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【vol.40】お客様訪問|北海道函館市・石田 洋子 さん


 北海道内でも数少ない屋根かわらぶき業者として26年の社歴を持つ瀬川瓦工業さん。
 エヌ・ピュア製品の愛用者でもある、同社取締役の石田洋子さんにお話を伺いました。

お気に入りのスキンケア製品と出会えたことに感謝です。

 北海道・函館市で屋根かわらぶき工事業を営む瀬川瓦工業さんには、北海道外からも工事の依頼がひっきりなしに入ります。

「こうした景気の時代なのに、本当にありがたいことですよね。これも長年かけて父が築いてくれた信用のおかげだと思います。」

 石田洋子さんの御父様・瀬川福年さんは、地元でも有名な瓦職人。

15歳から屋根かわらぶきの仕事に携わり、数多くの瓦屋根工事を手掛けてきました。

「小さい頃から泥をこねたりするのが好きで、学校の帰りにはよくコンクリートで瓦を作る作業を見たり、時には手伝ったりしていたそうです。そのうち『こいつは見込みがある』と思われたのか、そこの工場長から誘われてこの道に入ることになりました。」

 以来、瓦職人として「仕事の鬼」とまで言われた瀬川さんですが、家庭ではとても温厚でいつも冗談を言っては周囲を和ませていたそうです。

「私はそんな父が大好きで、毎日仕事場にもついて行きました。夏場になるとコンブ漁やイカつけもやっていたので、両親の働く姿を見ながらずっと海辺で遊んでいましたね。父は祭りで山車の太鼓を叩くのが大好きで、そのために1年間働いていると言ってもいいぐらい(笑)。私も、遠くから太鼓の音が聞こえてくると、もう居てもたってもいられないくらいにワクワクしたものです。」

 石田さんは地元の学校卒業後、
函館市役所の職員労働組合に勤務。約32年間の団体職員生活を送りました。

「父は61歳で独立しました。私も夫も『少しでも力になれれば』と、スケジュール管理や経理・集金業務など、できる限りサポートをしましたね。家族経営だったので、毎晩仕事上の議論を交わしたことも良い想い出です。」

 こうして長年かけて培ってきた技術は、伝統的建造物の改修などにも活かされ、2001年(平成13年)には(社)日本建築士会連合会の「伝統的技能者」に選ばれました。新聞に大きく掲載された記事を、家族全員感無量の想いで読んだそうです。

「60年以上携わってきた職ですものね。本当に嬉しかったのだと思います。そんな父も2009年(平成21年)に亡くなりました。何だか急にポッカリと穴が空いてしまったようで、しばらくは本当に寂しい毎日を送りました。」

 心労も重なったためか、この頃から肌の調子が気になり始めたという石田さん。以前患った「脂漏(しろう)性湿疹」も影響していたのか、化粧のノリが悪いことに悩む日々が続いたそうです。

「以前『危ない化粧品』という本を読んだことがあったので、化粧品は内容成分をよくチェックしてから買うように気をつけていました。でも何となくしっくりこない。知人からエヌ・ピュアさんの手づくり石鹸とスキンケア製品を教えて貰ったのは、ちょうどそんな時でした。

 使ってみて先ず驚いたのはその優しい使い心地。石鹸の泡の優しさは今まで経験したことがないものでしたし、ローションも肌にスーッと浸透していくのがわかるようでした。内容成分も自然の原料ばかりなので、安心して使っています。私の経験から『つけた次の日から肌が変わるわよ!!』と言って、友人にも薦めているんですよ。最近になって『蜂っ子』も始めてみました。体力・気力が湧いてくる、って本当ですね!体の内側からも外側からも、エヌ・ピュアさんから元気を貰っている感じです(笑)。」

 現在は息子さんが瀬川瓦工業・社長として後を継ぎ、石田さんが経理面などでのサポートをおこなっています。

「息子も小さい頃から父の仕事を見て育っていますから、安心して任せられるんです。現在は営業をこなしながら地元商工会議所と商工会の両方で役員として、イベントなどを通じて地域に貢献してくれています。学生時代にラグビーで鍛えたバイタリティーで、これからも頑張ってほしいですね。」

「お客様に信頼していただける良い仕事をしよう」という創業者の理念のもと、堅実に歩み続けている瀬川瓦工業さん。

 これからも益々のご発展をお祈りしております。

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