head_id

【vol.63】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 帯津 良一 さん~まとめ~


kenkou63

 医学博士の帯津良一先生とエヌ・ピュア代表・鳴海周平の共著『死ぬまでボケない1分間〝脳活〞法』。ホリスティック医学の第一人者である帯津良一先生は、同著の中で「脳活のコツは、3つにまとめることができる」と述べています。

 ① からだを動かすこと
 ② 食生活に気をつけること
 ③ 心にいつもときめきを持つこと

 今回は、まとめとして「長寿社会を生きるヒント」について、同著より抜粋して紹介します。
 

ゆっくり呼吸でこころを調える

鳴海周平(以下、鳴海)
 お坊さんに、長寿で健脳な人が多いのは、お経を読む時の呼吸がいいからだ、と聴いたことがあります。吸う息よりも、吐く息が長い呼吸は、氣功でもやはり理想的な呼吸なのでしょうか。

帯津良一先生(以下、帯津)
 呼吸は、私たちが生きていくうえで欠かせない生理現象ですから、これを上手にコントロールできたら、もちろん脳にもよいでしょうね。氣功は、吸う息にも、吐く息にも氣持ちを込めますが、吐く息の方へ、少しだけ余計に意識を向けます。時間も、息を吐く時の方が長くなりますね。ゆっくり呼吸をすると、自律神経の副交感神経が優位になります。これは、ストレスが多いと言われる現代において、自律神経のバランスを調えるうえでも大切なことです。さらに、腹式呼吸は内臓のマッサージにもなります。全身の血流がよくなるということは、当然、脳にも血液がたくさん流れていることになるでしょう。

鳴海 「ゆっくり」というのも、大きなポイントなのでしょうね。自己暗示などでも、「動作を大きくすると、氣持ちも大きくなる」と言いますから、動作が心に及ぼす影響は大きいのだと思います。表情が感情をつくる、というのと同じですね。

帯津 そもそも、息は「自らの心」と書きますからね。呼吸をゆっくりすると、自らの心もゆっくりになる。また、呼吸は、熱力学の廃棄物であるエントロピーを排出するので、体内の秩序を維持するという大切な働きでもあるんです。ちなみに、氣功の三要というのがあって、「調身・調息・調心」と言います。先ず、調身はからだの状態で、肩の力が抜けていて、下半身に力が漲っている状態が理想です。これを「上虚下実」と言います。

鳴海 姿勢は、何をする際にも大切にされますね。アメリカに、姿勢と内分泌系の関係を調べたデータがあって、よい姿勢はストレスホルモンを下げることが確認されています。先ほどの「行動が心をつくる」ということなのでしょう。

帯津 次の調息は、息を調えること。先ほど、吐く息の方へ少し余計に意識を向ける、と言いましたが、これは自然界の摂理でもって、吐く方が先なんです。「呼吸」も、吸うという字が後にきますね。赤ちゃんは、オギャーと泣いて、つまり息を吐いて生まれてくる。亡くなる時は、息を引き取ると言います。これは本当に、スーッと静かに息を吸って旅立つんです。出入り口も、出る方を先に書く。調息も、この原理にしたがっているということです。

鳴海 座禅において、究極の呼吸は「あるがごとく、なきがごとく」だと言われています。からだの自然な営みとしての呼吸が、意識しなくても、自然の摂理にかなうようになることが、理想なのでしょうね。

調心 ~ 虚空を感じて生きる

帯津 氣功の三要、最後の調心は、何かに集中できる心を準備するということです。徳川将軍家兵法指南役の柳生宗矩に「剣禅一致」を説いた沢庵和尚が『不動智神妙録』という本の中で書いているのですが、雑念を払って、心をどこにも置かない。遊ばせておく。そういった心境です。だから、無念無想ではないんです。

鳴海 呼吸法をおこなっていると、あるタイミングで、とても氣持ちがよくなることがありますね。この時は、今先生がおっしゃったような、心がどこにも引っかかっていない状態のように思います。

帯津 その時に、私たちは虚空とつながっていることを、無意識のうちにでも感じているんです。「つながっている」という感覚が、健脳効果の高いセロトニンの分泌を促すことは、先にもお話したとおりです。つながる対象は、人間でも、動物でも、植物でも、想像の中でもいい、ということもお話しましたが、氣功の極意は、心をどこにも置かず、虚空、大宇宙とのつながりを感じることにあるのかもしれませんね。

