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【vol.38】こころとからだの健康タイム|ゲスト 坂東 元(げん) さん〜前編〜


 動物が本来持っている生き生きとした姿を観察することができる希少な動物園として、全国的な注目を集め続けている北海道旭川市の「旭山動物園」。
 「行動展示」と呼ばれる園内の施設はすべて動物の立場になって設計した、という坂東元園長にお話を伺いました。

今回は前編として、おもに旭山動物園に勤務されるまでのお話を掲載します。

鳴海 周平(以下 鳴海) テレビや書籍などでいつもご活躍を拝見していますので、もう何度もお会いしているような気持ちで伺いました。
今日は坂東園長から「動物から学んだ生命の尊さ」や「これからの動物園の理想像」などをお聞かせいただけたらと思います。よろしくお願いします。

坂東 元園長(以下 坂東) こちらこそ、よろしくお願いします。
 よく「旭山動物園の成功の秘訣は何ですか?」と聞かれるんですが、じつはあまり「成功」というのを意識したことはないんですよ。僕はただ動物の気持ちになって施設を設計しただけ。僕がヒョウだったら…、アザラシだったら…、ペンギンだったら…。そしてどんな施設にしたら彼らが喜んでくれるだろうか、という観点から構想した。それだけなんです。

虫に夢中だった子供時代

坂東 僕はここ旭川で生まれたのですが、父が金融関係の仕事だったのでしょっちゅう転校していました。1歳の時に新潟へ行き、それから広島、京都、小樽と小学校だけで4回も変わりましたから、なかなか友達もできない。いじめにもあいました。もともとの頑固な性格のためか、先生にも可愛がってもらえないんです。ただそんな中でも幸運だったのは、父の転勤先がどこも地方の小都市で自然がたくさんあったこと。神社の境内や雑木林に出かけては虫の観察に夢中になっていました。虫を見ていると、僕自身がそのままその虫になってしまうんですね。いじめを受けていたことで、自然に虫の立場になって考えるようになっていたのかもしれません。だから虫に熱中していたこと以外では、子供時代あまり楽しい想い出がないんですよ(笑)。

鳴海 「相手の立場になりきって考える」という習慣は、子供の頃から身についていたことだったんですね。それぞれの土地で、どんな生き物との出会いがあったのでしょうか?

坂東 幼稚園の頃住んでいた新潟では、いろいろな生き物が家の中で放し飼いになっていました(笑)。セミやトンボ、コガネムシ、カナブン、ザリガニ、カエル、ゼニガメ、ドジョウ、イモリ、ヤモリ、トカゲなどなど…。今考えると、もうたいへんな状態だったと思いますが、両親はひと言も言わなかったですね。むしろ母は一緒に楽しんでくれていたのかもしれません(笑)。
 母からもらった古いがま口財布でゴキブリをふ化させたり、セミの幼虫をとってきて家の網戸で羽化させたり。京都では、蜂の大群に襲われたり、ミズカマキリを捕まえようとして肥だめに落っこちたこともありました(笑)。カブト虫にも夢中になりましたね。卵から幼虫、そしてサナギと育っていく過程で、幼虫の時の環境が成虫になってからの大きさや形を決めることもわかりました。
 ふ化や羽化の時って、本当にワクワクするんですよね。小さい虫が一生懸命に生命の神秘を見せてくれているようで…。

鳴海 お話を伺っていて、小学生の頃にセミの幼虫探しやカブト虫の羽化に夢中になっていたことを思い出してワクワクしてきました(笑)。
あんなに気持ちが動いたのは、きっと生命の神秘に触れていたからなのでしょうね。

坂東 京都で肥えだめに落ちた時に助けてくれた農家の方が「虫は偉いんだ」と言っていました。ヒトが誕生したのはほんの数百万年前だけど、虫は4億年前から地球にいた大先輩なんだ、って。強い恐竜は滅びたのに小さな虫たちが生き延びてこられたのは、変化に対応できたからなんだ、ということも教えてくれました。

