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【vol.33】鳴海周平の全国ぶらり旅|広島編


 日本列島の南西部に位置する広島県。日本の地形の特徴である山、海、川、谷、平野、盆地などがあり、また気候や産物も
バラエティーに富んでいることから日本の縮図とも呼ばれています。
 春の気配が少しずつ近づいてきた広島県で、歴史の街・鞆の浦と自然豊かな仙酔島、宮島を訪れてみました。

 古くから「潮待ちの港」として多くの人々で賑わってきた鞆の浦。近年では宮崎駿監督が、映画「崖の上のポニョ」の構想を練ったところとしても知られています。(昨年末の「紅白歌合戦」にも出てましたよね。♪ポーニョ、ポーニョ、ポニヨ♪という歌です)

 日本で最初に国立公園として指定された瀬戸内海に浮かぶ島・仙酔島を対岸に観ながら歩いていると、宮崎監督がこの地から多くのインスピレーションを受けた理由が実感出来ます。

 二つの潮の流れが交わる場所である鞆の浦の歴史は古く、さかのぼると神話時代にまで行き着きます。

 歴史の宝庫であるこの地において350年の歴史をもつ名物が「保命酒(ほうめいしゅ)」。地元の人々からの評判はもとより、海外からも引き合いがあるほどの「知る人ぞ知る」鞆の浦の逸品です。

 この保命酒を最初に考案した中村家から、看板などの道具一式を譲り受け、伝統の技を受け継いだのが岡本亀太郎本店の初代・岡本亀太郎氏で、現在は5代目の岡本憲良さんが社長を務めています。

 昨年は日本経済新聞の「200年企業」としても掲載された岡本亀太郎本店の6代目となる、専務の岡本良知さんにお話を伺うことが出来ました。

「江戸時代初期の話ですが、大阪の漢方医だった『中村家』の子息中村吉兵衛氏が、長崎の出島に薬草の買い付けに行っていた際、潮待ちの港であるここ鞆の浦に立ち寄ったそうです。当時このあたりは『吉備の旨酒』という味醂のような甘いお酒が盛んに造られていて、その甘いお酒に手持ちの薬草を漬け込んでみたら美味しくて身体にも良いものが出来上がった。それが保命酒の始まりです。」

 以来、保命酒は「美味しくて身体に良いお酒」として評判となり、福山藩主により禁裏幕府への献上品として用いられるようになったそうです。また諸大名間の贈答用や参勤交代にも重宝されていたという文献も残されています。

「現代のように食文化が豊かではなかった時代、保命酒の持つ甘みと薬効はとても貴重なものだったのではないでしょうか。

 黒船でやってきたペリーや初代領事であるハリスに、幕府は接待酒として保命酒でもてなし、すっかり話題をさらってしまった、という記録があります。どうやらしばしば飲み過ぎてしまうこともあったらしく、その後重要な決め事の際には酒類禁止となったようです。(笑)」

 明治の時代になり環境が様変わりした後も保命酒の人気は不動のものでしたが、時代の移り変わりと共に中村家が醸造を続けることが困難となったことから、かねてより懇意にしていた岡本家に一切の道具と共に保命酒の伝統の技が受け継がれたそうです。

「岡本家はもともと清酒業を営んでいたので、ベースとなる味醂づくりにもこだわりました。麹の酵素力によって米本来の甘みやアミノ酸が充分に取り出され、その甘み成分などが有効に働いて16種類にもおよぶ薬草のエキスを最大限に引き出してくれるんです。身体に良いのはわかっていても薬草だけでは飲みにくい、という方にも喜んでお召し上がりいただけることが、長い間愛され続けてきた理由ではないでしょうか。」

