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Vol.279 7月 「運」に良し悪しなし


2024年春に出版された高島亮さんと鳴海周平の共著『運のミカタ』(ワニ・プラス)から、本編未掲載の特別対談をお届けします。


鳴海周平(以下、鳴海)
 あらためまして、今日は『運のミカタ』について、さらに踏み込んだ対談ということでよろしくお願いします。

高島亮さん(以下、高島)
 もう、本のなかですべて出し尽くしたので、とくにありませんけどね(笑)

鳴海 じつは、僕もそうなんですが(笑)引き出しの多い亮さんだったら、たぶんなにかかくしだまがあるんじゃないかと思って、今回の対談企画を立てました。

高島 それは、はやくも頓挫しそうな企画ですが(笑)そもそも本書を書くきっかけは、僕たちがいつも話している「運に良し悪しはない」ということがベースになっていますよね。だから、いわゆる運を良くする開運本ではなく、運と仲良くする方法を紹介しています。「生きる」ということは、いろいろな人や物ごとと関わりながら「運ばれていく」ことで、その運ばれ方を「運」と呼ぶことにしました。

鳴海 その「運ばれ方」を、どう見るか、どうとらえるか、つまり「運の見方」ですね。そして、運ばれているなかで起こるさまざまなことに対して不平や不満を言うのではく、認めて受け入れることで運ばれ方の「味方」になる。すると、運も味方になってくれる。「見方」と「味方」をかけて『運のミカタ』。亮さんのダジャレセンスが光っています。
 
高島 ダジャレと被りものが、僕の仕事なので。

鳴海 講演会のとき、いちばん前に座っていたお客様から「亮さん、その被りものって、本当に仕事なんですか?」と訊かれて、あたりまえです、仕事じゃなきゃやってられません!」って、本気で答えていましたね(笑)

高島 こういう運ばれ方もありますよ〜、ということを、身を持って示していると思ってもらっても間違いではありません(笑)
 ああ、こんな運ばれ方もあるんだなぁ、新しい運の見方が見っかった!という感じで。

鳴海 最後のフレーズも、ちゃんとダジャレになっていること、読者の皆様はお気づきでしょうか。気を抜いていると置いていかれるので、一言一句しっかりとお読みください(笑)

運に良し悪しなし

 

鳴海 「運に良し悪しはない」というのは、起こった出来事を、あとからどう捉えるかによっても見方がまったく変わってしまうということでもありますよね。亮さんも、いまのお仕事になるまでに、さまざまな運ばれ方を経験していると伺っています。

高島 大学を卒業してすぐに就職した会社は大手の化学メーカーでした。仕事の内容は主にルート営業で、退屈な仕事ではなかったし、周りの人たちにも恵まれていたのですが、仕事が終わって独身寮へ戻ると、どっと疲れが押し寄せてくる毎日でした。自分にとっての「仕事の意義」が見出せないという葛藤もあったかと思います。気がつけば、俗にいう「サザエさん症候群」になっていたようで、日曜日の夕方になると辛くてしょうがない。
 そういった日々のなかで出会ったのが『無私の愛よ永遠に』という1冊の本でした。瓜谷侑広さんという、精神世界を専門とする出版社の社長さんで、「万人が自ら悟りを開き、宇宙と一体化し、不動の信念の下、宇宙エネルギーを縦横に駆使する精神世界の時代が、これまでの宗教に代ってくるのは間違いのないところである」という一文を読んで、まるで雷に打たれたような衝撃を受けたんです。それで、そのままの勢いですぐに履歴書と手紙を送ったら、即入社が決まって転職しました(笑)

鳴海 なんと、思い切りがよい!(笑)人生の転機というのは、そのような感じで訪れるのでしょうね。大手メーカーで働いていたときの、どうしようもない辛さは、その最中にあっては「運が悪い」状況とも捉えられますが、そうした日々を過ごしていたおかげで本当にやりたかったことを見つけるアンテナが研ぎ澄まされていったと思うと、その状況は「運が良かった」ということにもなります。

高島 社員数五千人の一部上場企業から、社員十数人の精神世界専門の出版社への転職ということで、家族にも友人にも大反対されましたが、僕のなかでは、やっとやりたいことが見っかった!という気持ちでした。家族や友人から見たら「運が悪い」状況に映ったかもしれませんが、その出版社で開催していた講演会を担当させてもらうなかで出会ったのが、僕の人生に大きな影響を与えてくれた小林正観さんです。『運のミカタ』のベースにもなっている

 事実と意味は別
 事実と捉え方は別

という考え方も、正観さんから教えてもらったことが大きいですね。
 おなじ「晴れ」という天気でも、気持ちがいいと感じる人もいれば、水不足の地域では都合が良くないかもしれない。逆に、ザーザー振りの「雨」を、恵みの雨と感じる人もいれば、長雨に見舞われている地域では、もう勘弁してほしいと思うかもしれません。
 事実は「晴れている」「雨が降っている」ということで、プラスもマイナスもありませんが、置かれている環境や捉え方によってプラスにもマイナス
にもなるということですね。

鳴海 起こった出来事(事実)に、どんな意味を持たせるか、どんなふうに捉えるかは、その人次第。つまり、人生の「運」ばれ方に、良し悪しはないということになりますか。
(次号へ続く)
 

 

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