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【vol.53】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 宮崎 ますみ さん~前編~


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 女優として、舞台や映画、テレビなどで幅広い活躍をしながら、「魂」という普遍的なテーマを探求してきた宮崎ますみさん。現在は、多次元的なアプローチによって、心と身体と魂に癒しをもたらす「ヒプノセラピスト」としても活躍しています。
 前編の今回は、宮崎さんの生い立ちや人生観などについてお話を伺いました。

 

鳴海周平(以下 鳴海)
 ますみさんとは、3年前に帯津良一先生との食事会で初めて御目にかかったんでしたね。何かと共通の話題が多くて、なんだかずいぶん長い間ご一緒しているような氣持ちです。

宮崎ますみさん(以下 宮崎)
 本当ですね。鳴海さんも私も「目にみえない世界」に関心が深く、過去世を何度もご一緒した「魂の友」であることがわかります。あ、でも始めから、あまりアヤシげな話に飛ばない方がいいですね(笑)

鳴海 私は大歓迎ですが(笑)いちおう「台本」どおり、ますみさんの生い立ちから伺うことにしましょうか。

「女優になる!」と決めていた幼少期

鳴海 ますみさんは、物心ついた頃から「将来は女優になる」と決めていたそうですね。

宮崎 そうなんです。「なりたい」ではなく、「なる!」と決めていたんです。
 これは、目にみえない世界のことを学んでいく中でわかったのですが、この世に生まれてくる存在は皆「魂の目的」があって、自ら描いたストーリーどおりの人生を歩んでいくものらしい…。小さい頃の私は、そのことを顕在意識でも感じていたのかもしれません。

鳴海 おっしゃるとおり、誰もが、この地球での生活の「シナリオ」を持って生まれてくるのだと思います。でも、それが最初からわかっちゃうと、魂はこの世での体験を思いっきり満喫できない。だから、顕在意識では「魂の記憶」を、わざと忘れているのでしょうね。ドラマや小説も、最初から結末がわかっちゃうと面白くないですから(笑)

宮崎 今までを振り返ってみて、すべてのことに意味があったんだなぁって思えるのも、人生のシナリオが存在している証なのでしょうね。
 特に、生まれ育った家庭環境は人生に大きな影響を与えますから、誰と家族になって、お互いにどんな学びをし合うのか、ということをかなり綿密に決めてくるのだと思います。

鳴海 同じ屋根の下に暮らす家族ともなると、ただならぬご縁ですよね。よろしければ、ますみさんが育った家庭環境について教えていただけますか?

宮崎 私は3人兄弟の末っ子として、名古屋で生まれ育ちました。
 父は、祖父が創業した鉄鋼業を継いでいましたが、堅実だった祖父とはまったく正反対のスタイルで事業を拡大していきました。
 私生活でも自由奔放で、好奇心が人一倍強く、絵画などの美術品を買ったり、高級車を乗りまわしたり、海外にもよく出かけていました。豪壮な「迎賓館」を購入して、女性との〝おたわむれ〞もしょっちゅう。とても愛情深い人でしたから、多くの人たちから慕われていましたが、当然、夫婦間のムードは険悪で、私は二人が角を突き合わせる度に、ただじっと時が過ぎるのを待っていた…そんな記憶があります。

鳴海 幼少期の体験は、その後の人生に大きな影響を与えると云われますが、そうしたことも含めたすべてが魂の学びであり、シナリオどおりの今生を送るために必要な「約束ごと」だったのかもしれませんね。

宮崎 本当にそのとおりだと思います。こうした家庭環境の中で、自らの内面を掘り下げていくことが、女優やヒプノセラピストという仕事に必要だったし、今生の学びの大きなテーマでもあったのでしょうね。

