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【vol.84】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 帯津 良一さん 中編


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 ホリスティック医学の第一人者である帯津三敬病院名誉院長・帯津良一さんとエヌ・ピュア代表・鳴海周平との共著『1分間養生訓』(ワニ・プラス)からお二人の健幸対談を抜粋し、3回シリーズでご紹介します。
 
 

検査数値に一喜一憂しない

 
鳴海周平(以下、鳴海)
 帯津先生とご一緒させていただく晩酌がとても楽しいのは「人生の後半を幸せに生きる3つの条件」を体現していらっしゃるからなんだと、今回あらためて感じています。お酒のペースもこの20年来ほとんど変わっていませんね。

帯津良一さん(以下 帯津)
 それは、半世紀くらい変わっていないかもしれません(笑)。ただ、血液検査では肝機能の指標となるγ–GTPの値が正常値の8倍くらいあって、総コレステロールも中性脂肪も正常値をオーバーしています。腹囲も90センチ以上あるのでメタボリックシンドロームの仲間入りをしている状態です。それでも、こうやって元氣に過ごしていますから、検査数値を氣にする人には「私のほうが高いですよ」と言って、安心してもらっています(笑)。だいたい、100パーセント健康な人などいませんし、絶対的な基準ではない検査数値に振りまわされるのはこころの健康にもよくありません。私のように「高値安定」を維持しながら、メタボなんて余計なお世話くらいに思っているほうが、元氣でいられるのではないでしょうか。健康診断の結果に一喜一憂しないことも、人生の後半を楽しく生きるコツだと思います。
 
鳴海 僕はもう20年以上、健康診断を受けていませんが、検査数値の基準はよく変わっているようですね。健康の常識も日々変化していて「糖尿病の人のほうがアルツハイマーになりにくい」という、これまでとは逆の説も出ているようです。薬やインシュリンの力で制御するという従来の治療方法が、その原因となっていた可能性も示唆されているとか。
 他にも「コレステロール値が高めの人のほうが長生きしている」といった説など、こうした「これまでの医学会の定説とは正反対のことが起きている」ということが、和田秀樹さんの『80歳の壁』(幻冬舎)に書いてありました。

帯津
 年齢や体質、環境などによって一人ひとり「健康的な数値」は異なってあたりまえだと思えば、ある程度の年齢に達して元氣な人こそ、本当の意味での「正常値」でしょう。検査の数値だけで、やたらに薬を処方するような医者であれば、氣をつけたほうがいいかもしれません。

鳴海 益軒さんが述べているように、安心して相談できるお医者さんをみつけることや、薬と上手に付き合うことも、人生の後半を
よりよく生きるためにたいせつですね。

自然界の摂理は、出すほうが先

 
帯津 内臓のうごきや体温、血圧や代謝など、ふだん意識的にはコントロールしていないはたらきを調整する「自律神経のバランス」も、前出した3つの条件の「健康」に大きく関係する要素です。「自律神経のバランス」は、どんなことも「ゆっくり、ていねいに」おこなうことで調うことがわかっています。家事や食事など、日常生活におけるさまざまなことにあえて時間をかけてみることができるのも、時間に余裕ができてくる年代の特権でしょう。

鳴海 自律神経のバランスがとれているときは、動作も自ずとていねいになっているので、動作のほうから自律神経へアプローチするというのは、とても理にかなった方法ですね。

帯津 なかでも「呼吸」は自律神経の状態が、もっともわかりやすく反映されます。毎朝、患者さんとおこなっている太極拳などの氣功は「調身・調息・調心」から成り立っているので、自然に呼吸が調い、自律神経のバランスにも作用していると考えられるわけです。

鳴海 氣功をはじめてから人相がよくなる人が多いのは、自律神経のバランスが調うことで、こころにもゆとりができるからなのでしょうね。
「息」という字が「自らの心」と書くことや、生きる(イキる)、生き生き(イキイキ)といった言葉の響きにも、呼吸のたいせつさが秘められているような氣がします。

帯津 「呼吸」という字は「吸う」ほうがあとだから、人生も「オギャー」と息を吐いてはじまって、この世を去るときは「息を引きとる」といいます。そうした「自然界の摂理」のようなものが「呼吸」という、いのちの根幹にあらわれているのかもしれません。

