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【vol.49】こころとからだの健康タイム|ゲスト 吉元 由美 さん~前編~


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 作詞家、小説家、エッセイストなど多彩な分野で活躍している吉元由美さん。
 吉元さんが詞を提供した平原綾香さんのデビュー曲『Jupiter』(2003年発売)はミリオンセラーを記録し、いまも多くの人たちに明るい希望の灯をともし続けています。
 前編の今回は、吉元さんの生い立ちや人生観などについてお話を伺いました。

 

鳴海周平(以下 鳴海)
 学生のころよく聴いていたANRI(杏里)さんの作品の多くが、由美さんの作詞だったことをうかがって本当に驚きました。『スノーフレイクの街角』や『SUMMER CANDLES』は、とくに想い出にのこっています。

吉元由美さん(以下 吉元)
 どうもありがとうございます。そうおっしゃっていただけると作詞家冥利に尽きます。

鳴海 こころにやさしく染み込むような言葉は「吉元ワールド」といわれているそうですが、こうした詞はどんなシチュエーションで浮かんでくるのでしょうか?。

吉元 よく「海の見えるところなんかで書いてるんですか?」とか訊かれるんですけど、基本的には机に向かって、ただひたすらコツコツ書いていますね。いわゆる缶詰状態です。でも、どこで何をしていても、イメージする場所には瞬間で移動できるし、登場人物も動かせます。このお家芸を私は「瞬間楽園術」と呼んでいます(笑)。

感性を育んだのは幼少期の家庭環境

吉元 こうした感性は、子供のころの家庭環境がベースになっているのかもしれません。
 私が幼いころ、父は国会議員の秘書をしていました。毎日大勢の人が来て、贈り物もたくさん届きます。母が、デビューしたての森進一さんのハスキーな歌声を聴いて「この人は喉の病気だから、誰か注意してあげないと」と真剣に話していたこともよい想い出です(笑)。
 ところが、こうしたのどかな生活も、父が議員秘書を辞めて貿易商として独立すると一変します。次から次へと持ち込まれる「いい話」は、ほとんどまとまらず、保証人になったり、手形の裏書きをしたりといったことも裏目に出て、我が家はあっという間に大きな債務をかかえることになってしまったんです。

鳴海  それは、大きな環境の変化でしたね。ご両親もたいへんだったことと思いますが、子供だった由美さんにとってはなおのことでしょう。

吉元 父は電話でいつも大声をあげていましたし、取引先の中には、まだ小学生だった私に罵声を浴びせたり、脅迫めいたことを言う人もいて・・・。「いったいこの先どうなってしまうのだろう」という不安と恐怖でいっぱいの毎日でした。
 そんな状況だと、幼いながらにも「どうしてこの家に生まれたんだろう」とか「起こっていることにはどんな意味があるんだろう」といったことを考えるようになります。そんなふうに、起こった出来事の意味を考える日々の中で、自分の存在理由を確立していくことができたのかもしれないと思っているんです。

鳴海 作詞家・吉元由美としての感性を育んだのは幼少期だと。

吉元 はい、すべては必要なプロセスだった、ということでしょうね。どんなことでも、あとで振り返ってみると、そこには必ず意味があったんだなぁ、って思うんです。「起こったことには必ず学びがある」というか。
 幼少期から10代までは、そんなふうに家庭環境が相当こんがらがっていましたから、父の友人の間では「離婚をしなかったこと」と「娘3人が非行に走らなかったこと」は、吉元家の七不思議といわれているそうです(笑)。

