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【vol.66】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 宮下 周平 さん・前編


kenkou66

 1983年に全国的にも草分け的存在として知られる自然食品の店「まほろば」を創業。「0 -1テスト」という独自の方法を用い、世界の権威を驚愕させた浄水器・エリクサーの開発者でもある宮下周平さんに「まほろば」創業に至るまでのお話を伺いました。
 

鳴海周平(以下、鳴海)
 まほろばさんに初めて伺ったのは2004年の初夏でした。その時、宮下さんに「同じ『周平』どうし、仲良くやりましょう!」と声をかけていただいてから、本当にずっと仲良くしていただいています。

宮下周平さん(以下、宮下)
 お名前を聞いた瞬間から、なんだか他人のような氣がしなくて(笑)

鳴海 ありがとうございます(笑)。宮下さんが創業された「まほろば」さんは、自然食品店の草分け的な存在としても有名で、商品の仕入れや開発に、独自の判断基準である「0 -1テスト」を用いていることでも知られています。先ずは、この0 -1テストがどのようにして確立されたのか、というところからお話を聞かせていただけますか?

宮下 0 -1テストの原型である「バイデジタルO -リングテスト」と出会ったのは、今から40年ほど前です。それまでも、食についてはそれなりに学んできたつもりでしたが、「自己の生理反応を通して、内なる本能の声を聴き取る」というメソッドに、とても心惹かれました。というのも、その頃学んでいた「玄米菜食」で「白米は粕だから人が本来食べるものではない」と教えられていたのですが、どうも体調が思わしくなかったんですね。O -リングテストをやってみると、玄米にマイナス反応が出る。「そんなはずはない」と思いながらも「内なる本能の声」のままに白米を摂るようにしたら、どんどん元氣になったんです。その時に「この世に絶対はなく、皆相対して流動しているのだから、時間や場所、人といった条件や環境などによって、すべては変化し続けている。そして、その中には『宇宙の法則』のような自然界の摂理、一貫した真理が貫いている」ということに氣づきました。O -リングテストとの出会いは、それまで続いていた求道の日々の大きな節目ともなる出来ごとだったんです。

青春の師は、一生を支配する

宮下 求道の日々を送ることになったきっかけの一つは、武満徹という作曲家との出会いでした。高校生の時、何氣なくラジオから流れてきたピアノ曲に、なぜか「これが求めていた音だ!」と直感したんです。彼はちゃんとした音楽教育を受けたことがないのですが、自分の中に湧いてくる音を音符にしていき、ついには「世界のタケミツ」と言われるまでになりました。彼が「無」から出発したことで、真の「独創性」にたどり着いたように、自分を深く深く掘り下げていく、自分なりの生き方を誠実に求める姿勢を貫いていきたい…そう思ったのです。
 そしてもう一つ、『人間の建設』という一冊の本との出会いがありました。
 その本の中で評論家の小林秀雄さんと対談していたのが、数学者の岡潔先生。日本の知性の双璧とも言えるお二人のやり取りの中で、岡先生が「日本の心を突き詰めると、それは『情緒』である。情緒とは、懐かしさである」と仰るんです。当時、世界中の数学者が挑んでも超えることができないとされた「多変数解析関数論」という難問をたった一人で制覇してしまったような数学者が「数学もまた情緒なしでは成立しえない」というんですね。知性と感情が深いところで一致することに、とても興味を覚えました。

鳴海 岡潔先生が、仏教哲学の宇宙観をもって数学を捉えていたことは有名ですね。宋の時代の易学者も「森羅万象ハ数ナリ」と言い遺しているとか。「数霊」という概念も、ここにつながっているのかもしれませんね。

宮下 現代物理学の量子力学も、仏教哲学の宇宙観と明らかに一致していることがわかっています。
 岡先生は「情緒とは、懐かしさである」と仰いましたが、修学旅行で奈良に行った時、薬師寺の境内でとても懐かしい氣持ちになったんです。「昔、自分はここに立ったことがあるなぁ」という不思議な感覚。それがDNAの記憶なのか、過去生と呼ばれる魂の記憶なのかはわかりませんが、自己の深いところでなにかが感応している。その時、これが「情緒」というものかなぁ、と思いました。 

鳴海 宮下さんが薬師寺で修行をしていた、というのは聞いていましたが、その体験がきっかけなんですね。

宮下 はい。「ここから人生を始めなくては」と思って、高校を卒業して大学には行かず、すぐに薬師寺で修行を始めました。毎朝、国宝の古い金堂に入って読経をし、橋本凝胤長老の「成唯識論」講義を拝聴するのですが、二千年以上も前から人の深層意識と宇宙の根底意識がつながっていると考えていた古人の慧眼には驚嘆させられました。
 私の求道生活のきっかけは、高校時代に出会ったこうしたいくつかのご縁によって導かれているんです。「青春の師は、一生を支配する」という言葉がありますが、今もその延長線上にいるようなものですね。
 鳴海さんがヒーリングをされていたのも、高校生の頃ではなかったですか?

