【vol.44】星澤先生のクッキングれしぴ「食は夢のかけ橋」第8回
色とりどりのサラダピザ
◎材料(2人分)
●トマト缶・・・1缶
●にんにく・・・2片
●オリーブオイル・・・大さじ2杯
●ウスターソース・・・大さじ1杯
●塩、コショウ・・・各少々
●水菜・・・1束
●コーンホール缶・・・小1/2缶
●生ハム・・・100g
●バジル・・・適量
●シュレッドチーズ・・・100g
生地
●強力粉・・・200g
●ドライイースト・・・小さじ1杯
●塩・・・小さじ1/2杯
●オリーブオイル・・・大さじ1杯
●ぬるま湯・・・カップ3/4杯
1・強力粉、ドライイースト、塩を泡立て器で混ぜます。
2・ぬるま湯とオリーブオイルを加えてひとまとまりにします。5分ほど置いてから更に練って滑らかにし、室温に30分~1時間程置いて2倍になるまで発酵させます。
3・トマトソースを作ります。鍋にオリーブオイルを熱し、潰して小口切りにしたにんにくを炒めます。香りが立ったらトマト缶、塩、コショウを加えて半分くらいになるまで煮詰めます。
4・コーン缶は水気を切り、水菜は水につけてパリッとさせて食べやすい大きさに切り、生ハムも食べやすい大きさに切っておきます。
5・発酵したピザ生地を2等分にし、それぞれ丸めて布巾をかけ、20分程休ませます。生地をのばしてトマトソースを広げます。
6・シュレッドチーズを散らして、オーブンは最高温度に予熱し、生地を入れて焼きます。焼き上がったら8等分にカットします。
7・ボウルで水菜とコーン、バジルと生ハムをオリーブオイルと少々の塩コショウで和え、焼き上がったピザにのせて生地で包みながら頂きます。
スローフードと情熱の国・イタリア
太陽の国イタリアには、若い時を含め三度旅をしました。
遠国でありながら、日本と何か共通した感覚があるように思えて、またすぐにでも出掛けたくなる国です。
イカ・タコを好んで食べることや、食材を素朴にシンプルに料理すること、また親しみやすく飾らない民族であるからでしょうか。そこには、日本との「食」の共通性も数多く有ります。
上空から見た植物も、ハリスギという木以外は見慣れたものが多く、路肩に生えている草花も北海道の夏のそれらと同じです。ただ陽の強さが違うのか、花や葉の大きさは見事なものでした。
ローマの気候は夜のうちに雨が降り、朝出かける頃にはからっと晴れていて「まるで札幌と同じ!」と感動したのを覚えています。
この国の旅の醍醐味の一つは、映画の場面に身を置くことではないでしょうか。
「ローマの休日」のスペイン広場では、オードリーと同じ場所に座ってソフトクリームを食べ、シチリアでは「ゴットファザーⅢ」のクライマックスシーンのオペラ劇場の前で写真を撮り、「旅情」の舞台ヴェネチアでは主人公キャサリン・ヘップバーンが恋人を待つふりをするサンマルコ広場へ行きました。
主人公が履いていたフェラガモのサンダルもやっと見つけることが出来たのですが、シンデレラにはなれないと断念しました・・・。
映画を見てから二十年程の歳月が流れていましたが、恋焦がれていたヴェネチアで、赤い大きな麦わら帽子に赤い花柄のブラウスを着て彼女が座った場所に身を置くと涙が出ました。
そんな時、スタッフがビデオを回していると、どこかの国の旅人が何か勘違いして私の写真を撮っていたのは愉快な想い出です。
かつて世界旅行で人気のあったのはフランスでしたが、日本人も旅慣れてきたのか、食事の美味しさからもイタリアが一位を争うようになりました。
イタリアの農業はアメリカ等の工業的農業とは違い、郊外に行くと農民が道路のすぐわきの畑で仕事をしている風景が見てとれます。まるで北海道を車で走っているみたいです。
ですから、食材にも説得力があり、その場所に旅して食事をしている満足感があるのです。
食事は風景のように写真で見て思い返す事はできませんが、忘れられない味と出会うと一生の想い出になります。
夢のような旅中、ローマで食べた二分足らずで焼き上がる石釜で焼いたピッツァを初めて食べた時の感動ときたら!
これもまた一生忘れる事のない出会いの一つとなりました。
プロフィール・星澤クッキングスタジオ 代表取締役 星澤幸子
料理研究家・北海道南富良野町生まれ。
札幌テレビ「どさんこワイド」の「奥様ここでもう一品」に出演して20年、毎日生出演して北海道の素材にこだわった簡単な料理を紹介。その数5000品を超える。
料理の内容とキャスターとのやり取りの面白さが幅広い層に人気。
日本テレビNG集では毎回「星澤幸子先生編」として全国に紹介され、日本テレビ「鉄腕ダッシュ」ではTOKIOの長瀬智也さんとの共演を果たすなど全国にも活動の幅を広げる。
宇宙食開発も手がけ、2007年6月1日付で小惑星に星澤幸子の名が「Hoshizawa」として国際天文学連合に登録となる。
料理コーナーへの出演回数は現在もギネス記録を更新中。
2009年11月3日「東久邇宮文化褒賞」受賞。