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【vol.45】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道・富良野市編


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 昨年、ドラマ「北の国から」が放映開始から30周年を迎え、数々の記念イベントが開催された北海道・富良野市。
「氣がつけば 今 五郎の生き方」というイベントの言葉にも表現されているように、田中邦衛さん演じる主人公・黒板五郎の生き方は、現代社会に大きなメッセージを投げかけています。
 今年の「ぶらり旅」は、1年間を通じた特別編として、富良野市の四季と共に、そこに暮らす魅力溢れる人たちを紹介していきたいと思います。

 ドラマ「北の国から」などのロケ地としても知られる北海道富良野市を巡るぶらり旅。三度目の訪問となる今回も、郷土料理の老舗「くまげら」のオーナー・森本毅さんに素敵な友人を紹介していただきました。
「隣町の南富良野町で、カヌーやラフティングなどをしている面白い友人がいるんです。これからの時期だとカーリングや犬ぞりも始まりますよ。」

 富良野市から車で約1時間。人口2800人、面積のおよそ九割が森林という自然豊かな南富良野町は、アウトドアレジャーが盛んな町として、毎年多くの観光客が訪れます。
「どんころ野外学校」は、そんな豊かな自然を活かし、様々なアウトドア活動をおこなっているNPO法人。代表の目黒義重さんが、大好きな山での暮らしに憧れて1986年から山小屋を建て始めたことに端を発しています。

「生まれ育った美幌町は山ばかりで、小学校まで毎日6キロの山道を歩いて通っていました。子供の足だと片道2時間はかかるんですが、自然の遊び道具がたくさんあってとても楽しかったですね。ただ、遊び過ぎて、帰り道の途中でお腹が空いて動けなくなってしまい、心配した親父が馬で迎えにきてくれたことも何度かありました(笑)。私の山好きの原点はこうした幼少時代にあるのかもしれませんね。」

高校時代は山岳部に所属し、社会人になってからも「いつかは山に住みたい、山の仕事がしたい」という想いで、理想の山を探し続けていたという目黒さん。八ヶ岳や南アルプスなどにも出かけましたが、最終的に辿り着いたのは故郷にほど近い大雪山系の麓に在る南富良野町でした。

「やはり子供の頃から慣れ親しんだ北海道であること、そして人の手がほとんど入っていない豊かな自然に魅かれました。
 
さっそくこの土地に山小屋を建てようと、最初は独りでコツコツ作業をしていたのですが、そのうちにバイクで旅行して来る人たちが『何か建ててるぞ』と立ち寄って、手伝ってくれるようになりました。中にはそのまま居着いちゃう人もいましたから(笑)、人手だけは常に10人以上ありましたね。
 ただ、山小屋が出来上がったのはいいけれど、これといった仕事がない。そこで、占冠町の牧場へ出稼ぎに行ったり、私たちの建てた山小屋を見て気に入ってくれた人からのオーダーで、丸太小屋を建てる仕事などをして生計を立てていました。
 最初の10年くらいはそうした仕事をしながら、夏休みや冬休みになるとキャンプ場の運営をしたり、近くを流れる空知川でカヌーのツアーをして収入を得ていました。スタッフは皆、1人で何役もこなしていましたよ。」

 そんなある日、貿易関係の仕事をしていた目黒さんの知人から、「面白いからやってみたら?」と声をかけられたのが、チェコスロバキア製のラフティングでした。

「当時、ラフティングのことを知っている人は日本でほとんどいませんでした。もちろん北海道では誰も知りません。未知の乗り物です(笑)。でも、カヌーに比べて大人数が乗れるし、安定性もいいから家族や仲間連れで楽しめるんです。一度体験した人たちは、どんどんリピーターになってくれました。そのうち、徐々に全国的なブームになったこともあって、牧場や建築の仕事をしなくても専業で生計を立てていけるようになったんです。」

 ゴールデンウィークから10月いっぱいまで楽しめるというラフティング。今では空知川だけで12社が参入し、シーズン中にはますます活況を呈しています。

「どんころ野外学校」の名を一躍全国区にしたのは、2006年冬季トリノオリンピック、2010年冬季バンクーバーオリンピックでカーリング競技女子日本代表選手を2人も誕生させたことでした。
 目黒さんの3女・萌絵さんもその一人。小学校3年生の頃から、ご両親の指導のもとでカーリングに親しんできました。

「冬の間に何か出来ることがないか、と探していたら、アメリカやカナダに長い間住んでいた帯広出身のスタッフが、『冬はカーリングが面白いよ』と勧めてくれたんです。詳しく聞いてみたら、50メートルのアイスリンクを作って、そこに石を滑らす競技だと言うんですね。そこで、さっそく敷地のすぐ横に流れている川から消防用の携帯ポンプで水を引っ張って、ホースでジャージャー撒いて屋外リンクを造りました。スタッフでやってみたら、これがなかなか面白い。娘の萌絵もその頃から学校の友達と一緒に楽しんでいましたね。」

「その当時、私は小学校3年生でした。両親が始めたのを見て、『冬の遊びがまた1つ増えたかな』というくらいの感じでしたが、石が少しずつ思いどおり動かせるようになってくると、だんだん楽しくなって、すぐ夢中になりました。友達も家族総出で楽しんでいましたが、最初は『カーリング』という名前も知らずに遊んでいたと思います。町内会では『漬物石を投げて、ほうきで掃く競技』として、浸透していったようです(笑)。」

 誰でも気軽に楽しめる冬のスポーツとして、愛好者が少しずつ増えてきたことにより、敷地内の手造り屋外リンクは町内の木工場跡地へ移転。町や有志の協力のもと、50メートルのリンクを2コート有する町営カーリング場が誕生しました。
「くまげら」の森本さんも、その当時からの愛好者だそうです。