 2000年から家業に携わるようになったという岡本専務は、こうした歴史ある保命酒をもっと多くの方々に知っていただきたいと言います。

「私は酒類製造の中堅メーカーで約10年間修行をさせていただきました。最初の2年間は八戸で酒の仕込みを経験しました。比較的温暖な広島からいきなり厳寒の青森ですから、どんな準備をしていったらいいのかもわからずに、とりあえず布団一組とスーツケースで向かったんです。そうしたら『お前、ストーブはもってこなかったのか?』と言われましてね。言葉の違いもあって、スゴイところに来てしまったな、と思いました。(笑)でも皆いい人ばかりで、とても良い勉強をさせていただいたな、と思います。

 修行させていただいて改めてわかったことは『保命酒の凄さ』です。実家に居る時には身近過ぎてよくわかりませんでしたが、離れてみて初めて350年もの永きに亘って愛され続けてきた歴史の重さを感じることが出来ました。こんなに凄いものは、もっと多くの方々に知っていただく価値がある。今は確信をもってそう言えます。」

 修行時代の同メーカーでは卸の営業も経験された岡本専務。福岡の営業先で、後に岡本亀太郎本店のヒット商品となる「梅太郎」のヒントと出会うことになります。

「福岡にいる時に、味醂に梅を漬け込んであるちょっと変わった梅酒をご馳走になったのですが、これがとっても美味しかったんです。実家の保命酒も味醂に薬草を漬け込んだものですから、梅を足したらさらに美味しくなるんじゃないか、と思いつきました。」

 岡本専務のアイディアは家業に戻られてから数年の研究を経て商品化され、約150年ぶりの新商品「梅太郎」としてヒット商品に育ちました。

「昔は商流の中に文化があったと思うんですね。今ほど交通の便が良くなかった時代においては特に、その土地ならではのものが価値をもっていたでしょう。保命酒にはそういった昔ながらの希少な文化が感じられるんです。飲みにくい薬草が甘い味醂によって飲みやすくなり、有効成分もしっかり抽出されている。そしてその凄さは350年という歴史に裏打ちされています。

 代々受け継がれてきたこの保命酒が、たくさんの方々の健康のお役に立つことが出来たら、これほど嬉しいことはありません。」

 歴史の街・鞆の浦と共に歩んできた保命酒と岡本亀太郎本店。これからも伝統の技にこだわった歴史ある健康酒を、造り続けてほしいと思います。

 鞆の浦から渡船で5分。天を舞っていた仙人があまりの景色の美しさに酔いしれて島になってしまったという伝説をもつ「仙酔島」に到着しました。

 昭和9年日本で最初に国立公園に指定されたこのあたりの島々には、数多くの伝説が残されており、古代の文献である「丹後風土記」には浦島太郎の浜として仙酔島のことが記載されています。確かに、美しさと共に感じる一種神秘的な雰囲気は竜宮城のようです。

 この日は仙酔島にあるちょっと変わった名前の宿「人生感が変わる宿・ここから」に宿泊させていただきました。チェックインの時に驚いたのは「おかえりなさい」と言って迎えられたこと。思わず「ただいま」と言ってしまいました。(笑)部屋に入ると、やはり「おかえりなさい」という手紙が置いてあります。

「私どもは『おかえりなさい』という言葉でお客様をお迎えします。この宿をご利用くださるお客様の多くから『私の別荘みたい』と言う嬉しいお言葉をいただいているからです。鳴海様にとっての「心の宿」「魂の故郷」だと思って、どうぞごゆっくりとお寛ぎください。」

 そう言って温かい笑顔で案内してくれたのはマネージャーの山上克己さん。山上さんにはこの日の夕方から、島にまつわる不思議なお話や、おもてなしに込められている想いなどについてお話を伺わせていただきました。

 先ずは島にまつわる不思議なお話から。

「国立公園第1号に選ばれるには、それなりの理由があるのではないかと思います。

瀬戸内海潮流のちょうど真ん中にあたるこの島には、エネルギースポットと呼ばれる場所が幾つも存在します。例えば日本で唯一ここだけという『五色岩』は、インドの聖典『ヴェーダ』に次のように紹介されています。」

