。

鳴海 それも、余人をもって替えがたい仕事ばかりですからね。

おすぎ 余人をもって替えがたいのは、ピーコもそうかもね( 笑)私たちが昭和20年生まれで、横浜育ちということも、人格形成に大きく影響しているんじゃないかしら。

映画好きは、両親からの影響

 
おすぎ 物心ついた頃には、すでに「オネエ言葉」だったけど、アメリカのポピュラー音楽が流れて、米兵や娼婦が溢れていた街だから、他人のことにいちいち干渉しないのね。それに、戦前の教育はすべて「悪」、アメリカ人が持ってきた「民主主義」が絶対という風潮だったから双子のおかま」も、すくすく育っていったというわけ( 笑)。両親も、乱暴な男の子になるよりはいい、っていう感じだったし。

鳴海 映画の魅力に目覚めたのも、ご両親の影響でしたよね。

おすぎ 父も母も映画が大好きで、3歳の頃からよく映画館に連れて行かれたの。父は洋画、母は邦画が好きだったから、どちらにも触れる機会があったのね。当時は30円で3本立て、5本立てといった上映がほとんどで、どの映画館も常に満席状態。父が肩車をして観せてくれたのを覚えてます。

 でも、まっすぐ映画関係の仕事に就いたわけじゃなくて、不動産とか倉庫業とか、家電工場に勤めたりもしたのよ。その頃は、あまりの仕事のきつさに毎晩泣いていたらしくて…あ、らしくて、というのは、自分でははっきり覚えていないんだけど、あんまり泣くから、ピーコが両親に相談したんですって。それで、会社を辞めて、心機一転、ガス会社の臨時職員として働きながら、デザイン学校に通うことになったんです。

 そこを卒業してから勤めた広告代理店で、ある大学生に恋をして、軽井沢まで「駆け落ち」したこともあったわね…でも、彼との別れで「何か」が落ちたみたいになって、会社を辞めて、フリーとして生きる決心をしたの。すると、不思議なもので、映画批評を書く仕事が入ったり、ラジオで話す機会をいただいたり、と今につながる流れになっていったんです。

鳴海 ちょっと話を伺っただけでも、お腹いっぱいになるくらいの人生経験ですね(笑)

おすぎ ラジオは「オールナイトニッポン」第二部っていう番組で、クラブのバーテンと掛け持ちしながらの出演だったんだけど、お店に大島渚監督が来てくれた時は驚いたわね。この時のご縁で『愛の亡霊』っていう映画で藤竜也さんと共演させてもらって、いちおう役者としてもデビューしてるのよ。試写以来、観るのが怖くて観ていないんだけど(笑)

 この頃は映画を年間600本観ていて、映画評の記事を書いたり、ラジオで話したりする機会がどんどん増えた時期。周りの人たちが20代で社会人として独り立ちしていた中で、30歳にしてやっと自立していける目処がついたの。

鳴海 なんでも「機が熟する」タイミングってありますよね。

おすぎ そうそう、だから人生何ごともあまり急ぐことはないのよ。目の前のことに出来る限りのことをしていたら、必要な出会いや出来ごとが良いタイミングで来てくれるんじゃないかしら。

おすぎ流「仕事観」

 
おすぎ 私の場合、「出来る限りのこと」の指標になったのが、淀川(長治)さんの言葉ね。

「映画評論家になりたいなら、映画だけを観るのではなく、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、オペラも、大衆演劇も、落語も、浪曲も、演劇も、宝塚も、レビューも、皆、観なければいけない」

 この言葉を意識するだけでも、驚くほど興味の対象が広がったの。いろんなものを観ていると、もちろん感性も豊かになるし、自分なりの軸というか、判断基準ができてくる。すると、いっそう「面白い」と感じられるようになって、ますます深く学びたくなるのね。

鳴海 好奇心旺盛な人は歳をとらない、とはよく言われるところです。今日の課題「若さの秘訣」を、先ずは一つ教えていただきました。

おすぎ 何にでも好奇心旺盛といえば、デビューが同時期のタモリさんもそう。『笑っていいとも!』には、ピーコと一緒に長らく出させてもらったけど、デビューしたての頃は、大阪のホテルの一室で仲間5〜6人と真っ裸になって踊りまくったり、そのままの格好で廊下の突き当たりまで全力で走って戻ってくる、なんてこともやったわね。こんなくだらない遊びも、仕事と同じくらい本氣でやるのがタモリさんの凄いところだと思うわ(笑)

鳴海 おすぎさんもタモリさんも、一流の仕事人は何でも全力なんですね(笑)
 おすぎさんは、仕事をするうえで何か心がけていることはありますか?