「ちょうど屋内リンクが出来た頃に、私にも誘いがかかったんですよ。森本さんにちょうどいいスポーツがあるって。よく聞いたら『酒を飲みながらできるスポーツだ』って言うんですね(笑)。もちろん、二つ返事で始めましたよ(笑)。」

 もともと北欧で生まれたカーリングは、寒さを凌ぐためにウィスキーなどを飲んでからだを温めながらおこなっていたとのこと。氷上を掃くブラシには、先端にお酒を入れるためのキャップがついているタイプもあるそうですから、もともとは「お酒を楽しみながらおこなえるスポーツ」だったのかもしれませんね。

「体力的にハードなスポーツではないので、子供からお年寄りまで自分の体力に合わせてできることも魅力です。また『氷上のチェス』とも呼ばれているように、皆で戦略を考えてやる頭脳ゲームのような一面もありますから、小学生のチームが社会人のチームと同じ土俵で戦うことも可能なんです。娘たちにも早くから公式戦に参加させました。」

「知らないうちに、父が公式戦に申し込んでいたんです(笑)。ジュニア部門でも小学校3年生というのは相当若いので、きっと最初は場違いな存在だったと思いますよ(笑)。でも、早いうちから他の地区の選手たちと交流したり、公式戦の雰囲気に慣れたり出来たことは、とてもいい経験になりました。おかげで、大きな大会でも、あまり物怖じすることがありませんでしたから。」

 数々の公式戦で培われた技術と胆力で、中学校3年生の時には世界選手権出場を果たした萌絵さん。ドイツやアメリカという海外の大舞台を経験したこの頃から、少しずつオリンピック出場を意識するようになったと言います。

「本格的にオリンピックを意識し出したのは高校3年生の時ですね。進学もそのことを意識して青森の弘前大学に決めました。また就職も、カーリングを全面的に支援してくれていた青森のみちのく銀行さんが声をかけてくれたおかげで、とても良い環境で練習をおこなうことができました。夏場は残業なしで17時からすぐにトレーニングをさせてもらい、冬場はまとまった練習期間をいただける。本当にありがたかったですね。」

 こうして、2006年冬季トリノオリンピック、2010年冬季バンクーバーオリンピックにカーリング競技女子日本代表選手として出場を果たした萌絵さん。
 オリンピックという舞台で世界の強豪たちと堂々渡り合う姿は、テレビの前に釘付けになって応援していた故郷の南富良野町の人たちはもちろん、すべての日本国民に大きな勇気と感動を与えてくれました。

「こんな貴重な体験をさせてもらえたのは、小さい頃から可愛がってくれた地元の方々や青森の皆さん、テレビの前で応援してくれた全国の皆さんのおかげなんだって心から感謝の想いが湧いてきました。そして何より、いつも温かく見守ってくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいになりました。本当に素晴らしい経験をさせてもらったと思います。」

 2010年6月に現役生活からの引退を表明して、故郷の南富良野町に戻った萌絵さんは、当時のことを振り返って、こう語ってくれました。

「バンクーバーオリンピックが終わってから、4年後に向けてもう一度頑張るかどうかとても悩みました。みちのく銀行さんにはとてもお世話になりましたし、愛着もありましたから、青森を離れる時はまさに後ろ髪を引かれる想いでしたね。でも、ずっとオリンピックばかりを目指してきたカーリング中心の生活から、ちょっと違う環境に身を置いて、もう少し広いところで人生全体を考えてみたくなったんです。
 故郷の南富良野町に戻って、父とよく行った裏山に登った時に、あの頃の楽しかった想い出が次々によみがえってきました。
思えば、あんなに楽しかったカーリングも五輪の結果ばかりを追い求め過ぎて、とても窮屈なものになってしまっていたんですね。
 帰郷して、地元の子供たちにカーリングを教えたり、町の大会運営に携わったりしているうちに、『あ、もしかしたら、本当はこうした暮らしを望んでいたのかな』と思っている自分に気付きました。皆が心から競技を楽しんでいることが、何より嬉しいんです。
 今は、私の経験してきたことを子供たちに教えてあげることで、将来何かの役に立ててもらえたら嬉しいな、と思っています。」

 帰郷から2年が経った今、どんころ野外学校スタッフの方と結婚した萌絵さんは、南富良野町という豊かな自然の中での育児を楽しみながら、カーリングやカヌーの指導など、どんころ野外学校の業務に励む充実した毎日を送っています。

 平成15年にNPO法人となった「どんころ野外学校」は、平成21年から文部科学省が推進する総合型地域スポーツクラブとして、山登りやカヌー、ラフティングなどの従来科目に加え、フラダンスやヨガなどの指導にも取り組みながら、地域の人々の健康を支える大切な役割を担っています。

「スタッフの専門分野が増えて、ますますハードな職場になっています(笑)。萌絵が帰って来て、カーリングの指導や、野外学校の企画、広報などを手伝ってくれていることは、とても心強いですね。
 私たちは現在『みなみふらのSHCクラブゆっく』という総合型スポーツクラブの活動を行っています。これは、スポーツのS、ヘルス(健康)のH、カルチャー(文化)のCという意味で、生涯を通して心身共に健康で暮らせるお手伝いをしていこう、というものです。地元の小中学校では体育の授業の一環として野外体験を組んでくれていますし、町民の皆さんに参加していただけるプログラムもいろいろと企画しています。
 教育やスポーツ、観光など幅広い分野で、私たちがこれまで培ってきたことを活用していけたらいいな、と思いますね。」

 自然の恵み溢れる南富良野町でおこなわれる「どんころ野外学校」さんの活動は、自然と触れ合うことの素晴らしさを通じて、これからも多くの人たちに様々な気付きを与え続けてくれることでしょう。


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