虫の時代から鳥の時代、
そして獣医への道

坂東 小樽に住んでいた中学の頃からインコを飼い始めました。最初は手乗りに育てた1羽のオス。その後メスを飼って繁殖させました。ヒナが産まれるとまた手乗りにして増やす。基本的には放し飼いなので、そのうちゲタ箱やロッカーなどに巣を作りだし、あっという間に10羽以上が家中を乱れ飛ぶようになりました(笑)。でもフンまみれになっていた記憶がないので、きっと母がきれいに掃除をしてくれていたんだと思います。
 小さい頃から生き物に夢中になっている僕を、何も言わずただ見守ってくれていた両親には本当に感謝しています。

鳴海 寛容なご両親のもとで豊かな感性を育んでこられたことが、今の旭山動物園につながっているんですね。
 でも、それだけたくさんの生き物を飼っていて、目が行き届かなくなることはありませんでしたか?

坂東 不注意で死なせてしまったことは何度もありました。一番なついていたインコは僕が寝ていた布団の側で寝ていたらしく、たたんだ布団に一緒に巻き込んでしまったんです。夜に布団を敷こうと思ったら、硬くなって横たわっていました。冷たくなってしまったインコを手にのせて「あんなに元気に僕の肩で遊んでいたのに」と思うと、本当に辛くて胸が痛みました。それまでいろいろな生き物を飼ってきましたが「生き物が死ぬ」ということを本当に実感した出来事だったと思います。
 何かにぶつかって骨折してしまう鳥もいました。その時初めて獣医のところに連れて行ったのですが、レントゲンを撮って注射を打ち、足も羽も包帯でぐるぐる巻きにしてしまい「はい、このまま2週間」と言って高い代金を請求されました。僕は無性に腹が立ちましたね。「こんなんで治るわけがない!」と直感しました。案の定身動きがとれない鳥は、結局そのまま死んでしまいました。もう獣医なんかに任せておけない、と思った僕は鳥に関する本を読みあさって「プラスチックの板をあてテープで固定しておけば治る」ということを学び、骨折ぐらいだったら治せるようになりました。今思えばこの時のことが、獣医としての道を歩み始めたきっかけになったのかもしれません。
鳴海 獣医に任せておけなくて、自らが獣医になってしまったわけですね。
インコを診てもらった獣医さんのように、他人事として事にあたっているとなかなか本当の解決方法を見いだせないのかもしれません。坂東園長は小さい頃から虫の立場になったり、鳥の立場になったりして、まるで自分のことのように生き物に接してきたからこそ、豊かな感性が磨かれていったのでしょうね。

坂東 それぞれの生き物の立場になって考えると、いろいろなことが見えてきます。
例えば「安楽死」についてですが「安楽死はしない」という獣医は案外多いんですね。「いのちは大切だから」という理由で、死をオブラートにくるんでしまうわけです。でも自然界ではどうでしょうか?ケガをしたり病気をしている生き物は、すぐに他の動物に食べられてしまいます。ハンディを負ったらすぐに間引かれるという摂理の中で、それ以上苦しむことなく自然界の一部として還っていく。もちろん治る見込みのある場合は別ですが、手の施しようがない場合はライオンなどに代わって厳粛な自然界のルールに従うことも必要だと思うんですね。これは勉強してそう思ったのではなく、小さい頃からたくさんの生き物を飼ってきた経験から確信したことです。

鳴海 確かに野生の動物たちは「弱肉強食」という自然界の摂理の中で、皆それぞれギリギリのところで生きているんですよね。「死=可愛そうなこと」ではなくて「全体の一部として自然界に還る」という観かたの方が自然なことなのかもしれません。

坂東 僕たちヒトも生態系の一部だと考えると、野生動物という異種の存在が本当に愛おしく思えてきます。
 僕はどうして獣医になったんだろう、ってあらためて考えると「自分とは違う生き方、感じ方をする生き物の存在を知って、自分自身もまた生態系の一部であることを知るため」じゃないかと思うんですね。
 動物園には、自分とは違う生き方、感じ方をする生き物がたくさんいて、いつも彼らの凄さに感動を覚えます。

鳴海 「旭山動物園の動物たちはどうしてこんなにいきいきと動くんだろう?」ということがよく話題になりますが、これはきっと坂東園長の「異種の存在を尊いと思う気持ち」が施設の作り方に表れているからなのでしょうね。

