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【vol.16】お客様訪問|アメリカ ニューヨーク編


「蜂っ子」の愛飲者の輪は、海外にも広がっています。
 今回のお客様訪問は、ニューヨークで広がる「蜂っ子」ファンの皆様を訪れました。

 ニューヨークでの「蜂っ子」ファンの急増は、1人の女性からの口コミがきっかけでした。そのきっかけとなったのは、ニューヨーク在住36年という木村はる菜さん。北海道の上砂川町出身で、現在は通訳のお仕事をしていらっしゃいます。36年前、ニューヨークにいらっしゃったきっかけをお伺いしました。

「父は歯科医をしていまして、私は小さい頃から「好きなことだけ一生懸命したらいいんだ」と言って育てられたんです。中学から小樽に移ったんですが、そこで宣教師の手伝いをしたんですね。外国の面白い話しを聞いて、興味津々。今思えばそのことが海外に関心をもったきっかけかもしれません。また高校の英語の先生がとても熱心な方で、クラスのほとんどが英文科に進学するほどだったんです。教師の影響力って大きいですよね。」

その後同志社大学英文科に進学したはる菜さんは、さらに大学院へ進み、アメリカへ留学。コロンビア大学で日本語の現代史を教えたことをきっかけに、シートンホール大学での日本語の教科書作りや、ペース大学での日本語学科の創設に携わってきたそうです。
「1982年に港湾局の依頼を受けて、7月4日の独立記念日に日本国のコーディネーターを引き受けたんです。この仕事をきっかけに通訳の仕事をするようになりました。通訳という仕事は本当にいろいろな人との出会いがありますね。」

勝新太郎さんや、松本清張さんなどの通訳もしていらっしゃったはる菜さんに、著名人との想い出を伺ってみました。

「大物といわれる人達は、皆さん気配りが細かいですよね。スタッフの皆さんや通訳の私にも、とてもよく気を遣ってくださいました。松本清張さんは、帰国後エッセイ集の中でも私の事を書いてくださって。この本は、あの頃の思い出と共に今でもたいせつな宝物です。」

 こうして通訳としての多忙な毎日をおくる中で、幼少の頃からの冷え性と神経痛がひどくなってきたのは、5〜6年ほど前から。特に手と膝の冷えと痛みは大変だった、との事でした。

「とにかくいつも寒いので、年中カイロを入れていました。痛みがあるので、無意識のうちにもしょっちゅう手を擦っていたんです。それが昨年の暮れあたりだったでしょうか。友人から「最近手を擦らなくなったね」って言われたんです。あれっ、そういえば手や膝が痛まない、ってその時初めて気付いたんですよ。「蜂っ子」を飲み始めて3ヶ月くらい経った頃でした。「蜂っ子」は薬のように急激に効果がわかるものじゃないんですよね。本当に気付いたら症状が消えていた、という感じです。それ以来カイロも必要なくなっちゃって、買いだめしていたのも全部友達にあげちゃいました。(笑)」

 こうして「蜂っ子」の効果を実感したはる菜さんは、同じような症状を抱える友人に「蜂っ子」をプレゼントし始めました。
「皆、とても喜んでくれるんです。何せ私がこんなに良くなったのを間近かに見てますからね。せっかくお越しいただいたんですから「蜂っ子」ファンの皆さんに会っていってください。」

 こうして、ニューヨークを中心に広がっている「蜂っ子」ファンのお話しを聴かせていただく事になりました。

「まずは、私の友人のローラに会ってください。彼女も熱烈な「蜂っ子」ファンなんですよ。」

 そう言ってご紹介いただいたのは、ローラ・マクドネルさん。はる菜さんとは、コロンビア大学で一緒にモダンダンスを習っていた頃からのお付き合いだそうです。

「もう30年以上のお付き合いなんですよ。あれからダンスはずっと続けているの。ダンスと「蜂っ子」のおかげで、78歳になった今でもこんなに元気なんですよ。」

 ローラさんのお仕事は、幼稚園児の先生方の指導官。チャイルドディベロップメントスペシャリストとして、20年以上のキャリアをお持ちです。

「子供たちの心理って本当に面白いんですよ。子供の創造性を豊かにしていくために私は4つのオモチャを推薦しているんです。1つめは「積み木」。2つめは「粘土」。3つめは「絵の具」(絵画)。4つめがウォーターテーブル(水の入った流し台のオモチャ)です。これらは皆、子供たちの工夫次第でどんな形にも変える事が出来るんですね。大切なことは、その時に大人達が口を挟まないこと。「それはこうした方がいいでしょ。」なんて言っちゃダメなんです。ケンカの時もそうですね。必要以上は入り込まないこと、自主性をどんどん引き出してあげることで、子供は世の中を覚えて、自然に成長していくことが出来ると思うんです。そう、まるで誰も教えなくてもハイハイしたり、つかまり立ちを覚えていくように、自然に成長していく事が大切なんですね。」

