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【vol.19】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道大沼編


 私どもの会社がある乙部町から、車で約1時間のところに、静岡県・三保の松原、大分県の耶馬渓(やばけい)と共に新日本三景に選ばれた、大沼国定公園があります。今回は、もうすぐ紅葉を迎える大沼を訪れてみました。

 年間260万人もの観光客が訪れるという、大沼国定公園。
湖畔の美しさと、その向こうに見える雄大な駒ケ岳の絶妙なバランスは、まるで絵に描いたような景観です。

もともとは道もない湿地帯が広がっていたそうですが、1903年に鉄道が開通してから、列車に乗って来る人たちが増え、観光地としても親しまれるようになったとのことです。

周囲約24の大沼には、126の小島が浮かび、18の橋がかけられていて、景観を楽しみながら散策が出来るようになっています。
「大沼といえば『大沼だんご』よねぇ。」
「『大沼だんご』はホント美味しいのよ。」
「私もここに来たら絶対買って帰るの。」
大沼を歩いていると、あちらこちらからそんな声が聞こえてきます。

大沼に来ると誰もが買って帰るという「大沼だんご」は、大沼が道立公園に指定された1905年に、堀口亀吉さんが製造を始めた大沼の名物団子です。

大沼と共に100年を歩んできた「大沼だんご」の沼の家さんを訪れ、堀口亀吉さんの曾孫さんにあたる、4代目の堀口愼哉さんにお話を伺いました。

4代目の堀口愼哉さんは、大沼生まれの大沼育ち。東京の明治大学を卒業後、1980年に家業を継ぐため大沼に戻ってきたそうです。

「この辺は子供の頃からまったく変わっていませんね。手付かずの自然がたくさん残っているんです。きっと100年前も、いや、きっとそのずっと前からこの景観は、人々の心を癒してきたんだと思います。」

初代堀口亀吉さんは、もともと函館からの乗合馬車業を経営していたそうで、少しずつ観光客が増えつつあった大沼に、観光土産や、観光客が気軽に休憩出来るところがまったくなかったことから、「せっかく来てくれた人たちにお茶を飲みながら、だんごでも食べさせてあげたい。」と思い、現在地に「大沼だんご」を創業しました。当時は観光客が急激に増加していた時期でもあり、店舗の他、大沼駅でも販売を始めたそうです。

「うちのだんごは串に刺していません。これは、駅弁のように折箱に入れることで食べやすいように、という思いと、だんごの折で大沼湖、小沼湖を表現し、串に刺さないだんごで湖面に浮かぶ126の島々に見立てて作った、という初代亀吉の風流心の表れでもあるんです。亀吉は、文化的なことにも関心が深かったので、俳句の会も結成しました。」

現在「大沼だんご」のパッケージにも使用されている「花のみか もみじにも このだんごかな」という俳句は、俳人三秋のひとり、花本聴秋から贈られてきたものだそうです。

「3代目にあたる私の父は、80歳を超えた今でも元気に仕事を手伝ってくれています。父からは『ほどほど』ということを子供の頃からよく言われました。

これは、父が初代亀吉から言われた『何事も腹8分目。自分の能力にあったことをしなさい。』という、沼の家の家訓なんです。私どもが扱っているだんごは、創業以来変わらない、とてもシンプルな食べ物です。だからごまかしが効かないんです。そして、地元のお客様が圧倒的に多い、ということは、いつも気が抜けない。緊張感があるんです。

先日も80歳を過ぎたくらいのおじいさんが『ここのだんごは子供の頃から遠足なんかでよく食べたよ。本当に懐かしい味がするねぇ。美味しい、美味しい。』と言って買っていかれました。嬉しいですよね。
家族でやっているような店だから、だんごを作った人が店に立って接客もするし、掃除も、後片付けもすべてやります。だからこそ、直接お客様の声を聞いて商売が出来るんだと思います。これからも、着実に日々を重ねて、少しでもたくさんの方に喜んでいただきたいですね。」

四季を通じて自然の美しさを堪能できる大沼国定公園。これからは、1年で最も観光客の増える紅葉の時期を迎えます。

100年間大沼の自然と共に歩んできた「大沼だんご」は、これからも自然の美しさと共に、訪れる人たちの心を癒してくれることでしょう。

 今回のぶらり旅は「大沼だんご」の沼の家さんに、多大なご協力をいただきました。どうもありがとうございました。

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