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Vol.266 6月 喜べば、喜びごとが喜んで、喜び連れて、喜びにくる


 一般的に「運がいい」といわれる人は、いつも楽しそうです。
 運がいいから楽しいのか、楽しそうだから運がいいのか…
 最新刊『運のミカタ』の内容から、一部抜粋してご紹介します。

喜び上手になる

 楽しそうに見える人は、きっと、日常のいろいろな場面で「喜び」を感じられる人なのでしょう。
 そして、喜ぶ頻度が増えると、喜びが喜びを呼んで、さらに「喜び感性」がアップする。つまり「喜び上手」な人になります。

「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び連れて、喜びにくる」

 早口言葉みたいですけど、上手に言えますか?
 上手に言えなくても、まったく問題ありませんが(笑)たいせつなのは、こちらの文章が表しているように「喜びは連鎖する」ということ。そして、いちばんはじめに「喜べば」とあることから「まず、喜ぶ」というスタンスが大事であることがわかります。

 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべてのことにおいて感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって
 神があなたに望んでおられることです。
「テサロニケ人への手紙」第1 5章16~18節

 神さまが「いつも喜んでいなさい」と望んでいることからもわかるように、僕たちにはどうやら、喜ぶことや、喜んでもらうことを「快(心地よい)」としてとらえる本能が備わっているようです。

「喜び、喜ばれる」ことは、本能的に氣持ちいい

 自分が喜ぶことが快なのはもちろん、喜んでもらうことでも快を感じる。
 これは、僕たちの大本である自然界そのものが「利他」からはじまっているからかもしれません。

 植物は、自分が必要とする以上の葉っぱをつくって光合成をしています。
 その葉っぱは、落ち葉になって微生物の餌となり、花はミツバチや蝶たちに蜜を与え、木の実は虫や鳥が食べます。
 つまり、自然界の循環の大本は「自分が必要とする以上に葉っぱをつくる」という「利他」からはじまっているんですね。
 そして、僕たちのご先祖さまもまた「利他」の本能で生き残ってきたようです。
 食糧危機や天変地異といった歴史の転換点をこれまで何度も迎えたときに、お互いを助けあった「他人を思いやる遺伝子の優位なグループ」が世代を超えて生き残ってきたことが、わかっているからです。
 つまり、誰かに喜んでもらえたときに自分も喜びを感じるのは、自然界の循環と先人からの遺伝子という「本能」レベルで感じる「快(心地よさ)」であるということができるわけです。
 僕たちは「喜び、喜ばれる」ことを「本能レベルで心地よく感じる存在」なんですね。

 喜んで、喜んでもらって、それをみてまたお互いが喜ぶ。

「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び連れて、喜びにくる」

 早口で言えるようになるまで、がんばってください(笑)。
 

 

 

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