 宇宙の神秘を秘めた 五色の地に巡り会う人は そこで永遠なる幸福の扉を開くであろう。

 もしもその地に込められた 宇宙の神秘なる世界を そこで知り得たなら 永遠の生命が与えられ 平和と至福の啓示が授かり 富と繁栄が天から降りてくる。

 私はこの星に五十五の大地に幸福の場を与えた。 そこは五色の岩で彩られた所である。
 その地を訪れる人々は 人生の苦しみから解き放たれ 永遠の平安を得るであろう。
(4千年もの昔のインドの聖典「ヴェーダ」より抜粋)

「実際この岩に触ってみると、自分にエネルギーを与えてくれる色は温かく感じるんです。地球上の大陸も五つ、人種も大きくは五つに分かれます。また東洋の哲理も陰陽五行と言いますね。『五』という数字には何か特別な意味があるのかもしれません。

 また彦浦の砂浜は別名『閃きの門(大門)』とも呼ばれているのですが、この場所はもともと宮島にある厳島神社の大鳥居が建立される第一候補だったそうです。ところがフカ(鮫)がたくさんいて、誰も近寄れないことから断念したと言われています。この砂浜で瞑想すると様々な気付き(閃き)があるらしく、世界各地から精神的な修行をされる方が集まって来る場所でもあるんです。」

 歴代の天皇陛下をはじめ、著名な芸術家などが幾度も訪れてくるという仙酔島。ダイヤモンドのブリリアンカットと同じ角度で成り立つこの島には、天と地のエネルギーを吸収して、訪れた人々に癒しを与えてくれる不思議な力があるようです。

「オーナーの濱岡喜範は『こうした土地を預からせていただいているのも意味がある。』と言っています。訪れたお客様に、この土地のエネルギーを充電させてもらうお手伝いが出来ることが、私どもの何よりの喜びなんです。」

「人生感が変わる宿・ここから」は、広島県福山市に本社を置く感謝グループの一社で、今から10年前に仙酔島の宿泊施設を、感謝グループが運営するようになったことが縁でグループに加わったそうです。

 現在は仙酔島と鞆の浦にある3つの宿泊施設が感謝グループの運営とのこと。どの施設でもとても気持ちの良い応対を体験していた私は、オーナーが同じと聞いてその共通したおもてなしの姿勢の素晴らしさに納得しました。

「濱岡は尾道の造り酒屋の末っ子として生まれたのですが、幼少の頃は出来が悪いと言われ続けていて、ずいぶん苦労もあったようです。結局家業には携わらせてもらうことが出来ず、26歳の時に福山市で八百屋を始めました。最初は12坪のお店からのスタートでしたが、お客さんがどんどん増えて、お酒の小売、米の販売と規模も大きくなっていきました。そしてホテル業にも進出し、現在は700人の従業員が働いています。

 濱岡は私たちに
『自分は本当にいろいろな人の支えで歩んでくることが出来た。そして「お蔭様」という言葉の大切さを知った。これからはそのお返しをして人生を歩んでいく。縁があってこうした土地を預からせていただいているということは、こうした気付きをご縁のある方々にもお伝えするという役目があるからだ。』
ということをよく話してくれます。

 一から事業を立ち上げ、ここまでの規模に育てるには様々な体験があったのだと思います。そうした中で得られた様々な『気付きと再生』を凝縮したのがこの宿です。私たちスタッフは、オーナーのそうした想いに共感し、お客様をお迎えしているのです。」

 感謝グループのどの施設においても感じる何ともいえない心地良さの源は、オーナーのこうした信念と、その気持ちに応えようとするスタッフの方々の想いの結晶でした。

「都会のオフィスワークでは、周りの99%が人工のものでしょう。でも本来人間は自然の一部なんですね。だからこの島では日常の雑事に心捉われることなく、自然の中に溶け込んでいただきたいのです。お部屋にテレビも時計も置いていないのは、そうした想いからです。