 仕事柄、からだを動かす事が多いローラさんですが、数年前から慢性的な腰と指の痛みに、悩んでいたそうです。
「ミツバチがからだに良い事は知っていましたが、はる菜さんから教えて貰うまでは特に飲んでみようとも思っていなかったんです。でも、はる菜さんがこんなに良くなったでしょ。私も試してみようかなって。それで、飲み始めて半年経った頃から、だんだんと楽になってきたんです。特に指の痛みは、不思議なほど消えてしまったので、試しに2週間くらい「蜂っ子」をやめてみたんですね。そうしたら、また痛みが出てきちゃって。やっぱり真面目に飲まなくちゃダメね。(笑)今は手放せませんね。」

 長いお付き合いの中「蜂っ子」を通じて、2人の友情はさらに深まったようでした。

「今日の夕食は、美味しい日本料理のお店に行きましょう。実はそのお店のオーナーご夫婦も「蜂っ子」ファンなんですよ。」

 そう言ってご紹介していただいたのは、52nd street で、日本料理店「とらや」を経営しているオーナーシェフ沢海勇さん、美恵子さんご夫婦でした。

「はるばる日本からようこそいらっしゃいました。私共もはる菜さんに「蜂っ子」を紹介していただいて、本当に助かっているんです。まあ、食事でもしながらお話ししましょう。」

 こうして美味しいお食事をいただきながら、沢海さんご夫婦にニューヨークでお店をされることになったきっかけなどをお伺いしました。

「私たちは新潟県上越市の出身なんです。私は高校を出てからすぐに板前の道に入りました。その時にとても世話になった先輩がいきなりニューヨークでお店を出すって言うんですね。それで、落ち着いた頃に「遊びに来ないか?」って誘われたんです。ニューヨークってやっぱり興味がありましてね、早速行ってみたら、すっかり居着いちゃうことになって(笑)。もう23年も前の事ですよ。」

 始めはニューヨークレストランで板前をしていた勇さんでしたが、長期休暇をとって帰国した時に、奥様の美恵子さんと出会ったそうです。

「家内とは見合い結婚なんですが、出会って1ヶ月で結婚式を挙げました。後から判ったんですが、小・中・高校と一緒のところに通っていたんですよ(笑)。驚きましたね。そして2人でまた、ニューヨークに戻ったんです。」

 修行期間を経て、1991年に待望のお店をオープン。2人で工夫を凝らしながら数々の創作料理を手がけてきました。

 今や、その料理の評判はニューヨークでは知らない人がいないほど。ヤンキースの松井秀喜選手もいらっしゃったそうです。
「私共のお店では、お任せの1コースしかないんです。それは、旬のものをいちばん美味しい形で食べて欲しいからなんです。在住のお客様がよくいらっしゃいますが、日本でもなかなか食べられないような料理を食べさせて貰った、って喜んでくれるんです。ここにいると日本の家に帰ったみたいだ、って言われると本当に嬉しいですね。」
はる菜さんとは、奥様の美恵子さんが最初にご縁があったとお伺いしていますが、どのようなきっかけで、知り合われたのでしょうか。

「ええ、実は私5年前に手術を受けているんです。耳の中に出来た腫瘍を取り除く手術だったんですが、こんな時って何年いても異国というのは心細いものなんです。知り合いの伝手ではる菜さんに通訳をお願いしたんですが、家族同様に親身になっていただいて。本当にあの時ほど、人と人とのつながりの有難さを実感したことはありません。以来、ずっと親しくお付き合いをさせていただいているんです。おかげ様で手術は無事成功しました。ただ、結構大きな手術だったので、頭痛という後遺症だけはずっとあったんですね。薬も欠かさず飲んでいたんですが、そんな時、あれは昨年の秋頃だったでしょうか。はる菜さんから「蜂っ子」をいただいたんです。飲み始めて半年くらい経った頃からでしょうか。だんだんと薬を飲む回数が減ってきて、気が付いたら、ほとんど頭痛がないんです。今は薬を飲まなくても良くなったんですよ。それと、長いこと悩まされていた便秘も「蜂っ子オリーブ」を飲むようになってから快便状態が続いているんです。はる菜さんに、また助けて貰った、っていう感じですね。」