おすぎ ここ数年、東京での仕事はあまりしていなくて、福岡のテレビやラジオがメインなのね。というのも、最近のキー局は、同じタレントが、同じような内容のことをやっている番組ばっかりで、本当につまらないと思うのよ。その点、地方局は限られた時間と予算の中で、いかに有効にタレントを使って、いかによい番組を作るか、ということに本氣で取り組んでくれるから、こちらもやりがいがあるわけ。番組に対して責任がとれる立場にいて、やりたいことを自由にやらせてもらっている、要は自分の存在感を感じられることが、仕事の面白さにつながっているんじゃないかしら。若い時みたいに躍起となって仕事をしているわけじゃないけど、必要とされていることを感じながら仕事ができるって、本当に幸せなことよね。

 だから、仕事をするうえで心がけていることをあえて挙げるとしたら、自分のスタイルを大切にするということかしら。そのスタイルが何なのかに氣づくためにも、淀川さんが言ってくれたように「様々なことに触れてみる」ことで感性が豊かになるように思うわね。

名画との出会いは人生の宝

おすぎ 映画を観ることも、もちろん感性を豊かにしてくれます。でも、駄作じゃダメよ(笑)。

 最近の若い人たちは、モノクロ映画を観ない、っていう話を聞いたことがあって、その理由が「何か損をしたみたいな氣がする」んですって。な〜にをバカなこと言ってんのよ! って感じよね。そんなこと言ったら、名だたる名画の数々が全然観られないじゃないのよ。

鳴海 僕に怒られても…(笑)
 そういえば、モノクロの映画のはずが、残っている記憶の印象はカラーだったりすることがありますね。

おすぎ そう!それなのよ。無意識のうちにも「自分だったら、どんな色を想像するか」っていう楽しみ方をしているのよね。想像の世界で、その映画の奥行きをイメージできるところにもモノクロ映画の美しさ、素晴らしさがあるんです。

 今の映画もたしかに素晴らしい作品はあるんだけど、モノクロ映画の時代って、映画が唯一の娯楽と言っていいほどだったから、制作する側も氣合の入った人たちが多かったのね。それに、CGとか特撮の技術がないから、時間と手間をかけて丁寧に作られたものが多いのよ。「ぶんぶん通信」で毎回紹介しているそうした昔の映画は、ほとんどレンタルでも観られるものばかりだから、ぜひ名画に触れる機会にしてほしいですね。

鳴海 「ぶんぶん通信」で紹介していただく映画は、僕も必ず観せてもらっていますが、おすぎさんが教えてくれなければ、その存在さえ知らなかったような作品もあるんです。だから、こうして名画に触れる機会を定期的にいただけることは、本当にありがたいことだと思います。

おすぎ そんなふうに言っていただけたら、映画評論家冥利に尽きます(笑)。

 いくら映画が好きな人でも、一生のうちに観られる映画には限界があるし、ましてや「よかった!」って思える名画との出会いは、ほんの僅かだと思うのね。

 私は今でも年間200本近い映画を観るんだけど、そのうち「いいなぁ」って思えるのは10本くらい。だから、鳴海さんのように、私のコメントが「いい映画」との出会いのきっかけになってくれたら、こんなに嬉しいことはないわよね。

 名画が育んでくれる感性は、間違いなく人生の彩りを豊かにしてくれるんじゃないかしら。
 
 豊かな感性を育んでくれる「名画」との出会い。
 今号の「ぶんぶん通信・名画のすゝめ」では、おすぎさんに伺った「生涯で観ておきたい名画10選」をご紹介しています。どうぞお楽しみくださいませ。

次号の後編では、おすぎさんの健幸観、人生観などについて伺います。どうぞお楽しみに!!

 

おすぎさん プロフィール

1945年 神奈川県横浜市生まれ。
阿佐ヶ谷美術学園デザイン専門部卒業後、デザイナーを経て
「歌舞伎座テレビ室」製作部に勤務。
1976年 ニッポン放送「オールナイトニッポン」で映画評論家として
デビュー以来、テレビやラジオへの出演、新聞・雑誌への執筆、
トークショー開催など多岐にわたって活躍している。
いまニッポンでいちばん信頼されている『劇場勧誘員』。
著書に「おすぎです 映画を観ない女はバカになる!」(主婦と生活社)、
「バカ!バカ!バカ!」(ぺんぎん書房)、「愛の十三夜日記」(ダイヤモンド社)、
「おすぎのネコっかぶり」(集英社文庫)などがある。
 

 

 

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