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【vol.78】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 吉川 竜実さん 前編


kenkou78

 日本人の心のふるさと「お伊勢さん」として親しまれてきた伊勢神宮。その2000年という長い歴史と文化を総合的に展示する神宮徴古館・農業館の館長を勤め、せんぐう館館長でもある伊勢神宮・禰宜の吉川竜実さんに、伊勢神宮の歴史や魅力、神道の持つ宇宙観や人間観などについてお話を伺いました。
 

 
鳴海周平(以下、鳴海)
 吉川さんには、ぷれし~どの高島亮さんにご紹介いただいたご縁から、ヒーリングツアーなどでもたいへんお世話になっています。いつも本当にありがとうございます。

吉川竜実さん(以下、吉川)
 いえいえ、こちらこそありがとうございます。最近「なるみん」に倣って「たつみん」と名乗り始めましたので(笑)どうぞよろしくお願いいたします。

鳴海
 ますます距離が縮まった感じで、ありがたいかぎりです(笑)
 今日は伊勢神宮についてはもちろん、神道の持つ壮大な宇宙観や人間観などについてもお話を聴かせていただけたらと思います。

伊勢神宮は、自然界が自然のまま存在している場所

 
鳴海 それにしても、伊勢神宮は訪れるたびに新鮮な感動がありますね。江戸時代には「一生に一度はお伊勢さん」といわれてお伊勢参りが流行したと言いますし、コロナ禍以前には年間800万人が訪れると伺いました。皆さん、この感動を味わいたくて足を運ぶのでしょう。

吉川 年間800万人というのは東京ディズニーランドに次いで全国第2位です。江戸後期には半年で460万人が参拝したという記録もあって、これは当時の人口比率で考えると6人に1人が訪れていたことになります。
 平安時代に歌人の西行が「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んでいるように、「どのようなご存在がいらっしゃるかわからないが、ただただありがたさと畏れ多さに涙がこぼれる」というほどの感激が、時代を超えて語り継がれてきた証なのではないでしょうか。

鳴海 まさに「ありがたさと畏れ多さに涙がこぼれる」という感動があります。自然界が自然のままに存在しているというか…ちょっとわかりにくい表現ですかね(笑)

吉川 じつは、そのとおりなんですよ。神道では、山や森全体、そこに育つ一木一草に神が宿ると考えるので、宮域内で木の伐採を一切せず、できるかぎり「あるがまま」の状態を保つというルールがあるんです。人間の都合を優先させることなく、自然との調和に最大限の重きをおくと、案内板や表示なども最低限になって、社殿の御用材も皮を剥いだだけの素木になります。
 ある環境学者の方は「神宮の森はジャングルと同じパターンを持っている」と、とても驚いていました。伊勢神宮の森の面積は5500ヘクタールで、パリ市街や世田谷区とほぼ同じ面積です。そこに約2800種の動物や、約140種類の鳥類が観測されていて、植物にいたってはイギリスの50倍もの種類があると云われているんです。こうした豊かな生態系が残る伊勢神宮は、まさに「自然界が自然のまま存在している場所」といえるでしょう。

鳴海 じっさいに神宮の森を歩いてみると、そうしたことがよくわかります。
 鳥のさえずりや虫の鳴く声、五十鈴川のせせらぎ、葉ずれの音。そこにいるだけで心身が癒されるのは、僕たちもまた自然界の一部だということでしょうね。

吉川 おっしゃるように、神宮の森を歩くとさまざまな音に出会います。
 じつは以前、世界各地の環境音を分析調査している脳科学の研究グループが神宮の森に来て、この森には「聞こえない音」も溢れていることがわかったんです。
 ふだんは氣づかないコオロギが羽をすり合わせるかすかな音や、風が木立をそっと通り抜ける音といった耳では聞き取れない高周波の音を「環境音」といい、この音が生きものの脳やからだに与える効果を「ハイパーソニック・エフェクト」と呼ぶのだそうです。
 人間は、ハイパーソニック・エフェクトを全身に感じることで、ストレスが軽減されて精神のバランスが調整されたり、免疫力が上がったりすることもわかっています。
 
鳴海 高周波の環境音には、心身を癒す効果があるんですね。

吉川 神宮の森が発するハイパーソニック・エフェクトはバリやアマゾン並みらしく、20~30分森の中にいるだけでも効果が得られるようです。赤道から30度以上も高緯度に位置する伊勢と熱帯雨林が同レベルの高周波を発しているというのは驚きですよね。
 これはあくまでも私見ですが、伊勢神宮におわします神々と、長い時間をかけて人々が捧げてきた祈りの蓄積が醸し出すものも関係しているのではないかと私は思っています

「循環のひな型」としての伊勢神宮

吉川 イスラエルの聖書研究家アンドレ・シュラキは、これまでに訪ねた聖地で感動した場所として、エルサレムの神殿跡、ペルーのマチュピチュ神殿、ギリシャのデルフォイ神殿、北京の紫禁城、伊勢神宮の5カ所を挙げ、「伊勢神宮は生きている」と表現しました。また、アメリカの著名な建築家であるアントニン・レーモンドは「神宮の森には、世界でいちばん古くて新しいものが存在する」と述べています。
 この聖域が2000年前から続いていて、コロナ禍でも年間400万人もの人々が訪れ、1年365日、1日も欠かすことなく神々への祈りが捧げられていることや、年間1600回もの神事がおこなわれていること、そして「式年遷宮」という、20年に1度真新しい社殿に建て替えられるシステムが今も存在し続けているという、世界的にも稀有な場所であることを感じ取ったがゆえの言葉ではないでしょうか。

