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【vol.43】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道・富良野市編


 昨年、ドラマ「北の国から」が放映開始から30周年を迎え、数々の記念イベントが開催された北海道・富良野市。
「氣がつけば 今 五郎の生き方」というイベントの言葉にも表現されているように、田中邦衛さん演じる主人公・黒板五郎の生き方は、現代社会に大きなメッセージを投げかけています。
 今号からの「ぶらり旅」は、1年間を通じた特別編として、富良野市の四季と共に、そこに暮らす魅力溢れる人たちを紹介していきたいと思います。

 倉本聰さんのエッセイ「北の人名録」にヨーデル森本として登場する森本毅さんは、創作料理の老舗「くまげら」のオーナー。地元の食材を活かした数々の名物料理を提供し続ける「くまげら」は、地元の方はもちろん、国内外の観光客からも絶大な人気を誇っています。
 2004年夏に「ぶらり旅」の取材で初めて御目にかかって以来、親しくお付き合いをいただいてる森本さんに、今回の取材協力をお願いしたところ、二つ返事で快く引き受けていただきました。

「富良野のことは、なんでも聞いてくださいね!わかることだけはちゃんと答えますから(笑)」
 森本さんの頼もしい言葉をいただいて、1年間を通じた富良野の取材スタートです!!

 くまげら名物「山ぞく鍋」で身体も心もポカポカになった後、さっそく森本さんから、富良野市でガラスとフェルトの工房を営む山口一城さん、千香子さんご夫婦をご紹介いただき、一面に広がる雪景色の畑に建つ工房を訪ねました。 
 富良野の大自然と人の温かさに魅了され、平成5年に大阪から移住して来られた山口さんご夫妻。
 ご主人の一城さんと富良野とのご縁は、なんと昭和40年代にまで遡ります。

「じつは大学時代に、仲間とテントを持って北海道へ旅行に来たことがあったんです。金もないから学校のグランドにテントを張らせて貰おうと思ったら、そこの先生が『こんな所で寝たら風邪引くから中へ入りなさい』と、家庭科室に泊まらせてくれて、しかも翌朝には『ウチでご飯食べて行きなさい』と、食事までご馳走になってしまいました(笑)。
そんな当時のことを、移住してから懐かしく思い出していたら、その学校はなんと富良野だったことに気付いたんです!縁の深さに驚きましたね。」

 大阪で照明器具の製造会社を営んでいた御父様から、経営のバトンタッチを突然言い渡されたのは、大学3年生の時。ちょうど北海道旅行から戻った頃のことだったそうです。
「ある日突然、『俺はもう今日で辞めるから、あとはお前らでやれ。』と言って、本当に会社にも出て来なくなりました(笑)。親父がちょうど50歳の時です。当時40人程の従業員がいましたが、一つ歳上の番頭さんと、まだ高校生だった弟と一緒に、何とかそれからの毎日を乗り切りました。
 親父は『好きな車に乗れて、好きな服が着られて、好きな時にゴルフに行けて、美味しい茶漬けが食べられたら、あとはな~んにも要らん。』と言っていましたが、それだけあれば、そりゃ充分でしょう(笑)。実際、ほとんど口を出してくることはなくて、自由にやらせてもらいましたよ。」

 将来的に、御父様と同じ50歳での引退を考えていた一城さんは、経営者業も落ち着いてきた35歳の頃から、趣味としてステンドグラスの制作に取り組み始めます。
 自社で製造した年間百万台以上の照明器具のうち、何個かがボロボロになって返ってくる様子を「ずっと頑張ってきたのになぁ・・・」と、長年可哀想に思って見てきたことから、「両手で大切に持っていただける製品」をずっと作りたいと思っていたそうです。

「引退後はどこかに移住するつもりでいましたからね。新しい土地に住まいを構えるためには、自分が何か発信できるものを持っていなければならない、という想いがあったんです。それも趣味の域ではなく、生計が成り立つぐらいでなければ、と思っていました。幸い、作品を気に入ってくれた方から次々と紹介をいただき、サッポロビール園のステンドグラスランプや、帝国ホテル大阪のロビー天井・ステンドグラス照明、パナソニック東京汐留ビル・ルオー美術館のステンドグラスパネルなどを納めさせていただくことができました。」

 こうして、順調に経営者業引退の準備を進めて来た一城さんは、移住を念頭に、平成4年「日本の魅力を再確認するための日本一周旅行」へと出かけます。

「当初1ヶ月半で一周して戻ってくる予定だったのですが、けっきょく4ヶ月かかってしまいました(笑)。それにしても、途中立ち寄った富良野で、あんな縁があるとは思いもしませんでしたね。」

