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【vol.44】ときめきの富士|頂点世界 ~6月中旬 忍野村より~


子供の頃に見た夢、今よみがえる。

子供の頃に夢を見た。
天空に金の船が浮かび沢山の神様が乗っていた。
船は私の前に来て吉祥天女が降りて来た。
夢はそこで消えた。

ずっとその夢を覚えていた。
<ときめきの富士の写真家>に成って間もない
或る日の午後遅く、
流れていく雲が山頂に寄って来る時に記憶が甦った。

超古代の歴史に関する本を読んでいたら、
有史以前の遥かな
昔に倭の国に存在した
「あめのとりふね」というのを見付けた。
夢から始まり夢はどんどん広がっていく。
その船に乗って私は写真家になり
ときめきの富士の夢は世界を巡る。

感謝無限大 ロッキー田中


富士山が教えてくれた幸運の法則 その4

意識が世界を分ける・・趣味と天職

 〈デジタルカメラ全盛〉
 今、第四次富士山ブームが巻き起こり沢山の人が富士山麓に集って写真を撮っています。 これはデジタルカメラの普及に依る事も無視出来ません。マスコミもメディアもパワースポット等と煽っています。

 そして撮影スポットといわれる場所ではリタイヤした人達が、高いデジタル一眼レフカメラと望遠レンズを持ち、競って同じ風景を狙ってシャッターを切っています。私はこれは日本人らしい特性だなあと、いつも感心すると同時にどうして皆同じ事をしたがるのだろうかと不思議でなりません。

 これは日本人独特の『有名なポイントで同じ事をしたい』、『より最新のマシンを持ちたい』という気性を巧くつかんだ、メーカー戦略に乗せられてしまった人達の姿です。

 しかし撮っている人達は『富士山を撮っている』という高揚感と、自分の写真は違うというプライドの中に居ます。とても楽しい趣味と道楽です。専門的な技術の分野だった写真の世界が、デジタルによってとても身近になった事も無視出来ません。昼でも夜でも一 日中、誰でも失敗のない写真が撮れる時代がやっと来ました。

〈意識と視点〉
 写真を撮る以前の意識が明確に違うから私はその中にいません。目の前にある富士山を克明に望遠レンズで撮る事はしません。富士山の呼ぶ声を聴いて、心にイメージしたシーンに逢いに行きます。シーンが起きる一時間前にピンポイントでその場所に立つ様に動きます。アプローチが逆、待つのではなく逢いに行くのです。

 自動化された機械には興味がなく、むしろ光や温度や色を五感と六感で感じて、マニュアルで撮影条件を設定し広角レンズを使ってフィルムに記録します。デジタルカメラで写真を撮ると、機械が勝手に上手に撮ってくれるという感じが否めません。自分の感性が機械任せになり劣化する様に思えるのです。全ての事に共通する「便利さの裏にある落し穴」です。

 電子レンジは使えるけれど料理は出来ない人が大半というのと同じです。また思考と想像力を使わない為、いつか脳軟化症か痴呆症を免れない予感がします。でも趣味の成果は亡くなった時に家族が棺桶の中に入れてくれます。

〈ときめきの富士〉
 私のときめきの富士は今から25年前から始まりました。まだ地球温暖化が今ほど蔓延していなかった頃です。朝夕は空が焼け、季節と寒暖の差が明確な頃から撮り始めています。

 今、89作、生涯に世に出すときめきの富士99作が近づいてきました。それは原則としてフィルムで撮り歴史に残して行きます。フィルムならではの心が落ち着く自然な美しさと息をのむ様な空気感、大きい作品にしても粒子が荒れないグラデーション、その臨場感のときめきの富士を待っている人が何千人も何万人もいます。デジタル全盛だからこそときめきの富士が際立つのだと思います。

 今は撮影の時にはアナログをメインにし、サブとしてデジタルを使う様にしています。但し極力フィルムの再現性に近くする事とマニュアル設定を心がけています。
 
 どんなに便利になっても意識と視点が住む世界を変える事を信じて疑いません。手を使い頭を働かす事は自然と一体化し、感性を磨く事です。

感謝無限大 ロッキー田中

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