鳴海 はい、ヒーリングの師と仰ぐ方の影響をもっとも受けた時期だと思いますし、やはり今もその延長線上を歩んでいるように思います。

宮下 やはり、「周平」には少し変わった人が多いのかもしれません。(笑)

自然農法との出会いから、まほろば創業へ

宮下 薬師寺で貴重な日々を過させていただいた後、約十五年間にわたって全国を転々と放浪しながら求道生活を続けました。その中でO -リングテストと出会ったことは先に述べたとおりですが、同じ頃にもう一つ、その後の人生を決定づける出会いがありました。自然農法家・福岡正信さんとのご縁です。
 福岡式自然農法の考え方は「人耕さずとも、作物自ら耕し、人肥施さずとも地自ら豊なり」というもので、現代農業の考え方とは、あまりにもギャップがありましたが、「国民は農にかえれ」「自給せよ」という翁の言葉に、とても感銘を受けました。収入を得るためではなく、自給自足のためであれば、機械で耕したり、肥料や農薬を投入したりする必要もない。自家採種や自然落下した種が自然の摂理に従って交配していく自然農法という考え方も、求道の末に行き着いたご縁でした。

鳴海 福岡正信さんの理念で作物を育てているのが、まほろばさんの自然農園なんですね。

宮下 はい、そこが原点です。しかし、まほろば自然農園は、「0 -1テスト農法」に行き着くのですね。それは、自然農法とも有機農法とも違うんです。堆肥や有機質肥料、天然ミネラル類を0 -1テストして必要と出れば投入する、不要なれば入れず。どんな肥料を使うか、比率は、量は、一々作物や土に訊きます。農法でも技術でもなく、その時その場で、その命に問いかける。自然に任すわけです。命は、すべての条件も環境も違うので、枠にはめず無為も有為も無く、混沌なんです。
 創業当初、「農にかえる」ことだけを目指したのですが、農地を買うお金がありませんでした。手元には何もない、本当にゼロからの出発です。食養生を学んでいた家内と二人で、自転車を漕いだり、ショルダーバッグを担いだりして自然食品の行商をしました。O -リングテストで市場から仕入れたり、全国から取り寄せたりして、この方法を自分なりに0 -1テストに改良・改善し、「内なる本能の声」に耳を傾けながら、お客様に安心して食べてもらえるものだけを仕入れました。
 驚いたのは「有機」と表示されたものでもマイナス反応の出るものが、けっこうあったことです。農産物というのは、育った環境や遺伝的要素、作り手の想いなどが織り成す統一体であり、一大叙事詩だということを、0 -1テストを通して学ぶことができました。

鳴海 私どもエヌ・ピュアが商品開発でお世話になっているHADO(波動)研究家の山梨浩利さんも「HADO(波動)数値の高低は自然界との共鳴度合いである」という考え方で、やはり育った環境や遺伝的要素、作り手の想いなどが数値にあらわれる、と仰っています。

「身土不二」という考え方

鳴海 自然の摂理にかなった食べ方ということでは「身土不二」が思い浮かびます。移動手段が徒歩だけだった時代には「歩ける範囲で育った旬の作物」だけを摂取することが当たり前だったでしょうから、「からだ(身)と住んでいる場所(土)は一体である(不二)」という考え方は、からだに良い食の基本と言えるかもしれませんね。

宮下 「一里四方で育ったものを食べよ」という教えですね。じつは、この考え方は「食」思想以前に、浄土教の経文に出ている言葉なんです。
 身は「からだ」で同じなのですが、土は「浄土(=あの世)」の土だと書いてある。だから、「この身と浄土は、二つならず一体だ」という意味になります。「この肉体、この身のままで浄土はここにある」つまり、自然とか地球といった「この世」は、すでに桃源郷であり、極楽であり、天国である、と。

鳴海 私たちの「核」となる魂は、浄土(=あの世)からこの世へ来て、再び元の世界へ還ると言われています。「身土不二」という言葉には、懐かしい故郷の記憶を呼び起こしてくれるような、広遠で深い意味があったんですね。

宮下 まさに、「私たちのこころの核心は『情緒』である。情緒とは、懐かしさである」という岡潔先生の言葉どおりです。
「まほろば」という店名は、日本武尊の国詠みの歌から採りました。彼が東征を果たして、苦労の末に故郷の大和地方へと帰ってきた時に「ああ、懐かしい」という感慨を込めて謳った歌。その中に出てくる枕言葉に「まほろば」があるのです。

「やまとは 国のまほろば
たたなずく 青垣山ごもれる
    やまとし うるはし」

 いちばん美しいこころの中の故郷を「まほろば」と表現しているんですね。
 今の私にできるささやかなことは、自然と一体になった農や、安心安全な食を通じて、遠い記憶の中にある「情緒」に触れるお手伝いをさせていただくことだと思っているんです。

 

宮下 周平さん プロフィール

北海道恵庭市生まれ。札幌南高校在学中に数学者・岡潔の思想哲学に傾倒し、
卒業後、奈良の薬師寺で修行の日々を送る。その後も全国を放浪しながら各地に
師を訪ね求道遍歴を続け、1983年に札幌で自然食品の店「まほろば」を創業。
無農薬野菜を栽培する自然農園やセラミック工房、オーガニックカフェとパン工房も
併設し、全国的にも草分け的存在として知られる。「0 -1テスト」を用いて数々の
商品を世に送り出し、その集大成とも言える浄水器エリクサーは世界の権威を驚愕させた。
現在、北海道余市郡仁木町に居を移し、営農に励む日々を送っている。
著書に『倭詩』『續倭詩』がある。
 

 

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