鳴海 スケールの大きなつながりですね。

帯津 実際、氣功の達人クラスになると、虚空そのものと一体になっているようにも感じます。貝原益軒さんは『養生訓』の中で、「つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ…」と、述べています。この「おそれて」は、「畏れて」の意味ではないかと思うんです。つまり、天道という人知の及ばない大宇宙の摂理に対して、敬いと慎みの氣持ちをもつ、ということです。やはり、大宇宙、虚空とのつながり方をあらわしているのではないでしょうか。

鳴海 『頭の体操』やゲームソフト『レイトン教授シリーズ』でも知られる多湖輝先生は、ご自身の著書で、「人間にとって最大の発想転換』は『人間の卑小さを知ること』ではないか。これこそが、ある意味では最大の脳のリフレッシュになる」と、述べて、森や砂漠、満天の星をいただく夜空などの大自然に身を浸してみることの効用を説いています。

帯津 ああ、いいですね。私は、2年に1度、中国の内モンゴル自治区にあるホロンバイル高原に行きます。四方八方が見渡す限りの水平線で、まさに虚空そのものといったところです。ここで一度、太極拳を舞ってみたことがあるのですが、舞うほどに、自分が小さくなっていってしまう。その時、「ああ、そうか。氣功というのは、地に住む人が虚空と交流するためのものであって、虚空に住む人には必要のないものだったんだ」と思い至ったんです。まさに「人間の卑小さ」を感じた瞬間でしたね。虚空とのつながりを、からだ全体で実感しました。

鳴海 大自然の中に身を置くことで、そういった「発想の転換」が可能になるというのは、なんだか嬉しいですね。自然をとおして、虚空とのつながりを感じることは、健脳にもつながるでしょう。

人は死んだら虚空へ還る

鳴海 帯津先生は、よく「人は虚空から来て、虚空へ還る」と言いますが、「虚空」は、俗に言う「あの世」というふうに捉えてよいのでしょうか。

帯津 はい、同じ意味として私は使っています。人は、肉体的な死を迎えても、本質である「いのち」は永遠に生き続ける。そのいのち」の源泉が、虚空であるということです。可愛がってくれた小母さんが亡くなった時、私は自転車で病院に向かっていたのですが、おたまじゃくしのような光が、夜空を流れていったんです。直感的に、ああ、小母さんの人魂だなぁ、と思いました。函館に眠る小母さんのお墓参りに行った時にも、ご住職さんの読経中に、さあっと風が吹く、ということが何度もありました。その都度、ああ、また小母さんだなぁ、と思ったものです。こうしたことは、いのちが生き続けている証ですね。私が目指しているホリスティック医学の終極は、生と死の統合です。つまり、死んだ後の虚空までを視野に入れている。いのちが生き続けるということがわかったら、この世でやり遂げられなかったことがあっても、続きはあちらでやろうという氣になります(笑)。

鳴海 哲学者の池田晶子さんは「池田は死ぬが私は死なない」と、自分の中に流れている永遠性のある存在を感じていたようですし、夏目漱石も門下生への手紙で「死んでも自分はある。しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と書いていますね。「からだ」は大地へ還って、「いのち」は虚空へ還る。死後の世界までが視野に入ってくると、脳活法にも、ますます奥行きが感じられてきます。

穏やかで優しい社会が、健脳社会

帯津 年齢を重ねるごとに、また虚空へ近づいていくというのが、自然の摂理です。ということは、年齢によるからだの変化にも意味がある。だから、アンチエイジングという言葉は、そうした大きな流れに逆らっているような感じがして、あまり好きじゃありません。

鳴海 ナチュラルエイジングならいいですかね(笑)。体力が衰えてきた、というような話を聴く一方で、若い頃は偏頭痛や腰痛で辛かったのが、歳を重ねるごとにおさまってきた、という話もよく聴きます。

帯津 若い頃は、血管の弾力があるから、気圧の変化にも敏感なんです。それが、歳とともに弾力がなくなってきて、だんだん鈍感になる(笑)。こうしたことも、自然の摂理にかなった「老いの効用」だと思いますよ。

鳴海 そうした自然の摂理の中で、脳はいつまでも成長を続けることがわかっています。歳を重ねるということは、それだけたくさんの経験もしているわけですから、社会の中で「老いの効用」を活かさないのは、もったいない。江戸時代にあった「老中」や「大老」といった肩書きも、経験豊富な「老い」が、好ましいものと考えられていたからでしょう。