クラリオンガールとして、本格的に女優デビュー

宮崎 父は、私が中学校3年生の時、48歳で突然他界しました。父の死はとてもショッキングな出来ごとでしたが、不思議なことに、真っ暗な洞窟から私の魂を救い出してくれた出来ごとでもあったんです。
 当時の私は「偽りの自分」に対する違和感をいつも感じていました。学校の先生や母がイメージしている優等生キャラを演じ続けることに、疲れていたのかもしれません。そんな時、その後の運命を左右することになる映画のオーディションのチラシを、クラスメートの一人が持ってきたのです。父の死から、半年ほど経った頃でした。

鳴海 その作品が、デビュー作の『アイコ16歳』ですね。

宮崎 はい、名古屋が舞台の映画です。友人が履歴書まで用意してくれていたので、写真を添えて申し込みました。最初はあまり乗り氣じゃなかったのですが、第3次まであった審査も無事にパスし、映画出演が決まったことで、小さい頃に夢見た「女優になる!」という記憶がよみがえってきたんです。
 映画がクランクアップした後も、この縁が切れてしまわないようにとプロダクションの会長宛てに手紙を送りました。
「現在ダンスを習い、女優になる覚悟はできています。親も説得済みで、上京するつもりです」
 半分以上は嘘でしたが(笑)、プロダクション側は養成契約を交わしてくれました。

鳴海 手紙にも、すでに女優の才能が発揮されていたんですね(笑)

宮崎 高校2年生の時、大手オーディオメーカー・クラリオンのキャンペーンガールである「クラリオンガール」に選ばれたことをきっかけに、女優として本格的に歩み出すことになりました。
 横浜の叔母さんの家でお世話になりながら、ほぼ毎週、全国津々浦々をまわってサイン会をおこない、ウィークデーは雑誌の取材やグラビア撮影。東映の大ヒット映画『ビーバップハイスクール』への出演も決まり、その後も映画やドラマ、舞台などのお話を次々といただきました。ただ、仕事が順風満帆なのは、とてもありがたいことだったのですが、どこかに、なぜか満たされない自分がいたんです。
 ハリウッド女優のシャーリー・マクレーンが書いた『アウト・オン・ア・リム』という本と出会い、スピリチュアルな世界にどんどん目覚めていったことで、魂が、今生でのさらなるテーマを探求したがっていたことに氣づいたのでしょうね。

鳴海 魂が決めたシナリオは、本来、すべてがベストなタイミングで仕組まれているのだと思います。ますみさんが感じていた「なにかが、満たされていない」という想いは、おっしゃるとおり、今生においての次なるテーマを探求するタイミングを知らせるサインだった、と捉えると納得がいきますね。

宮崎 それでも、しばらくは魂の声に逆らって、頑張って仕事をしていたんです(笑)そうしたら、ある日「止まれ!」という内なる声が聴こえてきて…もう、これ以上は続けられないと、ようやく仕事をやめる決意が固まりました。

ただ「今を味わい、 今を楽しみ、今を感じる」

宮崎 芸能界で最後の仕事となったのは、テレビ朝日の『行く年来る年』という年末特番で、メキシコに行ってクジラの親子を取材する企画です。4日間という限られたスケジュールの中で、自然のクジラが姿を現してくれるのかどうか、スタッフも私も心配しながらのロケでした。
 サンイグナシオにある入り江で、来る日も来る日もクジラの親子を待ちましたが、案の定、番組として絵になるほどには接近してくれません。取材3日目には、皆の顔からすっかり笑顔が消えていました。

鳴海 大勢のスタッフとメキシコまで来て「あと1日しかない」という状況はさすがにきついですね。

宮崎 スタッフの焦りは相当なものだったと思います。でも、「こんな暗い雰囲気じゃ、ますますクジラは出てきてくれない!」と思った私は、イルカにお願いしてみたんです。
「みんな疲れて、元氣がないの。お願い!遊びに来て、私たちに元氣をちょうだい!!」
 すると、ものの2分ほどで3頭のイルカが遊びに来てくれたんです。私たちの船と競争するかのように泳いだり、ジャンプをしたりして、スタッフの心を和ませてくれました。

