【vol.44】鳴海周平の全国ぶらり旅|北海道・富良野市編
昨年、ドラマ「北の国から」が放映開始から30周年を迎え、数々の記念イベントが開催された北海道・富良野市。
「氣がつけば 今 五郎の生き方」というイベントの言葉にも表現されているように、田中邦衛さん演じる主人公・黒板五郎の生き方は、現代社会に大きなメッセージを投げかけています。
今年の「ぶらり旅」は、1年間を通じた特別編として、富良野市の四季と共に、そこに暮らす魅力溢れる人たちを紹介していきたいと思います。
倉本聰さんのエッセイ「北の人名録」にヨーデル森本として登場する森本毅さんは、創作料理の老舗「くまげら」のオーナー。地元の食材を活かした数々の名物料理を提供し続ける「くまげら」は、地元の方はもちろん、国内外の観光客からも絶大な人気を誇っています。
この日も先ずは「くまげら」で腹ごしらえ。看板メニューの一つである「五郎ホエーカレー」をいただきました。
ドラマ「北の国から」の主人公・黒板五郎さんの名前がついているのは、昨年のドラマ放映30周年を記念して出来たメニューだから。当初は一年間という期間限定の予定だったそうですが、あまりの人気のためレギュラーに加えられたそうです。
「このカレーは水をいっさい使わずに、チーズを作る時に出来るスキムミルクのような『ホエー』という液体を使っているんです。
ホエーは良好なアミノ酸を豊富に含む乳タンパク質。しかも低脂肪ですから、健康や美容に良い食材としても人気なんですよ。」
まろやかでやさしい味のヒミツは「ホエー」だったんですね。どうりで箸(スプーン?)が進むわけです。
「隣の上富良野町に、今日の日本美術界を代表する日本画家・後藤純男先生のアトリエがあります。併設の美術館では素晴らしい作品も見られますよ。」
富良野市街から車で約20分。森本さんにご同行いただき、今年で開館15周年を迎えた上富良野町の後藤純男美術館を訪れました。
「ようこそいらっしゃいました。今日は後藤の作品を思う存分に楽しんで行ってください。」
そう言って素敵な笑顔で迎えてくれたのは館長の行定俊文さん。
開館以来、多くの方々に後藤純男先生の作品の素晴らしさを伝えてこられた美術解説のプロフェッショナルです。
「作品をご覧いただきながら『日本画』の特徴を少しお話しましょう。
日本画の制作には、和紙と岩絵の具が使われます。名前のとおり、鉱石や貝殻、珊瑚などを砕いたものが絵の具になるんですね。金やプラチナ、ラピスラズリ、トルコ石、水晶といった高価な素材も使われていて、同じ色でも砕く時の粒子の細かさによって濃淡を表現します。これらには接着性がありませんから、膠という動物の皮や軟骨などに含まれているタンパク質で溶いて使用するのですが、どの材料もたいへんデリケートなので、使いこなすにはかなりの経験と知識が必要なんです。」
館内には全長14メートルにも及ぶ大作も展示されていて、そのスケールの大きさと、細部にまでこだわって表現された緻密さから、相当の制作日数を要した作品であることが伝わってきます。
「後藤の場合は、常に20点ほどの作品を平行して制作しています。大作になると数年を要する場合もありますね。日本画の岩絵の具は、色を塗って、それが乾いてからまた色を重ねるということを繰り返すので、その乾く時間に他の作品を描いているのです。たいへんな作業だと思いますが、本人に言わせると『それが気分転換になる』のだそうです(笑)。
準備期間を含めると、本当に長い期間をかけて作品に向き合うわけですが、何点もの作品を同時に手がけ、その風景を絵にしたいという想いを持ち続けられる情熱の源泉は何か?と思うのですが、
やはり『絵を描くのが好き』というひと言に尽きるのでしょうね。」
「後藤純男は、1930年に千葉県で代々続く真言宗のお寺の息子として生まれました。父親の跡を継ぐため僧侶としての修行をしていましたが、小さい頃から絵を描くことが大好きだったため、寺にはいつも硯と墨があって、紙を見つければ絵を描いていたそうです。中学校では美術部に所属し、16歳の頃から本格的に絵の勉強を始めますが、時代は終戦直後。なかなか思ったように取り組めなかったのではないでしょうか。東京美術学校(現・東京芸大)には、受験で2度失敗をしています。進学を断念した後藤は、小中学校の教師をしながら、師である田中青坪のもとへ通って日本美術院(院展)への出品を目指し、22歳の時に念願の初入選を果たします。ちょうどこの頃、自分の進むべき道を模索していた後藤でしたが、父の『どうせ苦労するなら好きな道で苦労しろ』というひと言 で意を決し、仏道を捨て、教職も辞して絵の世界に専念することになったのです。」
幼少の頃から真言宗僧としての修行を始め、20代半ばで関西や四国の寺を巡って写生に励んだ時にも、僧侶と共に朝の勤行を続けたという後藤先生。
初期の作品に見られる張りつめたような緊張感は、僧侶の跡継ぎとして歩んできた厳しい道程がそのまま表れているようです。
「小さい時から、寒気に耐える、厳しさに打ち勝つ、という生活が身についていたのでしょうね。後に『絵を描くのにも自分を厳しいもので縛ろうとしていた』と述懐しています。