帯津 先に生まれる、と書いて「先生」ですからね(笑)。タイやベトナムなどでは、お年寄りが尊敬される文化が、まだまだ残っているようです。そうしたところでは、認知症の入った人は「神に近い存在」として、いっそう大切にされると言います。

鳴海 臨床医の大井玄先生によると、沖縄の農村などでは、認知症になっても、周囲が困るような周辺症状をあらわさず、穏やかに暮らしているお年寄りがたくさんいるのだそうです。こうした地域では、お年寄りにはきちんと敬語を使う、など、年長者を敬う文化が残っている、とのことでした。

帯津 人は皆、自分の描いたイメージの中で、自分なりの環境を創って生きています。それは、「なるべく苦痛の少ない状態」を本能的に選んでいる、とも言えると思うんです。周りの人たちが敬ってくれるような環境では、自分の存在価値が脅かされることが少ない。だから、徘徊や暴言など、周囲を困らせるような言動というのは、本能的な不安や恐怖が、行動にあらわれたとも解釈できます。「健脳」を考えるうえでも、年長者を大切にする「敬老思想」がある地域に、学ぶべきことは多いでしょうね。江戸時代の儒学者・佐藤一斎さんが『言志四録』の中で、「養生の訣も亦一箇の敬に帰す」と、養生の秘訣を述べていますが、これは、相手を敬うこと、そのものです。相手の内なる生命場に、敬意を抱く。すると、共有する場のエネルギーも上昇しますから、自分の生命場のエネルギーもまた上昇する。とてもよい循環ができるんです。

鳴海 相手に敬意を抱いて接するとき、お互いの脳内では、幸せホルモン「オキシトシン」が分泌されていると思います。穏やかな、優しい接し方をお互いが心がけることで、それらはすべて健脳にもつながってくる。また、それをみている人にもミラーニューロン効果があるわけですから、優しさの循環が、どんどん広がっていきそうです。穏やかで、優しい社会が、健脳社会の姿なのかもしれませんね。

帯津 そうした社会だったら、安心してボケられますね(笑)。でも、本当にそのくらい開き直っていた方がいいんですよ。「認知症になったらどうしようか」という不安や恐怖は、かえって脳の健康によくありません。心とからだは、つながっているのだから、やるだけのことはやって、あとは自然な流れにお任せ、という心の持ち方がいちばんいいんです。

鳴海 「人事を尽くして天命を待つ」ですね。

帯津 そうです。親鸞も「我が計らいにあらず」と言っている、あの心境です。ただ、私たちは、いずれ必ず虚空へ還る身ですから、日々高めてきたいのちのエネルギーが最高潮になった時に、勢いよく旅立ちたい。そのためにも、日頃の養生は、怠りなく続けたいと思うんですよ。一人ひとりが、そうしていのちのエネルギーを高めることによって、場は共有されていますから、地球全体のエネルギーもまた高まっていく。私は、そう思っているんです。

鳴海 自分の内なるエネルギーを高めることが、地球全体のエネルギーを高めることになる。やはり、すべてはつながっている、ということですか。本書で紹介している脳活法も、内なるエネルギーを高める参考にしていただけると嬉しいですね。

帯津 よく動いた日はぐっすり眠れるし、よく働いたあとのビールは美味いでしょう。同じように、よく生ききったあとは、氣持ちよく虚空へ還ることができると思うんです。大阿闍梨の藤浪源信さんが「あの世にいくと、自分の好きな人しかいない」と言っていました。あちらへ先に還った大好きな人たちと、また一献傾けることを、今からとても楽しみにしているんですよ(笑)。
 
kenkou63_1
 

 
参考文献
「死ぬまでボケない 1分間“脳活”法」帯津良一・鳴海周平著(ワニ・プラス)
 

 

帯津 良一

日本ホリスティック医学協会名誉会長。
日本ホメオパシー医学会理事長。
1961年、東京大学医学部卒業。
東京大学医学部第三外科、都立駒込病院外科医長を経て、
1982年、帯津三敬病院を開院、現在は名誉院長。
西洋医学に中医学やホメオパシーなどの代替医療を取り入れ、
ホリスティック医学の確立を目指している。
『健康問答』(五木寛之氏との共著 平凡社)ほか著書多数。
 

 

 セミナー・イベントのスケジュールはコチラから
 

right_toppage

right_01健康対談ラジオ番組月刊連載

right_02 right_news right_02-2 right_03 right_04 right_06 right_05 right_07 right_07

bnr_npure

bnr_kenkotime

ブログ・メールマガジン