鳴海 イルカは、人間を癒すことに喜びを感じてくれる「宇宙の母性的な役割の象徴」だと聴いたことがあります。

宮崎 本当にそのとおりで、母親のような優しさの波動で満ちているんですよね。でも、同じように呼びかけても、クジラは来てくれなかった(笑)
スケールが壮大だというか、私たちが自然と一体化するまでは、けっして応えてくれない「父性」のような厳格さを感じていました。
 4日目。ついに最終日となって、私はすっかり開き直った、ある種「悟り」の境地にいました(笑)考えたところで、自然をコントロールできることなどできやしない。来るも来ないもクジラさんの氣分次第! そう思ったら、急に目の前の光景が美しく輝き出したんです。太陽光を反射した光の粒子が海面をダンスし、その上を海鳥たちが氣持ち良さそうに飛行している・・・
「あー、なんてきれいなんだろう・・・。この4日間、私たちはいったい何を見ていたのだろうか!」と叫びたくなるくらい、「クジラを撮らねば」という思いに囚われて、目の前にこんな素晴らしい景色が広がっていたことにさえ氣づかなかったんですね。
 急にお腹が空いてきた私は( 笑)「みんなでどら焼きを食べよう!」と、差し入れでいただいたどら焼きをアイスボックスから出して、皆に配りました。甲板の上で大の字になって、大空を眺めながら食べたどら焼きの美味しかったこと(笑)
「美味い!サイコー!!」と、叫んでいたら、舵をとっていたメキシカンのおじさんも、何か叫んでいるんです。「いったい、何ごと?」と思って、起き上がってみると、なんと巨大クジラが船の真下を悠々とくぐっているところでした。カメラマンさんも慌ててどら焼きを置いて(笑)何とか撮影に成功。最終日のギリギリで、何とか間に合ったんです。

鳴海 それは、とても貴重な体験でしたね。
 イルカが「宇宙の母性的な象徴」だとしたら、クジラは「宇宙の父性的な象徴」であり「自然界の摂理を体現している存在」といえるのかもしれません。
「自然と一体になること」でクジラが現れてくれたのだとしたら、クジラをどうしても撮影したい、という思い(執着)に囚われることなく、今、目の前に広がっている光景を楽しむことや、今、していることを満喫することが、まさに「自然の摂理にかなった状態」なのでしょうね。きっと、どら焼きも、相当美味しかったんでしょう(笑)

宮崎 はい、かなり美味しかったです(笑)
 おっしゃるとおり、自然と一体になることは、ただ「今を味わい、今を楽しみ、今を感じる」ことだと、クジラは教えてくれたのだと思います。
 人間どうしの関係も、自然と人間との関係と同じなのかもしれません。
 相手が自分の思うとおりにならない、というのは執着であって、お互いが「今」と向き合いながら、尊重し、共感し合うことで、自然界の摂理にかなった状態となるのではないでしょうか。

鳴海 今を味わい、今を楽しみ、今を感じることで、私たちは、生まれてくる前に準備している「今生のシナリオ」を、より明確に感じられるようになるのかもしれませんね。
 
 後編では「今生のシナリオ」に大きく関係している「過去世」の概念を、ヒプノセラピーという観点からひも解いてお話を伺いたいと思います。
 

宮崎ますみ プロフィール

愛知県名古屋市生まれ。1984年クラリオンガールに選ばれ、女優として舞台や映画、テレビなどで幅広く活躍。
1995年に渡米し、二児の子育てをしながら、ヨーガなどを通して魂の探求に専念する。現在は、こうした経験を活かし、心と身体と魂を多角的、多次元的にアプローチする自己実現を主軸としたヒプノセラピーを指導している。
2007年には厚生労働省・厚生労働大臣より「健康大使」を任命され、国民一人一人に健康の重要性を認識してもらうための講演活動なども行なっている。
著書に『至福への扉』(飛鳥新社)『ピュア・バランス』(ヒカルランド)がある。
 

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