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【vol.28】鳴海周平の全国ぶらり旅|青森県編


 りんごとにんにく、共に日本一の収穫量を誇る青森県には、奥入瀬や十和田湖など自然豊かな多くの観光スポットがあります。
 自然が見せてくれる芸術「紅葉」の時期を迎えた青森県を訪れました。

 最寄りの駅(といっても車で約2時間かかります…)がある函館市から、JRで約2時間。青函トンネルを越えると、青森県に到着します。距離的にはさほど遠くないものの、津軽海峡を越えるという心理的な遠距離感からか、ずいぶんと長旅をして来たような感じです。

 小雨が降っていっそうの情緒が醸し出される中、先ずは手つかずの自然がそのまま残されているという奥入瀬渓流を通って、十和田湖へ向かうことにしました。

「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」と讃えた明治時代の文人・大町桂月の名にちなんでつけられたという地元を代表する温泉宿「休屋桂月亭」。十和田湖畔に建つこの宿のご主人小笠原雅彦さんは「奥入瀬渓流を歩行者天国にしよう」「奥入瀬に翡翠の流れを取り戻そう」といった十和田・奥入瀬の環境保全活動にも精力的に携わっています。

「奥入瀬渓流は自然豊かな景観に沿って、約14の遊歩道が続いています。全部歩くと5時間はかかるかな。半日歩くのはキツイということで、1時間ほどスポット的に歩かれる方が多いですね。皆さん『きれいだねぇ。』って仰るんですが、十和田湖からの水量が増せば、もっと十和田湖の色に近い『翡翠の流れ』になるはずだと思います。現状、奥入瀬の色は『青みがかった灰色』です。」

 言われてみると、確かに流れの穏やかなところでは「青みがかった灰色」がはっきりとわかります。

「十和田湖の水は、現在2つのことに使用されています。一つは奥入瀬渓流。もう一つは水力発電です。この2箇所への放水量は、子ノ口制水門からは毎秒5・56トン(最大値)、青ブナ取水口からは毎秒20トン(最大値)と定められています。つまり奥入瀬渓流に流れているのは、水力発電の4分の1に過ぎないんですね。これは昭和12年に決められた『河水統制計画』で、明確な根拠がなく決められた数字らしく、もう70年以上もそのままの状態が続いています。

 渓流の流れを気にするようになってから、ずいぶんときれいな色をしている奥入瀬を見かけたことがあるのですが、後で調べたらこの時は、季節ごとに決められている基準水位を大きく上回っていたため、一時的に放水量を増やしていたらしいのです。あの時の色は、十和田湖のような本当に深い藍色に近い『翡翠の流れ』でした。

 この時の経験から『本来の6トンぐらいの水量になったら、奥入瀬は「翡翠の流れ」を取り戻せるんじゃないか』と思ったんです。」

「本当に深い藍色だ!」

 十和田湖に着いて、小笠原さんのお話を深く実感しました。奥入瀬渓流も本来は「十和田湖の深い藍色に近づく翡翠の流れ」のはず。いっそう素晴らしい景観になることは間違いありません。

「こうした環境保全意識の高まりがきっかけとなって、青森県の河川砂防課が奥入瀬渓流の毎秒6トンの流れを検討する事を約束してくれました。既に決められている事を変更するというのは、関係諸機関との調整など様々な問題があったかと思います。青森県の英断に感謝です。」

 なお試験放流は2008年春にも行われる予定との事。十和田湖畔でのトレッキングやアウトドアクッキング、音楽鑑賞会など、十和田・奥入瀬ならではの自然を満喫する企画を次々と実現している小笠原さんの想いが、またひとつ現実になりそうです。

 小笠原さんのお話を伺いながら十和田湖畔で日暮れを迎えた後、八甲田山へ向かいました。目指すは300年の歴史を誇る秘湯「酸ケ湯温泉」。鹿が傷を癒しているのを地元の人が見て発見されたことから「鹿湯」となり、そこに東北地方独特のなまりが加わって「酸ケ湯」になったと言われています。

 夕方から外を歩いていて冷えきった身体を、酸ケ湯温泉・専務の逢坂光夫さんが温かく迎えてくれました。

 逢坂さんは昭和28年から酸ヶ湯温泉に勤務。以来半世紀以上、酸ヶ湯の歴史を見つめて来られました。

「ここの温泉名の由来にはもう一つの説があります。お湯を舐めていただくとわかりますが、とにかく酸っぱい。目に入るとヒリヒリするくらいです。一般的に湯治(温泉療養)は、効果が現れるまで『ひと回り1ヶ月間』と言われますが、酸ヶ湯の場合は『3日ひと回り、10日で三回り』と言われるほど、泉質が強いんです。先ずは温泉に入って、ゆっくり温まってみてください。」

 お言葉に甘えて早速名物の「ヒバ千人風呂」へ。昔ながらの総ヒバ造りの大浴場は、広さなんと畳160枚分!ただただ圧倒されます。ブナの原生林に抱かれた大浴場では、混浴も自然な感覚です。

 「す、酸っぱい!!」

 ひと舐めして、あまりの酸っぱさに驚きました。「かぶり湯」で頭からお湯をかぶると目が開けていられないほどに沁みてきます。なるほど、酸っぱい湯で「酸ヶ湯」というのも、相当有力な説ではないでしょうか。

「いかがでしたか?身体の芯まで温まるでしょう。私はもう50年以上も毎日浸かっていますからね。おかげで元気そのものです。」

 そう仰る逢坂さんの顔色は、健康そのもののピンク色。肌もツヤツヤです。
 半世紀にわたって逢坂さんが体験して来られた酸ヶ湯の歴史についてお話を伺うことが出来ました。

