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【vol.25】お客様訪問|宮城佑次さん・佐伯伸二さん


 「蜂っ子」の愛飲者の輪は、海外にも広がっています。今回のお客様訪問は、ニューヨークで広がる「蜂っ子」ファンの皆様の中から、ブロードウェイ・クラブの宮城佑次(ミヤンジョー)さんと、佐伯伸二さんにお話を伺いました。

「夢と希望に満ちた世界をアピールしていくためにも『若々しさと元気の源』は欠かせません。」

 ニューヨーク市マンハッタンにある劇場街「ブロードウェイ」は、連日プレイやミュージカルが公演される演劇の本場として、世界的に有名な所です。
 このブロードウェイの最新情報を、わかりやすく日本語で伝えるために創刊された情報誌「ブロードウェイ・クラブ」の編集・発行人が宮城佑次さん、アート・ディレクターが佐伯伸二さんです。ニューヨークで出会ってからのお二人の付き合いは、もう20年以上にもなるそうです。

「僕と宮城さんが初めて会ったのは、1984年の大晦日でした。ホテルの部屋の中にいたら、日本では丁度「紅白歌合戦」をやっているくらいの時間に『火事だー!!』っていう声がドアの外から聞こえたんです。気付いたら、ドアの隙間から侵入した煙が部屋に漂っていましたから急いで外に飛び出しました。そこで宮城さんと出会ったんです。」

「あの時は驚きましたよ。まさか旅先のホテルで火事に遭遇するなんて思ってもいなかったですから。でもあの事件がなければ、佐伯さんとの出会いはなかったし、一緒にこうして仕事をすることもなかったと思います。今や、彼のデザイン・センスは『ブロードウェイ・クラブ』にとって欠かせないものになっていますから、縁とは不思議なものだと思います。」

 1984年当時、日本でダンサーとしてテレビや舞台関連の仕事に就いていた宮城さんは、ある強い思いで渡米したそうです。

「当時24歳だった僕は、親に、いつまで遊んでいるんだって言われていて、このままダンスを続けていこうかどうか悩んでいたんです。実のところニューヨーク行きは、自分自身にダンスを諦めさせるための旅行だったんです。観光ビザの滞在可能期限は6ヶ月、しかし学生ビザに切り替えるなどして、実際次に日本へ戻ったのは渡米から5年後でした。

鉄砲玉ですね。日本にいる頃はダンサーとして、テレビや舞台の仕事をしていましたから、本場ニューヨークのエンターテイメントに触れられるだけで、毎日が感動・感激でした。ミュージカルのオーディションを受けたり、ダンス・クラスをとったり、さらにローカル・テレビ局や舞台の制作に携われるようになって、とても充実していました。

ダンスをやめるなんて気持ちはどこかにいってしまいました。あぁ、僕はこの世界が好きなんだなって改めて実感して、ここで生きて行こうと決心し、毎日寝言のように『ブロードウェイ、ブロードウェイ』と繰り返し唱えました。だから、今もこうして、この場所で、好きな仕事が出来ていることに感謝しています。」

 宮城さんが編集・発行するブロードウェイ・クラブで、アート・ディレクターとして活躍する佐伯さんは、当初は観光旅行でニューヨークを訪れたとの事でした。

「僕は徳島の生まれなのですが、子供の頃から絵を習っていて地元の高校卒業後、東京芸術大学の油彩科を受験しました。当時はコマーシャル・アーティストじゃなくてファイン・アーティストになりたかったんです。しかし受験に失敗して、東京で浪人生活中にいろんな人と会って話しをしているうちに、日本でファイン・アーティストとして生活していくには学校の美術の先生でもやりながら絵を描いていくしかない現実を知って、劇団の舞台美術部に見習部員として入社したんです。

中学・高校時代には演劇部に所属して部長を務めていましたし、舞台美術家なら将来的にも食っていけるんじゃないかと考えたわけです。その劇団では美術部員でも一定期間は役者としてのトレーニングを受けるんですが、そこで代表の先生に役者として結構気に入られて舞台に立つようになったんです。

『役者と乞食は三日やったら辞めやれない』っていう言葉がありますが、あれは本当ですね。しかし僕は一流の役者になろうともなれるとも思ってなかったし、なんか自分の目標が違う方向に行っているような気がして怖くなって、結局2年半くらいで劇団を辞めました。その後劇団時代に知り合った作家志望の友人の影響で文章を書きながら、2年間くらいトラックの運転手をやっていました。

トラックの運転手で稼いだお金を貯金して1984年に子供の頃からの憧れの土地であったニューヨークに、知人も特別なあてもなく向かいました。ともかく観光してみてどういう場所か自分の目で確かめてやろうと思ったのです。うまくいけば、ニューヨークの旅行記くらいは書けるんじゃないかというくらいの下心はありましたが。