鳴海 まさに「伊勢神宮は生きている」んですね。
 20年に1度の式年遷宮では、正宮はじめ別宮の社殿が建て替えられると聞きました。想像するだけでもたいへんな規模で、とてつもない労力です。

吉川 古代ギリシャのパルテノン神殿が、強固な石造りのまま残っているのとは対照的ですよね。
 式年遷宮を私たちの暮らしにたとえると、20年に1度、隣の敷地にまったく同じ手順で建てた新築の家へ引っ越す、ということになります。神宝もすべて新調されるので、家具やインテリア、衣類なども、まったく同じものを新品であつらえるようなものです。
 また、建て替えにあたっては、歴代の造り手たちの創意工夫はいっさい加えられておらず、同じ御用材で、同じ仕様、神宝や社殿を囲む垣根もすべて同じに造られますから、私たちは古代とまったく同じたたずまいの社殿に参拝できているわけです。これは世界的にみても、とても珍しいことだと思います。

鳴海 1000年以上昔の先人もまったく同じ社殿の前に立っていたかと思うと、時空間がつながったような感覚になりますね。
 御用材に使われているヒノキが数百年先を見据えて植林されてきたことや、社殿に使われていた古材が全国各地の神社で再活用されていくことなどにも、時間軸を超えたものを感じます。

吉川 すべては自然界のなかで「循環」しているということでしょう。
 内宮に寄り添うように流れる五十鈴川の源流は神路山と島路山です。この山から湧き出た水が伊勢市内を通って伊勢湾へと流れていきます。下流域では山の豊富な栄養分によって米や野菜、果物などが育まれ、伊勢湾では伊勢海老や鯛、鮑などの海産物が育ち、二見浦では塩が作られます。豊かな恵みをもたらしてくれた五十鈴川の水は、太陽の熱によって蒸発して雨となり、また山々へと降り注ぎます。
 こうした「循環」によって伊勢神宮の自給自足が成り立っていることも、時間軸を超えた自然界の摂理、神々の存在を感じさせてくれます。

鳴海 伊勢神宮は「循環のひな型」でもあるんですね。

お参りでたいせつなのは、こころをゆるめてリラックスすること

 
鳴海 伊勢神宮が、高周波に満ちていて、世界でいちばん古くて新しい「生きている場」であることがわかりました。じっさいに参拝するにあたって、作法やこころがけたほうがよいことなどはありますか?

吉川 まずは手水で清める、拝殿前では二礼二拍手一礼、などの決まりごとはありますが、細かな決まりごとにとらわれるよりも、こころをゆるめてリラックスしてお参りいただくことがたいせつです。たとえるなら、懐かしい田舎のおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くような感じでしょうか。
 伊勢神宮に来て、すがすがしい氣持ちになったり、懐かしさが湧いてきたりしたら、もう120%大正解だと思います。
 神社での作法には、絶対守らなければならないような戒律的なものはありませんから、神々への畏敬の念さえあれば基本的にはNGはないと思っていただいていいでしょう。

鳴海 参道の中央は神さまが通るから歩いてはいけないとか、神社でお願いごとをしてはいけないという人もいますが、こちらもたぶん期待どおりのご回答をいただけるかと…(笑)

吉川 はい(笑)基本的に「○○してはいけない」ということはありません。
 神さまの通り道だから中央を歩いてはいけないのではなく、茶道などでいう「下座」(目上の人に対して敬意を表わす位置)を人間が歩くように設計されていることがその理由でしょう。
 お願いごとについても思う存分してください。そもそも「願う」の語源は「ねぐ」(なぐさめる・いたわる・ねぎらうの意)なので、願うという行為には、神さまに感謝するという意味あいが含まれているんです。
 お願いするときに「この願いごとを、大好きなおじいちゃんやおばあちゃんはどう思うだろうか」と自分のこころに問いかけてみると、自ずと我欲の少ないお願いごとになっていることに氣づくのではないでしょうか。

鳴海 神さまは、やさしいおじいちゃん、おばあちゃんのような存在だと考えると、とてもわかりやすいし、親しみもわいてきます。

吉川 神前での作法についても、神職が神事をおこなうときには、決められた作法、立ち居振る舞いを厳粛に守りますが、経験を重ねるごとに、作法を守りながらも無駄な動きがなくなり、まるで神さまと遊んでいるかのような、舞を舞っているかのような振る舞いになってくるんです。そうした姿は、はたからみても「美しさ」を感じます。

鳴海 黄金比や白銀比にもみられるように「自然界の摂理にかなったものは美しい」というのは、宇宙の法則なのでしょう。

吉川 神道の基本が「祓い清め」にあることも、美しさに通じますね。人間は神さまの分け御魂なので、生まれながらにして完璧で清浄な存在です。日々の悩みやストレスなどで、そうしたことを忘れてしまっている状態をお祓いやお清めで元の姿に戻していくテクノロジーが、神道の
独自性とも言えるでしょう。
 神社は、そのテクノロジーが機能している「場」でもあるので、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くような氣持ちで、こころをゆるめてリラックスしてお参りいただけたらと思います。
 
 次号の後編では神道の持つ宇宙観や人間観などについてお話を伺います。
 どうぞお楽しみに!!
 
 

プロフィール

吉川 竜実さん

伊勢神宮禰宜、神宮徴古館・農業館館長、式年遷宮記念せんぐう館館長。
大阪府生まれ。皇学館大学大学院博士前期課程修了、平成元年から
伊勢神宮に奉職。
平成31年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、
令和元年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。
平成29年、神道文化賞受賞。
著書に『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(サンマーク出版)
などがある。

 

 

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