鳴海 七不思議の理由について、由美さんは著書の中で「もう1人の自分(魂の存在)と、いつもつながっているような感覚があったから」と述べていますね。

吉元 もう1人の自分は、いつも絶対的にきれいでピュアな存在なんです。宇宙とつながっている超意識と言ってもいいかと思いますが、その存在といつもコンタクトをとることで、つながっている感覚、導かれている感覚が常にありました。いろいろなことがあったからこそもう1人の自分と相談しながら「丁寧に生きていくことの大切さ」に氣づくことができたのでしょうね。
 それと、そんな環境でも家族仲はけっして悪くなかったんです。妹が結婚して家を出るまでは、必ず家族全員が揃ってお正月を迎えていましたし、毎日の生活にもなんとなく滑稽さのある家族でした。
 例えば、私が高校の文化祭で友人らとケーキ屋さんを開いたときのことです。いざケーキを切る段階になって、誰もナイフを持って来ていないことが判明しました。大慌てで父に電話をしたら、すぐにナイフを持って駆けつけてくれたんです。抜群のフットワークでしょ?(笑)。そのうえ氣づくと、裏でせっせとケーキを切っていたんです。「おじちゃまー、チョコレートケーキ2つ」という、友人のおじちゃまコールに一生懸命応えていました(笑)。
 参議院議員選挙に立候補したときも、投票前日の夜だというのに、他の候補者が一生懸命最後の追い込みをしている様子を、家族揃ってご飯を食べながらテレビのニュースで観ていましたからね。「やることはやったからいいんだよ。」なんて言いながら(笑)。

鳴海 なんだか微笑ましい光景ですね。とてもたいへんな家庭環境だったとは思えない・・・(笑)。

吉元  父の事業は相変わらずたいへんな状態でしたが、どんなトラブルに見舞われても日常のちょっとした滑稽さの中にユーモアを見出せたことと、魂の存在ともいうべきもう1人の自分とのつながりが確認できたことで、なんとか乗り越えることができたのだと思います。

鳴海 ユーモアって大切ですよね。医学的にも「笑い」の効果はよく知られています。笑うことで、免疫力が上がること、自律神経のバランスが調うことが確認されているんです。
 からだとこころはつながっていますから、笑うことでどちらかがよい状態になると、心身が健康になって生活も楽しくなります。毎日の生活の中でユーモア精神がいかに大切か、あらためて氣づかせてくれるエピソードですね。

算命学の高尾義政先生との出会い

鳴海 幼少のころから育まれた感性が「作詞」という仕事につながったのは、なにかきっかけがあったのですか?

吉元 大学4年生のころ、知人の紹介で算命学の宗家・高尾義政先生を訪ねました。
 算命学の基礎は古代中国の道教で、「人間がそれぞれの役割を果たしながら、いかに生きていくべきか」ということを探求するための学問です。当時、就職先をどこにしようかと考えていた私は「クリエイティブな仕事がしたい」という想いだけを抱きながら、就職候補先のリストを持って伺いました。
「幸せになりたいのですが、どうしたらいいですか?」という私の質問に、高尾先生は私の「星」を観ながらやさしく応えてくれました。
「あなたには、人に何かを伝える、先生とかそういう仕事が向いています。運の強い人の出入りする会社を選んでください。」
 それで、候補にあった広告代理店に就職を決めたんです。この会社には、当時大ヒットした中森明菜さんの『少女A』を作詞した売野雅勇さんがいました。まさに「運の強い人」ですよね。その売野さんが、私に作詞家の道を勧めてくださったんです。
「この2年の間に、あなたのことをすーっと持ち上げてくれる人と出会います。」という高尾先生の言葉どおりの展開になりました。

鳴海 人はみな、どんな人生を歩むかをある程度計画して生まれてくるといいますね。星の放つエネルギーが与える影響を上手に活用するために、計画の実現にベストな星の配置となるタイミングを見計らって生まれてくる。古代から伝わる「星見」は、膨大なデータに基づいた学問なのでしょう。

吉元 先人たちの智恵と思想の奥深さには本当に驚きますよね。
 高尾先生のお墨付きをもらった翌日から、作詞家になるための猛勉強が始まったのですが、そのころ会社内の移動で受付になってしまったんです。クリエイティブな仕事をしたくて就職したのに・・・と思うと、とてもショックで、耐えられなくなりそうでした。
 そのことを高尾先生に相談したときの言葉は、私にとって一生の宝物です。
「ジャンプするためには、しゃがまなければなりません。」
 しっかりしゃがめばしゃがむほど高くジャンプできる。耐えるべきときに耐えることで次のステップに必要な力を蓄えることができる、と。運をつかむ極意を教えていただいたように思いました。