「勤めた当時(昭和28年)は、就職難で仕事探しが大変だったんですよ。そんな時代に、毎日温泉に入れる仕事があるって聞いたものだからすぐに決めました。(笑)年配の人が多かった温泉場で、いちばんの若手。二十歳そこそこでしたからね。先輩達にずいぶんと可愛がって貰いました。とりあえず腰掛けのつもりで勤めたはずが、居心地の良さに『もう少し、もう少し』と、気付いたら50年以上経ってしまいました。(笑)

 昭和58年から通年営業が始まりましたが、それまで冬は休まざるを得ない環境でした。11月から2月いっぱい迄冬期休業です。でも休業といっても雪降ろしや設備の維持管理、自家発電の水車も回さなくちゃいけない。越冬隊が15〜20人残って、冬篭りをするわけです。お客様も春の開業が待ち遠しくて仕方がないらしく、3月になるとワーッと押し寄せるようにいらっしゃる。FAXもない時代だし、電話も1本しかないから、予約無しで来てしまう方も大勢いました。春はまだ雪が残っていますから、馬そりで1日がかりです。こんなに苦労して来てくれたお客様に『満室です』とお帰りいただくわけにもいかず、大広間や廊下まで解放してお泊りいただいたものです。」

 当時のままの廊下に立ちながら逢坂さんのお話を伺っていると、その時の様子がありありと浮かんできます。

「やっとの思いで這うようにして来られた方が、帰りにはサッサと走って帰られる、という光景を何度も見てきました。皆さん、本当に嬉しそうにお帰りになるんです。

 こうした人間本来の自然治癒力を高める『湯治』という療法が認められ、酸ヶ湯は数ある全国の温泉の中でモデルケースとして『国民温泉第1号』に指定されました。
『八甲田の自然と共に素朴で美しくありたい』という創業当初から受け継がれている理念を、これからの世代にもしっかりと継承していくことが、お客様に対する何よりのサービスではないかと思います。」

 今でも家に帰るのは週に2日。5日間は宿に寝泊りをしているという逢坂さんに、本当の「おもてなしの心」を学ばせていただきました。

 昨夜宿に入ってからひと晩中降り続いていた大雨が一転。清々しい朝の日差しの中「酸ヶ湯温泉」を出発し、東北三大祭りのひとつ「ねぶた祭り」の迫力をそのまま伝える「ねぶたの里」へ向かいました。

 八甲田山麓から青森市内へ向かう途中にある「ねぶたの里」で、営業部長の工藤市正さんに、ねぶたの由来などについて伺いました。

「昔、農作業の忙しい夏に、労働の妨げになる眠気を灯籠に乗せて流す『眠り流し』という行事があったそうです。青森では眠い時に「ねぶたい」と言いますから、名前の由来はおそらくここから来ているのではないでしょうか。この灯籠流しに、七夕の行事を合わせたものが「ねぶた祭り」になったのではないかと言われています。ねぶたの語源にはいろいろな説がありますが、現在もっとも有力視されているのがこの『眠気流し説』ですね。」

 実際に使われた大型ねぶたを曳くことが出来る「運行体験ショー」は、連日多くの体験希望者が訪れる人気の催しとの事。「ねぶた囃子」に合わせて跳ねる様子は、本番の迫力が充分に伝わってきます。

「8月1日の前夜祭から約1週間の祭り期間で、350万人もの観衆が訪れます。20台以上の大型ねぶたが豪華さを競いながら街を練り歩く様は、本当に見応えがありますよ。是非本番の『ねぶた祭り』にもいらしてくださいね。」

 工藤さんの熱い語りに、8月のスケジュールを思わず確認してしまいました。北国の夏を熱くする「ねぶた祭り」。歓喜と情熱溢れる現地ならではの雰囲気を、是非味わってみたいと思います。

 奥入瀬、十和田湖、酸ヶ湯温泉、ねぶた祭り。青森を代表するそれぞれの観光地で感じたことは「自然と共にある」ということ。

 休屋桂月亭の小笠原さんが仰った「自然を操作しようなどと思い上がらず、謙虚に、畏れを以って自然と向き合う」という言葉に、今回の旅で感じたすべてが凝縮されているように思いました。

 取材にご協力いただきました皆様に、あらためまして感謝申し上げます。

 どうもありがとうございました。

森の神様

 奥入瀬渓流沿いの道から南八甲田山へ少し入ったあたり。草木がうっそうと生い茂る中、なぜか人が通れるくらいの小道が出来ています。「こんな山奥に1本の小道?」何だか不思議な光景です。その小道を200メートルほど進んだところに「森の神様」は存在していました。

 高さ42メートル、幹周り6メートル、推定樹齢400年という、日本一のブナの巨木です。
「樹木の先端部にある幹が3本に分かれている形状の巨木は、昔からきこりの間で“神様”としてあがめる風習があったらしいんです。その証拠に、蔦ものが全部切られているでしょう?栄養がよそにとられないから、400年経っても空洞化していない。実に若々しいんです。」

 小笠原さんの話を聴きながら、日本人は昔から自然そのものを「八百万の神々」として敬ってきた民族であることを思い出しました。「森の神様」へ続く1本の小道も、人々が長い間通って出来た信仰心の証だったのかもしれません。

 「森の神様」に、自然を敬ってきた先人達の想いを感じさせてもらいました。

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