 当時、大阪の建築会社で勤めていた千香子さんは、テレビドラマで観た北海道の雄大な自然に憧れて、毎年富良野を訪れていました。

「すっかり富良野が大好きになって、お金を貯めて毎年スキーに来ていたんです。ある時、いつもお世話になっているペンションのオーナーさんに、私が趣味で作ったランプを差し上げたことがあったのですが、ちょうどその頃日本一周で富良野に立ち寄った彼がそのランプを見て『僕もステンドグラスのランプを作っているから、何か訊きたいことがあったらいつでも連絡をください。』と伝えてくれていたようなんです。既に個展を開いているほどの人でしたから、ぜひいろいろとお話が聴きたくて、さっそく会社に電話をしてみました。」

 ところが、日本一周中のためなかなか連絡がつかず、ようやく会えたのは半年が過ぎた頃。大阪の百貨店で開催されていた北海道物産展の会場でした。

「富良野でいつもお世話になっていた『唯我独尊』の宮田さんが出店しているブースで、やっと会うことができたんです。
 当時の彼は、ステンドグラスのランプ、パネルとか、ガラスの花入れ、大皿などを手がけ始めた頃で、個展でも独創的な作品をどんどん発表していました。
じつは、私もその頃ちょうど生け花の免許をいただいたばかりだったのですが、彼の作品を見てすぐに『この花瓶にお花を活けてみたい!!』と思ったんです。」
 
 この出会いがきっかけで、千香子さんは全国各地で開催される一城さんの個展会場に同行して花を活けて歩くことになりました。

「自分の気持ちにいつも正直でいたい、と思っていましたから、会社を辞めて 彼について歩くことを決めたんです。」

「最初は本当に驚きましたよ。会社を辞めてついて来てくれる、って言うんだから。ついて来てもいいけど責任は取らないよ、という約束でしたが、結局こういう形で責任を取ってしまいましたね(笑)。」

 2年後の平成8年、お二人は結婚。出会いの地である北海道・富良野市で、創作の拠点を構えることになりました。
 結婚式は、新富良野プリンスホテルの『ニングルテラス』で、記念すべき一組めのカップルとして、地元のたくさんの方々が祝福してくれました。

「本当に夢のようでした。そして、まるで旧友のように祝福してくれた地元の皆さんの温かさ。今でもあの時の感動は忘れられません。」

 移住から18年が過ぎた現在でも「富良野はいつも優しくて新鮮」と語る山口さんご夫妻。
 憧れの地・富良野への移住は、「ガラス作品」という新しい分野での成功があったからこそ叶った夢でもありました。

「親父は、僕がガラスをやることにまったく理解がありませんでした。『お前、仕事ホッポラカして、そんなことばっかしよって!!』と、いつも怒っていましたね。そんな時、地元・心斎橋にある銀座和光大阪店さんから『作品の展示会を開いてみませんか?』というありがたい話をいただきました。銀座和光さんと言えば、それはたいへんなブランドでしたから、もう二つ返事でお願いしました。そうしたら、その展示会に親父が来たんですよ。それでね、お店の人にこう言ったんです。
『30年前はこの店の前を通ることができました。20年前は中へ入ることができました。10年前はようやく中で何かを買うことができました。そして今は、たぶんたいがいのものは買えるでしょう。でも、こうしてウチの息子が創った作品を和光さんに買ってもらえたことが、いちばん嬉しい。』
 この体験があって、僕は初めて『この道でやっていける』と思えたんです。」

 山口さんご夫妻の作品から感じられる「優しさと温かさ」は、こうした体験が原点にあったんですね。

「私の一人旅が、いつの間にか二人旅になりました。そして現在は、今年14歳になる娘の果凛との三人旅が続いています。娘は大阪生まれですが、
わずか2ヶ月半で富良野に移住しましたから、道産子そのもの。『母さん、なまってるべぇ。』と家内の大阪弁に突っ込みを入れるほどです(笑)。」

 御二人の会話の様子からも、楽しさと喜びいっぱいの「三人旅」の様子が伝わってきます。

「大阪に居た時にはあまり意識したことのない鳥の声や風の音、そして車が通る音でさえも、ここではまるで音楽のように聴こえます。その度に、あぁ、大好きな富良野に住んでいるんだなぁ、と心がとても穏やかになるんです。
 手作りには想いが込もります。これからも富良野の自然と共に、温かさの伝わる作品を創っていきたいですね。」

 コンセプトは「スローワーク」という山口さんご夫妻。
 自然界のリズムに合わせたライフスタイルが産み出す作品は、これからも多くの人たちを魅了し続けることでしょう。

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