【vol.52】ときめきの富士|竜が渡る空 10月下旬 朝 朝霧高原より
夜明の残光が稜線の雲達を
暖色に染めている。
空に広がる雨上がりの雲。
上空は気温が低い。
躍動する雲はうろこ雲になり、
やがて河となり竜に変化した。
青のグラデーションは
上空になるほど濃さを増し、
シルエットの富士が
両手を広げて楽しんでいる。
富士山が教えてくれた幸運の法則 その12
心に響く、いい言葉
「ときめきの富士の写真家」として歩き出してから二十年目に入った。直前までサラリーマンだった私には基盤は何も無い。
ならば絆をゼロから創ろう。それは言葉のチカラだ。そう信じて疑わなかった。
何も持っていない私だが、青年の頃から変わらずに続けて来たことがある。いつも頭に「前向きのいい言葉」が浮かぶ。ずっとそれを声に出して来た。
富士山を通じて絆づくり開始。出会った人には「ご発展を信じていますよ」と言葉をかけ、ご注文のあった人に対しては、ポストカードや作品の額の背中、或いはカレンダーにその時に閃いたメッセージを筆で書き続けて来た。
メッセージを書いていると会った事のない人の顔が浮かぶ。その時に言葉が降りて来る。きっと受け取る人へのメッセージだ。そして書き終わるとその顔は消える。
あ、女の人だ。写真に見入っている。
お、年配の男性だ。小躍りして喜んでる。
あ、青年だ。何度も言葉を見直している。
あるお母様からお手紙を戴いた。
嫁いだ娘さんに作品集を見せ彼女が選んだ写真は「いのち無限」。
ご主人の会社が閉鎖となり彼は休職中。先の不安やご主人への不満、生まれて来る子供の事も心配だったその奥さんに届いた言葉は「感謝無限大 あなたがいるから」だったと。旦那に対する気持ちが一変すると信じていますと書いてあった。
お母様のご主人が選んだのは「満天の流星」。届いた言葉は「いのちの輝きありがとう」だったらしい。ご主人は定年退職後に大病を患い、ある医師に命を救われ一念発起、生まれ育った地元に恩返しをすると、地区の為に日々動いていらっしゃる。
主人の目に一筋の涙を見ました。生かされている自分のいのちの意味を感じたそうです。としたためてあった。
お母様は息子さんにも作品を選ばせた。彼が選んだのは「虹の翼」。仕事で行き詰まっているらしい。額の背には「花咲け実れ志」。のメッセージ。
息子の心境そのものです。と書いてあった。ありがたく嬉しいお手紙を何度も読み返した。私は誰に何を書いたかは全く覚えていないが、よく今のその方にぴったりの言葉だったと言われる。
富士山に「ときめき」を付けた写真家になって良かった。「感謝無限大」だ。
この言葉はときめきの富士と共に始まった。随分広まって来たから嬉しい。
富士山に呼ばれて撮影に行くとき、「素晴らしい光で満たしてくれてありがとう」。「また未知の赤富士に逢いに行くよ」と天に言っている。
イメージに逢う為に山麓で何日も何時間も待つ事は無い。行くとそうなる。自然は友達、私と一体。天も地も人もみんな一つに繋がっている。
言霊のチカラは人だけでなく天地に響く。
だから最適のシーンに出逢うことが出来ると思う。それは全ての人々の各々の思いの実現に繋がる道でもある。
ときめきの富士 写真家 ロッキー田中
誰も見た事のない「ときめきの富士」を生涯に99作世に出すオンリーワンの写真家。
100㎞離れた東京で富士山・空・雲・光の表情を読み、山が呼んでくれたら逢いに行く。
作品は浮世絵の様な構図、色、究極の美に満ち富士山のメッセージが写っているとされる。
『現代の北斎』とも称され、平成15年に文部科学大臣賞受賞。富士写真家連盟特別顧問・講師。
NPO富士山を世界遺産にする国民会議223フェロー。世界文化遺産登録にも貢献した。
人々との喜びの共感を生き甲斐とし、サロンには全国から訪れる人が絶えない。