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【vol.42】ときめきの富士|秋彩に湧く雲 ~湖畔が色に満たされる11月の朝 河口湖より~




河口湖の紅葉は湖畔に群生し、約1ヶ月かけて湖畔を彩ってゆく。湖は富士山の真北に在る。朝は左からの太陽が山と樹々に強い陰影を作り、昼は真上から全域を照らし、午後は右に移った太陽が柔らかな光陰をつくる。

空は澄み、湖は輝きを増す時季がやってきた。そして午前中は光を受けた雲が西から東へと旅をする。様々に形を変えて。

イメージが広がると心が騒ぐ。そしてシーンに逢いに行く。心に描いたシーンが待っている。視界の全てを受けとめて、風の匂いを聴いて心身を大気に浸す愉悦は他に変え難い。

今日も富士山に感謝無限大  ロッキー田中


富士山が教えてくれた幸運の法則 その2

常識の先へ

27年間お世話になったサラリーマンから独立して、大好きな富士山で生きて行こうと思ったのは40代の後半です。

頭に浮かんだのは、営業マン時代に沢山の会社を訪問した時、通された社長室や応接室には、富士山の絵が飾ってあった事です。

富士山はいいなあ、日本人みんなが大好きだし。この道で生きて行きたいなあ。「待てよ、富士山の写真で生きている人っているだろうか」という素朴な疑問が首をもたげました。

調べてみて分った事があります。上手な人は沢山いる、永年撮っている人もいる、地元の名人もいる。けれど誰一人としてその道でご飯を食べている人がいないのです。趣味の延長かセミプロでしかない。

これだ!

誰もやった事のないこの道に夢がある!
 
49歳の誕生日が来る前に、私は辞表を提出しました。周りの人達は引き止めてくれました。それは予想通りの反応です。

「写真撮りたけりゃ60歳過ぎてからでいいじゃないか」「こんな天国みたいないい会社無いよ」「写真で食って行けないよ」
 
これらは全てが常識の世界です。彼らは冒険をせず、壁の向こうを見ようともせず、常識の中に身を置いている人達です。私は創造の世界に於いて常識ほどあてにならないモノは無いと日頃から感じていました。

そしてイザという時に、常識ほど自らを助けてくれないモノは無いという確信が有
りました。

だって全ての世界は自分が創るのだし、今目の前に広がっている世界は、自分がこう在りたいという思いや選択の反映だから。そして言われる度に勇気が湧き、全てこう聞こえたのです。

「皆の言う通りにしなければ成功する。夢は常識を無視した世界で待っている。」と。

1996年6月1日、私は世界で唯一人の『ときめきの富士の写真家』を宣言してプロの道を歩き始めました。敢えて「富士山の写真家」という宣言はしませんでした。それは常識だし、宣言した人は沢山いるし、しかも誰もプロに成り得ていないからです。

まして「富士山の写真家」と言ったら山岳写真を連想します。又、富士山に登って「じっと耐えながら撮り続ける凄い生き方」という見方に直結します。私の生き方ではありません。

独立した時にこれを一切考慮に入れませんでした。そして誰もやらないやり方で、誰も見た事の無いシーンを世に出す事にしました。その生き方は今でも不変です。

・心の中に99の逢いたい景色を創る。あと1つは永久に未完成。
・山の麓で待たない。富士山から  離れた東京にいて、山が呼んだら逢いに行く。
・逢いたいシーンが出現する1時間前にピンポイントでその場所に立つ。
・特別な条件を除き、晴れた日には富士山に行かない。行くのは天気の変わり目の時。

何日も山麓でカメラを構えて待機する、車を改造して寝泊まりする事などは誰もが考えそうな”凄い”コトです。しかしそれはやりたい人に任せておきましょう。目に見える対象物を”凄く”撮るのは実は全然凄くないのです。運動会で我が子だけをズームアップしたビデオは、人様に見せられない代物になるのと同じです。

大切な事は迫力ある凄い山岳写真を狙う事ではなく、人々の心に共鳴する『ときめき』を写真にする事なのです。日本人が一番好きな富士山はきっと葛飾北斎や歌川広重の描いた浮世絵の富士山です。そこには前景、中景、遠景と続き要の場所に富士山が在り、人々の暮らしも描かれている…。そして色で満たされている。

私の世に出す『ときめきの富士』は必ず現代の浮世絵に成る。その確信で歩き始めました。


ロッキー田中さんの「ときめきの富士」ご紹介にあたって

 富士山の呼ぶ声を聞いて、誰も見たことのない「ときめきの富士」を世の中に紹介し続けているロッキー田中さん。
 ぶんぶん通信27号の対談コーナーにご出演頂いたご縁から、その素晴らしい作品の数々をこの誌面でご紹介頂ける運びとなりました。
 多くの雑誌で「幸福を呼ぶ富士山」として紹介されているロッキー田中さんの「ときめきの富士」。誌面から溢れる「癒しの波動」を、心身の健康にお役立て頂けましたら幸いです。

プロフィール・写真家 ロッキー田中

誰も見た事のない「ときめきの富士」を生涯に99作世に出すオンリーワンの写真家。
離れた東京で富士山・空・雲・光の表情を読み、山が呼んでくれたら逢いに行く。

作品は浮世絵の様な構図、色、究極の美に満ち富士山のメッセージが写っているとされる。『現代の北斎』とも称され、平成15年に文部科学大臣賞受賞。富士写真家連盟特別顧問・講師。NPO富士山を世界遺産にする国民会議223フェロー。

人々との喜びの共感を生き甲斐とし、サロンには全国から訪れる人が絶えない。

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