旭山動物園へ勤務

鳴海 坂東園長が旭山動物園に勤務されたのは1986年とお伺いしました。当時は閉園の噂も出ていたほど、お客さんの少ない状況だったとか。

坂東 ちょうど獣医に1名空席がでた、ということでお誘いを受けました。おっしゃるように閉園の噂も出ていたほどの動物園でしたが、僕にとっては動物と向き合って生きていけるならどんな仕事でもよかったんです(笑)。
 勤務初日、飼育係の人たちがいる部屋に行ったら皆無言でブスっとしているんですよ。僕は10年ぶりの新人だったらしく、動物たちより珍しく見えたのかもしれません(笑)。
 飼育係になろうという人は、僕と同じで人間嫌いの人が多い。職人気質の堅物なんです。でも根はとても純粋でいい人ばかり(笑)。
 いちばん驚いたのは野生動物たちの凄さでしたね。ライオンやオオカミが手の届く距離にいる!その気配だけで圧倒されてしまうんです。それぞれが醸し出す独自の迫力、魅力にはすっかりやられてしまいました。
鳴海 それまでにもたくさんの生き物に接してきた坂東園長がそう感じるくらい、野生動物というのは独自の雰囲気、迫力を持っているんでしょうね。

坂東 僕が勤務した年にヒグマの子が保護されてきたことがありました。母親は人家に近付いたために猟銃で駆除されてしまったのですが、そばにいた小熊があまりにも小さかったので不憫に思い、そのまま連れ帰ってきたとのことでした。僕はその小熊を抱っこして、ミルクをあげました。今まで飼っていた生き物と同じように、きっとすぐになついてくれるだろうと思って…。ところが、まったく飲まない。飲むそぶりすら見せないんです。しびれをきらして、ちょっとの間部屋を離れて戻ってきたら、ミルクはもうすっかり空になっていました。ショックでしたね。「これが野生なのか!」と思いました。
 でもよく考えてみたらこれって当然のことなんです。食べる側と食べられる側が常に混在している自然界では、他の生き物に気を許すなんてことはあり得ない。相手に依存した瞬間に野生では生きていけなくなる、ということを小さいながらに本能でわかっているんですね。餌を与えたらなついてくれるだろう、という僕の思いあがった考え方がとてもはずかしく思えました。
 ケガをした野鳥が保護されてきた時も、餌をまったく食べようとしませんでした。そしてそのまま食べずにあっさりと死んでいきました。
「食べればいいのに…。食べたら元気になるのに…。」という僕らの思いと、野生の生き物たちの思いはそれだけ違うんです。
 僕たちは「鳥は空を飛べるからいいなあ。気持よさそうだなあ。」と思いますが、鳥からしてみたらそれは「生きるために飛んでいる」だけなんですね。
 僕はヒグマの子や野鳥たちに「野生とはどういうことか」を教えてもらいました。「野生動物はペットじゃない。だからペットとして見ると本質がわからなくなってしまう」という旭山動物園の基本的な考え方は、こうした経験に基づいているんです。

鳴海 ヒトと野生動物では「死生観」というもっとも根本的なところから、これだけ考え方が違うんですね。
 まったく異なる生き物だから素晴らしい、とおっしゃる坂東園長の言葉が実感としてわかるエピソードです。
坂東 こんなに凄い動物たちを、動物園という施設の中で皆さんに知ってもらいたいという想いが「ワンポイントガイド」や「もぐもぐタイム」という形になりました。
「公務員の常識から外れた動物園だ」という評価を、とてもありがたく拝聴しています(笑)。

坂東 元・プロフィール

1961年北海道旭川市生まれ。旭山動物園園長・獣医師。
酪農学園大学獣医学部修士課程卒業後、1986年から旭山動物園に勤務。飼育展示係長、副園長を務める。
「動物たちに本当に生き生きと過ごせる空間で生きてほしい」という動物への想いと「どうしたら人が本当にゆったりと満足してもらえるか」という人間の、両方の視点を大切にした動物園創りを目指している。

著書に「旭山動物園へようこそ!−副園長の飼育手帳・初公開写真」(二見書房)「動物と向き合って生きる」(角川学芸出版)「夢の動物園−旭山動物園の明日」などがある。

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