 体調も万全になった美恵子さんと、勇さんの名コンビが奏でる旬の和食のハーモニーは、ここニューヨークの地で、さらにたくさんの「とらや」ファンを増やし続けています。

 美味しい料理をいただき、大満足で過ごした夜の翌朝早く、はる菜さんの紹介で、もう1人の「蜂っ子」ファンをお伺いすることになりました。

「100年以上も前になりますが、アメリカで初めて親子で大統領を務めたアダムス大統領という方がいらっしゃるんです。今日ご紹介させていただくジョー・アダムスさんは、このアダムス大統領の直系にあたる方なんですよ。」

 ニューヨーク市から車で約2時間。とてもいい雰囲気の郊外に、アダムスさんが院長を勤める動物病院がありました。

「ようこそ、アメリカへ!まあ、休んでください。」

 そう言って気さくに声をかけてくださったのは、アダムスさんご本人。大きなからだと長いあごひげ。とても優しそうな獣医さんです。

「はる菜さんとは長い付き合いでね。彼女も動物が大好きだから、すっかり意気投合してしまって、もうかれこれ30年くらいの付き合いになるかね。」

 犬や猫はもちろん、ウサギや亀なども、入院しているアダムスさんの動物病院は、近所でも大評判。子供が動物を連れてやってきたり、野生の動物が怪我しているのを連れて来たりすると、診療費はほとんど貰わない、というアダムスさんの方針は赤ひげ先生そのもの、という印象を受けました。

「お金がない人はペットを飼えないなんておかしいでしょ。それに子供時代に動物と触れ合う機会があった人間というのは、命の大切さを知ることが出来るんだ。優しい人間に成長するのを、動物は手助けしてくれると思うんだよ。」

 獣医の学校では最高峰といわれるコーネル大学を卒業後、アフリカの地で過ごした4年間は忘れられない、といいます。
「アフリカでは牛3、500頭、羊500頭、豚500頭、鶏1、000羽の40平方マイルもあるカウファームにいたんだ。馬で端から端まで往復すると丸1日かかるんだよ。半年は乾季、半年は雨季、雨季の時期のスコールは、シャワー代わり。自然の中で天然のシャワーを浴びるって気持ちいいもんだよ。」

 こうしたハードな環境は、帰国後も続きます。

「僕たち獣医は、天気に関係なく、動物の調子が良くない時や、出産の時など、すぐに駆けつけてあげなくちゃいけないんだ。牛や馬に踏まれたり、蹴られたり。まあ、若い頃はそんなに気にしなかったんだけど、この歳になると寒い時期に昔の古傷が痛むことがあるんだね。でも去年の暮れにはる菜さんから貰った「蜂っ子」を飲むようになってから、いつの間にか痛みが消えていたんだよ。特に肩と手の痛みが楽になったので、手術の時にとても助かっているんだ。風邪もひきにくくなったしね。今じゃ毎日、宗教儀式のように飲んでいるよ(笑)。」

 アダムスさんの温かい人柄と、獣医としての高い技術。アメリカ国内はもとより、日本からも研修生がやってくるそうです。
「好きな動物と触れ合って、たくさんの人から感謝をいただく。こんな素敵な仕事はないね。」
 そう言って笑うアダムスさんが、ますます赤ひげ先生に見えてきました。

「昨日、今日と、3人の「蜂っ子」ファンに会っていただきましたが、皆、私の大切な親友なんです。親友だから、私の感じた本物で、是非健康になってほしかったんです。「蜂っ子」という、本当に素晴らしい出会いに感謝しています。」

 はる菜さんのひと言は、遠くニューヨークの地においても「蜂っ子」が本当にたくさんの人々の健康のお役に立っていることを、実感させてくれました。

 ご縁をいただいた皆さんのますますのご健康と、いっそうのご活躍を、私共スタッフ一同、心からお祈りしています。

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