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【vol.45】星澤先生のクッキングれしぴ「食は夢のかけ橋」第9回


hosizawa45

チキンハム

◎材料(2~3人分)
●鶏むね肉・・・1枚
●てんさい糖・・・大さじ1/2杯
●塩・・・大さじ1/2杯
●黒コショウ・・・少々

ソース
●粒マスタード・・・大さじ1杯
●酢・・・少々
●付け合わせ野菜・・・適量

1・鶏肉にてんさい糖と塩、こしょうをまぶして冷蔵庫で1日置きます。

2・鶏肉を室温に戻し、調味料を洗い流します。ラップで棒状に丸めながら包みます。

3・沸騰させた湯に入れて弱火で10分茹でます。

4・そのまま冷やして取り出し、食べやすく切り分けます。

5・ソースと調味料を混ぜて、付け合わせ野菜とともに添えて盛り付けます。


美しき国ドイツと世界遺産

 様々な国に旅をしましたが、感心する事の多い国はドイツでした。
 電車の車窓から見える景色は何処も手入れが行き届き、とても美しいのです。ただ通りすがっただけでも、お庭を綺麗にしている家は、きっと部屋の中もきちんとしていて、家計も安定しているのだろうなぁ、と想像がつきます。
 初めてドイツを訪れたのは、その年の13年前に東西ドイツが統合され、ベルリンで初めての統一議会が開催された、八重桜が満開の4月の事でした。ベルリンを東西に分けていた155kmあった壁も1.3kmを残して撤去され、その後にはタイルが敷かれているだけ。何よりも関心したのは、撤去したがれきは道路工事などの再利用の為に全て粉砕されたのだと聞かされた事でした。
 まだ第二次世界大戦の空爆の爪後が全土に及んでいた当時に、どれ程傷んだ建物でも壊さず修復していたのです。
 壁の一面だけ遺跡という家も見かけました。
 世界遺産の数はランキング5位という多さを誇るドイツの歴史ある建造物からは、時空を超えてその英知を現代に感じることが出来ます。
 ゲーテとの出会いも忘れ難いものがあります。
「若きウェルテルの悩み」は読み返し予習して出掛けたものの、ゲーテという方は様々な分野での科学者であり、芸術家であり、政治家でいらした訳で・・・。さすがに覚えきれるものではありませんね(笑)。
 そんな彼が一番長く住んでいたワイマールの「ゲーテハウス」も印象深いものがありました。
 階段は年配者や小さい子供も楽なように段差が低く、幅が広くてゆったりしています。また、書物を書くときは立ち机で、手紙を書くときだけライティングデスクだったようです。資料館になっている部屋々々には沢山の鉱物や標本が薄い引き出しにびっしり。元気に成長した長男の為に、子煩悩なゲーテはミニハウスを手作りしたのだそうで、時が積み重なり趣のある色になっていました。
 秘書をしていた長男が40歳で急死し、その悲しみから大量の吐血をしながら81歳のゲーテは「ファウスト」を書き上げます。そして偉業をなしとげたゲーテにはふさわしくないと思える、質素なベッドで82歳の生涯を終えました。
 12人の女性に恋をし、様々な苦しみを「断固たる実行のみが一切をためす」と前向きに精力的に生きたゲーテ。
 彼の遺体の胸は幅広く隆起し、腕と股には豊かな筋肉があり、脚は良い形をしていて、全身のどこにもくずれた様子はなかったといいます。
 ゲーテの言葉に「食べるという事は、生きることと同じ。料理を極めるということは、人生を極めることと同じ」というものがあります。彼からエールを貰ったような気がしました。
 今でも彼の本は傍に置いてあります。故人であれ、旅での出会いは人生を大きく左右するほどの醍醐味があるものなのですね。


プロフィール・星澤クッキングスタジオ 代表取締役 星澤幸子

料理研究家・北海道南富良野町生まれ。

札幌テレビ「どさんこワイド」の「奥様ここでもう一品」に出演して20年、毎日生出演して北海道の素材にこだわった簡単な料理を紹介。その数5000品を超える。

料理の内容とキャスターとのやり取りの面白さが幅広い層に人気。

日本テレビNG集では毎回「星澤幸子先生編」として全国に紹介され、日本テレビ「鉄腕ダッシュ」ではTOKIOの長瀬智也さんとの共演を果たすなど全国にも活動の幅を広げる。

宇宙食開発も手がけ、2007年6月1日付で小惑星に星澤幸子の名が「Hoshizawa」として国際天文学連合に登録となる。

料理コーナーへの出演回数は現在もギネス記録を更新中。

2009年11月3日「東久邇宮文化褒賞」受賞。

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