head_id

【vol.25】鳴海周平の全国ぶらり旅|静岡県編


 岐阜県の長良川、高知県の四万十川と共に、日本の三大清流に挙げられる静岡県の柿田川。
 雪解けと共に、豊かな自然がいっそう美しい季節となった静岡県清水町と、淡島を訪れました。

 静岡県沼津市と三島市のちょうど中間に位置する清水町は、文字通り柿田川を中心とした「清水の湧く町」です。日本の三大清流のひとつでもある柿田川は、静岡県東部地域約35万人の飲料水や工業用水として、この地域の人たちの暮らしを支えています。

 柿田川の自然保護活動に30年以上も関わっているという「柿田川自然保護の会」「柿田川みどりのトラスト」両団体の会長でいらっしゃる漆畑信昭さんにお話を伺ってみました。

「柿田川はきれいな川でしょう。ここは富士山の伏流水が、長い年月をかけて40キロも離れたこの町まで旅をしてから湧き出す『湧水河川』で、そのまま飲むことが出来るんです。渓流にいるはずのアマゴが泳いでいたり渓谷にいるはずのヤマセミやアオハダトンボが生息していたり、鮎が越年をして話題になることなども、すべてこの豊かな自然のおかげでしょうね。」

 柿田川付近の地下には溶岩などが何層にも重なっています。富士山の土壌に住むバクテリアの濾した水が、この岩の層でも濾過され、さらに鉱物のミネラル分が混ざり込むために良質の水になるのではないか、とのことでした。

 こうした素晴らしい柿田川の水質と、美しい景観は、今では当たり前のようになっていますが、高度経済成長期には、幾多の危機があったようです。
「1975年に県営水道施設工事があったんです。この工事で柿田川上流の木が伐採され、ショベルカーが川底の砂をどんどん掘り起こしていきました。本当にショックでしたね。心の故郷が壊されてしまう!と思いました。そこで急遽、友人や近所の皆さんに声をかけて『柿田川自然保護の会』をたちあげたんです。早速、柿田川保護の請願書を提出して、市民募金を募り、川周辺の土地を買い上げていきました。」

 経済活動が優先とされていた当時から、一貫して自然保護の運動を展開してきた漆畑さん。その原動力は、柿田川に寄せる熱い想いにありました。
「私は遠洋船の1等航海士でした。一度航海に出ると半年は戻って来られない。航海から地元に戻って、疲れを癒してくれたのがこの柿田川だったんです。だから『自然の姿をそのまま残しておきたい』という想いも人一倍強かったんでしょうね。活動の成果が実って、今では川周辺部の95%以上を買い上げることが出来ました。豊かな自然をそのままの姿で後世に残していくことが、私たちの役割だと思っているんです。」

 水の大切さ、自然の大切さを、柿田川をとおして全国に伝えていきたい、という漆畑さんの情熱と、地域の環境がこうして住民の熱い想いで保護され続けている現状に、たくさんの勇気をいただきました。

 清水町から車で約40分ほどで、富士山が一望出来る淡島に到着します。内浦湾と駿河湾に接するこの島にも、昔からの自然がそのままの姿で残っています。

 淡島から望む内浦湾に1978年まで公開されていたという「海底ハウス」があります。「海の中で暮らす」という人類初の試みとして注目を集めたこの「海底ハウス」で、実際に生活していた田中清一郎さんに当時のお話を伺うことが出来ました。

「海底ハウスは、父の和栄が1968年に完成させたものです。愛媛でみかん農家の後継ぎとして育った父でしたが、小さい頃から海が大好きで、潜ってばかりいたそうです。先祖代々続くみかん農家でしたから、父が「海底ハウスを作って、そこで暮らしたい。」と言った時には、親戚中から総スカンをくらってしまい、一家で愛媛から出て行かなくてはならないことになってしまいました。当時幼稚園に通っていた僕も、一緒に横浜へ引っ越すことになり、横浜を拠点にしながら、静岡県沼津市の沖合いに『海底ハウス』の設置を始めたんです。」

 当時すでに海中での生活実験に成功していたお父さんの和栄さんは、息子の清一郎さんを何度も海底ハウスへ誘ったそうです。

「でも、10メートルの深さまで子供が潜って行くというのは、何だか怖いんですよね。何度もイメージトレーニングをして、ようやくハウスに入ることが出来たのは1年も経ってからでした。テレビや電子レンジ、冷蔵庫、ソファーに絨毯まで完備された空間でしたから、地上の家とほとんど変わらなかったですね。でも海中ですから、窓の外の景色だけはまったく違うんです。水族館の逆のようなイメージで、魚たちが僕ら人間を珍しがって観に来るんです(笑)。

 ここに泊まると夜の魚たちの素顔と出会えます。真っ暗な海中で光っている建物があるわけですからね、魚たちからは竜宮城みたいに見えたのかな(笑)。」

 数え切れない魚たちでしたが、清一郎さんはその魚たちに1匹ずつ名前をつけられるほど、親しみを覚えていたと言います。

 そんな魚たちやイカ、貝までが、いっせいに満月を見ていた夜は、とても感激したそうです。

「満月の夜には、魚たちも月見をするんだな、って思いました。皆ひとつの所から動かずに、じっと月を見ているようだったんです。あの夜の、何とも言えない感激は、忘れられませんね。他にも、窓の外を眺めていたら、自分が窓そのものになってしまったような不思議な感覚に陥ったことがありました。時が経つのも感じない、暑くもないし、寒くもない、息をしていることだけがかすかに感じられるような『無』の感覚です。気付いたらもう4〜5時間経っていました。竜宮城から戻った浦島太郎は、こんな感覚だったのかなあ、と思いましたね。これは地上とは違う条件におかれたために起こった現象なのかもしれませんが、海水は母親のお腹の羊水と同じ成分だって言いますから、母なる海の中では不思議なことではないのかもしれません。」

 幼少の頃から、こうした貴重な体験を通じて豊かな感性を育んできた清一郎さんは、その原点ともいえる「海底ハウス」の再興に取り組み始めています。

「昨年の秋、僕は28年ぶりに『海底ハウス』と再会を果たしました。フジツボなどで覆われたハウスをきれいにしながら、窓を覗いてみました。中は真っ暗で何も見えませんでしたが、この窓のところで魚たちと話をしたんだな、一緒に月見をしたんだな、といろんな思い出がどんどんよみがえってきて、涙が止まりませんでした。そして、少年時代の日々を優しく包んでくれたハウスとの再会は『海底ハウスの復興』という、ひとつの大きな目標を僕に与えてくれたんです。
今、構想を練っている『海底村』が、海を守る基地のような存在として世界中の人々に知られるようになったら、地球の自然環境保護という問題にも関心をもってくれる人が増えるかもしれません。『母なる海』は、生き物すべてのルーツでもあるのですから。」

 清一郎さんが描く「海底村」の構想は、今や国会議員や県議会議員、市議会議員の皆さんをはじめ、多くの団体の賛同を得て一歩ずつ実現に近付いています。

 柿田川の自然保護活動、そして海底村の構想。今回ご縁をいただいたお二人の活動は、私たちの生命の源である「水」に直接関わっているものです。

 お二人の情熱に、自然の恵みのありがたさを改めて感じさせていただくと共に、たくさんの元気と勇気をいただきました。

right_toppage

right_01健康対談ラジオ番組月刊連載

right_02 right_news right_02-2 right_03 right_04 right_06 right_05 right_07 right_07

bnr_npure

bnr_kenkotime

ブログ・メールマガジン