鳴海 じつは私も、ヒーリングの師匠から「竹は、節があるから強いんだ」と教えてもらったことがあるんです。3ヶ月も経たないうちに15メートルほどにもなる驚くべき成長力と強靭さは、いったん成長が遅くなる「節」を形成する時期につくられるというんですね。人生も同じで、停滞しているように感じているときが大切なんだ、というわけです。
 自然の摂理は、生き方のお手本を示してくれているのかもしれませんね。

吉元 私たちも自然の一部ですから、自然の摂理にかなった生き方が大切なのはよくわかりますね。
 高尾先生は「同じ運氣をもっていても、生き方で未来は変わる」ともおっしゃっていました。同じ生年月日でも、人生に大きな違いがでるのは「生き方」が関係しているというんです。
 先生から教えていただいた「自分のよいところを活かしながら、持って生まれた役割を生きる」という生き方をしている人が、宇宙の流れにのって人生を切り開いていけるのではないでしょうか。

私たちは幸せになるために生まれてきた

吉元 算命学では「平凡な運の流れにのっている人は、とても運が強い人」と解釈するようです。「あたりまえ」だと思っていることが、じつはどれほど凄いことなのか。穏やかで、淡々とした毎日の中に喜びを実感することができたなら、これほど素敵なことはありませんね。

鳴海 本当ですね。あたりまえのように思っていることが、いかにありがたいことなのかは、「もし失うことになったら、とても悲しくなってしまうこと」にちょっと想いを巡らせてみるだけでもすぐに実感できるでしょう。もし今突然なくなってしまったら・・・そう考えると、感謝の対象はグッと広がります。「ありがたい」は「有り難い」。なかなか起こり難いことが有った、ということですから、「あたりまえ」とは反対の意味なんですよね。「あたりまえ」が「ありがたい」という想いに変わったら毎日が楽しくてしょうがない。

吉元 なにを「幸せ」と感じるかは人それぞれですが、その感性が豊かであればあるほど、人生は豊かで楽しくなりますね。起こったことをどう解釈するか?ということも大切だと思います。どうせ起こってしまった出来事なら、よいほうに解釈したほうが絶対いい!「人は幸せになるために生まれてきた」
 いまは、こころからそう思えます。

鳴海  「類は友を呼ぶ」というように、「幸せだな」「ありがたいな」と思えることが増えてくると、そのことがまた次の喜びを引き寄せてくれるのでしょうね。

吉元 おっしゃるとおり、小さなことにも幸せを感じていると、うれしいことがどんどん起こります。そのためにも、感性を豊かにすること、魂の感度を高めることは大切ですね。
『Jupiter』の「I listen to my heart.」という歌詞のように、どんなときも自分の内なる声に耳を傾けていたいものです。
 

次号の後編では、名曲『Jupiter』に関わるエピソードや、言葉のもつ力などについてお話を伺います。
 

吉元 由美 プロフィール

 作詞家。淑徳大学人文学部客員教授。東京都生まれ。成城大学英文科卒業。広告代理店勤務の後、1984年作詞家デビュー。これまでに、杏里、松田聖子、中山美穂、山本達彦、加山雄三など多くのアーティストの作品を手がける。平原綾香の『J u p i t e r 』はミリオンヒットとなる。
 エッセイストとしても幅広く活躍し、著書に『みんなつながっているージュピターが教えてくれたこと』(小学館)『美醜の境界線』(河出書房新社)『40歳からの心を美しく磨く私の方法ーいつも「幸運な女性」の心の持ちかた』(三笠書房)など多数。
 2013年より「吉元由美のLIFEARTIST」を主宰。「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、サロンセミナーや講演などを展開している。
吉元由美オフィシャルホームページ
http://www.yoshimotoyumi.com 
 

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