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Vol.278 6月 夢は、住所不定の著述家


 昔、住んでいた家の庭に、よくスズメが来ていました。
 どこからともなく飛んできて、餌を探したり、毛づくろいをしたり、そして、またどこかへ飛んでいく…
 スズメたちに「所有」している家はないけれど、こうして、さまざまな場所をその時々の「宿」にしている。そんなスズメのライフスタイルに感動して以来、僕の理想とする生活は住所不定の著述家(話したり、書いたりする人)」となったのでした。

「今日は、◯◯町でお話会。いただいたお礼で、近くの宿に泊まろう。明日は、隣の村でお話会。またその近くの宿で、お世話になろう…」
 そして、お話会がない日は、思いのままに言葉を綴る…そんな生活、なんか、よくないですか?(笑)

あなたは、誰ですか?

 僕たちは、皆「地球」という「大きな家」に住まわせてもらっている存在。
 だから、すべては、特定の誰かの所有物ではありません。
 ジャイアンが言う「お前のものは俺のもの。俺のものも、俺のもの」という台詞も、ある意味、真理なわけです(笑)。

 ところで、「あなたは誰ですか?」という質問に、どんなふうに答えますか?
 名前を言いますか?
 職場での役職を伝えますか?
 日本人です、と答えますか?
 でも、どの答えも、よーく考えると、いつでも、どうにでも、変えられることじゃないでしょうか。
 名前も、職業も、国籍も、ぜーんぶ、いつでも、そうじゃなくなる可能性があることばかりです。
 もし、1つだけ「変えられないこと」が、あるとしたら、それは「地球人」という『自然界の一員』であること。だから、『自』然界の『分』身と書いて「自分」と読むのかもしれません。

 

ラクに感じることは、自然界の摂理にかなっている

 昔、あるお金持ちの方が、「ものを所有すればするほど、こころが落ち着かなくなる」と、言っていました。
 これは、僕たちがもともと「自然界の分身」であることを考えたら、あたりまえだのクラッカー。(古過ぎてわかんない人は、スルーっとスルーしてね)
 自然界には「特定のものを、特定の誰かが所有する」という概念が存在しないから、所有にこだわるこころが、自然界と共鳴しないということなのでしょう。
 逆に、所有することにこだわらないと、氣持ちがラクになるのは、そのほうが「自然界の摂理」にかなっているから。

 自分の氣持ちがラクに感じることは、自然界の摂理にかなっていること

 そんな信念のもと、ラクなほうへ、ラクなほうへと流されながら、「住所不定の著述家」という理想の生活へと日々近づいている今日この頃なのであります。

 

 

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