たまたま行きの飛行機の中で隣に座ったインドの方とウマが合いましてね、石油プラントのエンジニアをしていてニューヨークに拠点をお持ちの方だったのですが、それだけのご縁で1ヶ月ほど滞在させてもらいました(笑)。居候の1ヶ月間は楽しかったですよ。美術館巡りやミュージカルや舞台を思う存分堪能しました。

その間に知り合った日本食レストランのオーナーからグリーン・カードをサポートをしてあげるからマネージャー見習として働く気はないかと誘っていただいたんです。いったん日本に帰って東京のアパートを整理して、トンボ帰りでニューヨークに戻りました。結局その店ではいろいろあって半年足らずで辞めました。

宮城さんと知り合ったのはちょうどその頃です。もともと観光で遊びに来たわけですから日本に帰るかどうするか迷いましたが、徳島や東京で送別会を開いてくれた友人達の顔を思い浮かべると、このままおめおめと日本に帰るわけには行かないような気がして、レストランで知り合ったグラフィック関係の会社の社長にグリーン・カードをサポートして頂くことを条件に営業マン兼版下屋見習で入社しました。」

 佐伯さんは、デザイン会社での企画・製作などの仕事を経て、フリーのグラフィック・デザイナーとして独立。再び、宮城さんと仕事をすることになりました。

「今は宮城さんの所でグラフィック・デザイナーやライターの仕事をしながら、小説を書き始めています。ニューヨークに来てからも、ネタになるようなことがいろいろとありましたからね(笑)。読んでくれる人が少しでも元気になってくれるような小説に仕上げられたらいいな、と思っています。」

 佐伯さんは、ニューヨークで「蜂っ子」が広がるきっかけを作ってくださった木村はる菜さんと、3年ほど前にコンピューターのメンテナンスをしたことがきっかけで知り合い「蜂っ子」のことを知ったそうです。

「生活がずっと不摂生で、実はお酒が大好きなんです(笑)。この仕事は、何といっても身体が資本ですからね。そろそろ身体にいい習慣を始めなくちゃ、と思っていたところだったんです。はる菜さんは、とてもお元気で、肌のツヤもいい。この人が飲んでいるものだったら間違いないだろう、って思いました。今じゃ毎日の『蜂っ子』は欠かせない習慣ですよ。」

 ブロードウェイを知り尽くしたスタッフによる行き届いたサービスが定評の宮城さんの会社のサービスは、テレビ・舞台のプロも含めて、多くのリピーターが利用しています。

 こうしたブロードウェイでの活躍が評価され、1996年、ブロードウェイの約130名のメンバーで構成される
演劇批評家協会賞「ドラマ・デスク賞」の選考メンバーに日本人として初めて選出されました。

「ブロードウェイで『ドラマ・デスク賞』は、『トニー賞』と一線を画す存在として君臨している栄誉ある賞です。ですから、賞の選考メンバーになった時『ドラマ・デスク賞初の日本人メンバー』という見出しが、写真付きで日本の各新聞や雑誌に載るだろうと期待して、髪型や服装をばっちり整えていつでもどうぞって感じでインタビューに備えていたんです。でも、どこも取材に来ない(笑)。残念ながら日本のメディアは、この偉大な賞の存在を知らなかったんですね。これまで定期的な会合に出席して他のメンバーと親交を深めたり、作品の意見交換をしてきました。新作には、プロダクションから『ドラマ・デスク賞』メンバーということで優先的に無料招待してくれますし、選考メンバーとして10年以上籍を置いていますから、人脈が広がり、取材がしやすくなったりといろいろ恩恵はあります。」

「会合や取材など、多くの方々にお会いしますから、自分自身の体調管理は不可欠です。セレブを取材したり、私自信が取材されたりということもありますから特に顔色、肌ツヤには気を遣います。ですから、はる菜さんから『蜂っ子』を紹介された時は『コレだ!』っていう直感がありました。『ブロードウェイ』という、夢と希望に満ちた世界をアピールしていくためにも『若々しさと元気の源』は欠かせません。今年、『年男』なんですけど、内面と外面を若く保つために『ブロードウェイ』と『蜂っ子』はこれから生涯お付き合いしていこうと思います。」

「宮城さんも佐伯さんも、ブロードウェイの第一線でご活躍です。最近まで4年間ニューヨークのテレビ(チャンネル25)で毎週日曜日に放送されていた『サイトチェッカー・ニューヨーク』という番組で、宮城さんはブロードウェイの最新情報をレポートしていました。とても評判が良くて、人気のコーナーだったんですよ。」と木村はる菜さんもお話しされていました。

 世界を代表するエンターテイメントの街、ニューヨーク「ブロードウェイ」でも、こうして「蜂っ子」が喜ばれていることに、ご縁をいただいた皆様に改めて感謝をしたいと思います。

 宮城佑次さん、佐伯伸二さん、木村はる菜さんの、益々のご健康とご活躍を心よりお祈りしています。

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