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Vol.257 9月 呼吸で天地とつながる 


呼吸で天地とつながる

 このコーナーでも何度か紹介したことがある『養生訓』。江戸時代の儒学者・貝原益軒さんが書いたこの本は、なんと300年も読み継がれている超ロングセラーです。
 健幸・長寿を自ら体現した益軒さんの「健幸のコツ」を、あらためて学んでみたいと思います。

人は呼吸をとおして、天地の氣と交流している

「人の腹の氣は天地の氣と同じくして、内外相通ず。人の天地の氣の中にあるは、魚の水中にある如し。魚の腹中の水も外の水と出入りして、同じ人の腹中にある氣も天地の氣と同じ」(巻第二)

 人は呼吸をとおして、天地の氣と交流している存在。
 「生きている=息をしている」
 「生きもの=息をするもの」
 「生きやすい=息をしやすい」
 と考えると、わかりやすいかもしれませんね。

 「天地の氣」とのつながりを実感できる呼吸の仕方について『養生訓』には次のように書かれています。

 「養氣の術つねに腰を正しくすゑ、真氣を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、(中略)胸中に氣をあつめずして、丹田に氣をあつむべし」(巻第二)

 腰は自然に伸ばすイメージで、胸のあたりではなく、丹田(おへその下あたり)で呼吸をするという感じでしょうか。
 最初は、おへその下に手を当てながら、息を吐くときにお腹をへこませ、息を吸うときにお腹を膨らませると、わかりやすいかと思います。
 人によっては、お腹を膨らませながら息を吐き、へこませながら息を吸うほうがラクに感じることもあるので、どちらでもそのとき氣持ちのよい方法でおこなっていると、氣持ちがだんだんと落ち着いてくることが実感できます。

真人は踵で呼吸する
 
 「衆人は喉で、哲人は背骨で、真人は踵で呼吸する」という言葉があります。
 衆人とは多くの人という意味なので、たいていの人は喉(胸のあたり)で呼吸をして、哲人(学識が豊かな人)になると、背骨(丹田を意識した呼吸が深まった状態)で呼吸をするようになり、真人(道を究めた人)ともなれば、意識はさらに深まって、踵で呼吸をしているようなイメージになってくる。氣功でいう「上虚下実」を自然におこなっているような呼吸でしょう。
 野口体操の創始者・野口三千三さんは、こうした呼吸を「地球との一体感があって、堅い踵も開いている感じがあり、空気を呼吸しているというより、地球の中から気が通ってくる感じがする」(『原初生命体としての人間』(岩波現代文庫))と表現しています。
 まさに「天地の氣」とつながっている呼吸ですね。

理想は「あるがごとく、なきがごとく」

 益軒さんは「しづかに、かすかに、ながい呼吸が理想」とも述べていて『養生訓』には「鼻で呼吸をしていることがわからなくなり、臍下丹田のあたりでかすかに息をしているかのような状態」と書かれています。
 座禅においての究極の呼吸といわれる「あるがごとく、なきがごとく」とおなじです。自らの心と書いて「息」と読むのは、呼吸とこころがつながっていることを訓えてくれているのかもしれませんね。
 
 
〈『養生訓』関連箇所(現代語訳)〉

呼吸は生きていることそのものであり、人のなかにある氣は天地の氣と通じている。これは、魚が水のなかにいて内と外の水が通じているのとおなじことである(巻第二)
 
呼吸をするときは、ゆっくり深く、臍下丹田へ出し入れするようにおこなうとよい(巻第二)
 
息を調えるには、規則的にしずかな呼吸を繰り返すとよい。そのうち鼻で呼吸をしていることがわからなくなり、臍下丹田のあたりでかすかに息をしているかのようになる。これが氣を養う方法である(巻第二)

 

参考文献
『養生訓』 貝原益軒
『1分間養生訓』帯津良一・鳴海周平 著(ワニ・プラス)

 

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