 自然と一体化することによって人間の本能が呼び覚まされ『生まれてきた本来の目的』に気付き、新たな『再生』の第一歩となるお手伝いが出来たら、こんなに嬉しいことはありません。」

 オーナーである濱岡さんの「この土地をお預かりしている」という言葉に、自然がけっして人間の所有物ではないことを改めて気付かせていただくと共に、その謙虚さにとても共感を覚えました。

 今年3月には島根県の津和野に「心の健康」をテーマにした宿泊施設が新たにオープン。感謝グループの想いは、ますます多くの人々の心身を癒してくれることでしょう。

 松島、天橋立と共に日本三景に数えられる宮島は、古くから「神の宿る島」として多くの人々の信仰を集めてきました。
 中でも1996年に世界文化遺産に登録された厳島神社は、海中に建てられた建築美と自然美の調和から、世界中の多くの人々を魅了し続けています。

 宮島口から船で10分、宮島に到着するとたくさんの鹿が出迎えてくれました。「人懐っこいなぁ。」と頭を撫でていると、脇に抱えていたガイドブックをムシャムシャ…。「えっ!鹿って紙食べるんだっけ?」と慌てて紙類を隠すと素っ気無く立ち去ってしまいました。(慣れてたんじゃなかったんですね。)

 厳島神社は593年に社殿が建てられ、現在の形になったのは1168年と言われています。海中に寝殿造りの建物を建てるという美意識の表現は、平安時代の技術力がとても高かったことを証明しています。

「回廊の床板に隙間があるでしょう。この隙間が高潮による浸水や高波などから建物を守ってくれているんですよ。」

 神社の中に入ると、たまたま居合わせた観光ガイドさんが説明してくれました。

「宮島のシンボルでもある大鳥居は、土に埋もれた部分はなく自らの重みだけで建っています。高さは16メートル。屋根の部分にはお経の文字数と同じ276個の石が入っています。そしてそれぞれの石にもすべてお経が書かれているんですよ。」

 神社なのにお経ですか?

「日本人は昔から『神仏融合』という意識があったようです。八百万の神々といって、すべてのものに魂が宿っているという考え方が根底にある民族なので、あまりこだわりがないのでしょう。(笑)鳥居の両端や灯籠などに太陽と月のマークがついているのも、陰陽五行という東洋思想が反映されているのかもしれません。」

 そう言われてみると、確かにあちらこちらに様々なマークが発見出来ます。
 日本人の宗教観が他国に比べてとても柔軟性があるのは、はるか昔から受け継がれてきたものなんですね。

「この島でいちばん高い弥山(みせん)という山は、806年に弘法大使が開基したところです。景色も素晴らしいですよ。」

 ガイドさんに薦められるまま、ロープウェイを乗り換え、降り口から徒歩約30分。弥山山頂へ到着しました。弘法大使が開いた場所だけに、ゆかりの仏閣や御堂が点在しています。大使が修行をしたという「弥山本堂」。その向かい側にある「霊火堂」には修行に使ったと言われる火が1200年の時を越えて燃え続けていました。

 山を降りて来るとちょうど干潮となっていて、海上にあった大鳥居が地上に姿を現していました。
「歩いて大鳥居の側まで行ける、しかも触れる!!」観光で来ている人たちは皆大喜びしています。いっぽう地元の人たちは皆、淡々とアサリを潮干狩り。(笑)夕日がとてもきれいにその光景を映し出しています。

 今回訪れた鞆の浦、仙酔島、宮島。悠久の歴史が感じられる広島県の名所は、どこも神秘的でありながら、日頃忘れがちな大切な何かを気付かせてくれる「場の力」を感じました。

 今回もご縁をいただきました多くの皆様に心から感謝申し上げます。

 どうもありがとうございました。

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