鳴海 呼吸の「出すほうが先」というのは、赤ちゃんが生まれてきたときに「母乳を飲むまえに胎便を出す」というところにもあらわれていますね。そして、亡くなるときには「死に水をとる」というように、少しの水を飲ませて送り出します。
「出入り口」という言葉や「give&take」など、先人は「自」然界の「分」身(自分)として「自然界の摂理」のなかで存在していることを、肌感覚としてわかっていたのではないでしょうか。

帯津 「出すほうが先」ということが、自然界の摂理であるなら、人生もまた、先に出すことでスムーズに循環していくことになります。たとえば、自分がしてもらったら嬉しいことを、先ずは自分のほうからしてみる。与え好きの人の人相がよいのは、そうした摂理のあらわれとも考えられます。

鳴海 「出すほうが先」を実践してみることは「人生とは楽しいもの」という益軒さんの言葉を実感する早道にもなりそうですね。
 誰かの役に立てたり、喜んでもらえることを嬉しいと感じるのは、自然界の分身として備わっている本能なのかもしれません。

なにごとにも、ほどよいタイミングがある

 

帯津 「氣功」をしていると、たまに「これは!」と、ほれぼれするような技の持ち主があらわれます。そのような人に「どのくらい氣功をしているのですか?」と質問すると、異口同音に「40年」という答えが返ってきます。
 興味深く思ったのは、毎日何時間もかけて真面目に氣功をしている人と、ときどきサボりながらもそれなりに続けている人とでは、年数を重ねていくうちに、あまり変わらない境地へ達しているということなんです。技うんぬんよりも、内面で熟成されたものが醸し出されてくるといった感じです。
 これは人生にも通じていることかもしれません。
 若いころはバリバリはたらいていたとしても、あるところから生き方、考え方を氣功型に変えてみる。競争や外聞よりも、自らの内面をみつめて、それまでの経験を熟成させていくのです。
 そんな氣功型の生き方をしていると、歳を重ねて年季を積むほどに人間としての深みが出てきて、味わいを醸し出せるようになるのではないか……そんな氣がします。

鳴海 氣功の達人にいたる「熟成」の様子が、歳を重ねることにも通じていると思ったら、なんだか嬉しくなりますね。内面で熟成されたものが醸し出されてくる、という感じは、ワインやウィスキーが熟成を経て美味しくなることにも通じているように思います。

帯津 お酒にたとえると、いっそう身近に感じて、嬉しくなります(笑)。
 まだ若かりしころ、看護師さんの間で私は「ほとけのおびっちゃん」と呼ばれていました。怒ったり、大声をあげたりしたところをみたことがないという理由からです。そのうち「ほっとけのおびっちゃん」と囁かれるようになりました。これは、なんでも氣にせず放っておくという意味です(笑)。そんなふうに、若いころから「こうでなければならない」とか「絶対にこうすべきだ」というこだわりは極めて少ないほうで、たいていのことは、どちらでもいいというスタンスでした。この「ほっとけ」の度合いが、歳を重ねるにつれてますます高まっているように感じているのです。
 これはおそらく、なにごとにも熟成していく過程があるように「ほどよいタイミング」というものが人生全般をとおしてあることに氣づいたからなのではないかと思います。

鳴海 たしかに、なにごとにもタイミングがあると思えば、思いどおりにならないことにイライラしたりせず「いまは熟成中なんだ」という考えかたに切り替えられますね。
 「ほとけ」の語源は「ほどけた人」と聞いたことがあります。
 ほどけた人とは、とらわれやこだわりが少ない人のことでもあるので「ほとけ」にも「ほっとけ」にも通じています(笑)。

帯津 歳を重ねて「ほっとけ」の境地になると、益軒さんのいう「なにごともほどほどがよい」という言葉が実感としてわかってきます。からだが自然にそうした状態を心地よいと感じるようになるんですね。とくに努力しなくても、食べる量は少しで満足できるようになるし、大酒を飲むこともなくなります。色欲への欲求や関心も少なくなって、短い睡眠時間でも満足できるようになります。
 『養生訓』のなかで、控えたほうがよいと書かれている「内欲」は、歳を重ねるごとに少なくなっていくもののようです。これも「ほどよいタイミング」ですね。
(次号の後編へ続きます)

 

プロフィール

帯津 良一さん

1936年埼玉県生まれ。日本ホリスティック医学協会名誉会長。
日本ホメオパシー医学会理事長。
1961年東京大学医学部卒。現在、帯津三敬病院名誉院長。
西洋医学に中医学やホメオパシーなどの代替医療を取り入れ、
ホリスティック医学の確立を目指している。
『健康問答』(五木寛之氏との共著/平凡社)ほか著書多数。

 

 

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