生まれ故郷である関東圏の田園や村落を描き、自らの精神と共鳴する風景を追い求めて、新潟や大和路、沖縄などへも取材を始めた後藤は、1979年に訪れた中国でその広大な自然に感動し、これまでに味わったことのないような開放感を感じたと言います。さらに1984年、生死に関わる大病を経験したことが一つの大きな転機となりました。
それまでは、修行僧のように自らを厳しく律し、極度の緊張の中で自然を描いてきたのですが、『また命を与えられたのだから、楽しく描いてもいいのではないか』という想いに至り、生きていることへの感謝と歓びが、まるで自然と共鳴しているかのような作品を次々と生み出していったのです。」
日本美術院賞・大観賞、内閣総理大臣賞など数々の名だたる賞を受け、日本美術院の中心的な画家として活躍。1988年からは東京芸術大学の教授として後進の指導にもあたり、1997年には北海道上富良野町に、アトリエが併設された後藤純男美術館を開館しました。
後藤先生にとって、北海道は特別に想いを寄せた地でもあったようです。
「1960年からの10年間、後藤は集中的に北海道を描きました。気候が比較的穏やかな関東平野で生まれ育ったこともあってか、厳冬の北海道は特に後藤の感性を大きく刺激したようです。当時訪れた層雲峡での印象を『厳しい自然によって造られた滝や渓谷を前にしてポツンと一人いる時、人間の小ささ、自分の小ささを強く思い知らされ、自然の偉大さに胸を打たれた』と語っています。
1990年に北海道で開催された個展を機に、道内でアトリエを持ちたいと思った後藤は、十勝岳が一望できるこの場所を見て画家の血が騒いだのでしょう。すぐにアトリエを新築してしまいました(笑)。」
アトリエにつながる2階のレストランから見える十勝岳は本当に素晴らしく、いつまで眺めていても飽きることがありません。
自然の雄大さを間近に感じられる貴重な場所であることがわかります。
「北海道は名だたる日本画家を輩出してきた土地でありながら、日本画を観る機会はあまり多くありません。後藤がここ上富良野町に美術館を開館したのは、画家としての自分を育ててくれた北海道にご恩返しをしたい、という感謝の気持ちがあります。
自然の移り変わりを描きながら、森羅万象に宿る仏性をみつめ、人知を超えたものへの畏怖の念や信仰を形にした作品から、後藤の『祈り』を感じて、心豊かなひと時を楽しんでいただけたら幸いです。」
雄大な自然に心から感動した時のように「このまま何時間でも観ていたい!」と思う後藤純男美術館。
これからも現在進行形の展示館として、心に響く作品を発表し続けていただけることを心より願っております。
くまげらの森本さんからご紹介いただいた、富良野を代表するリゾートホテル・新富良野プリンスホテルさん。
敷地内には倉本ドラマの舞台にもなったいくつもの名所があり、国内外から訪れる人たちを、四季を通じて楽しませてくれています。
今回は「風のガーデン」の庭園と「優しい時間」の舞台となった「森の時計」を紹介します。
風のガーデン ・・・・・・・・・・・・・・
フジテレビ開局50周年を記念して作られたドラマ「風のガーデン」の舞台になったブリティッシュガーデン。
旭川市にある「上野ファーム」の上野砂由紀さんデザインのもと、ドラマ撮影のために2年の歳月をかけて造られました。
主人公の家族が育てたこのガーデンには計365種類の花が咲き、季節を通して美しい風景を楽しむことができます。
森の時計 ・・・・・・・・・・・
「北の国から」以来、倉本聰さんが15年ぶりに書き下ろした連続ドラマ「優しい時間」。
寺尾聰さん演じる主人公の湧井勇吉が営む喫茶店「森の時計」は、物語に登場した柱時計や暖炉、絵画のような大きな窓も、放映当時そのままの姿で営業しています。
喫茶店「森の時計」のスタッフとして活躍されている六条幸乃さん。ドラマ「優しい時間」では、クリスマスソングを歌う合唱団のエキストラとして出演されていました。
神奈川県箱根で生まれ育ち、大学卒業後に倉本聰さん主催の富良野塾へ入塾。
2年間におよぶ富良野での生活は、六条さんに様々な気付きを与えてくれたそうです。
「大学卒業後、ちょうど富良野塾の塾生応募があったんです。富良野のことは、倉本先生のドラマや本で知っていましたし、実際に観光でも何度か訪れていましたから、憧れの地でもありました。お芝居の勉強ができて、農業も体験できる。なんて素敵な環境なんだろう、って思いました。」
富良野塾では、農作業での収穫物が生活費の基本。新しいことにチャレンジすることが大好きな六条さんにとって、すべてのことが新鮮でワクワクの毎日だったようです。
「塾を卒業後は、いったん実家に戻って東京の方でお芝居の仕事をしていたのですが、富良野にニングルテラス(ログハウスの小さな店が建ち並ぶ村)を創る時に倉本先生からお声をかけていただいて、また富良野に戻ってきました(笑)。オープンの準備期間を含めて13年間運営に携わり、ゼロから何かを創りあげていくことの楽しさを経験させてもらいました。当初は倉本先生の構想があるだけで、ホテル側やオーナーさんとの調整、テナントを探すところからのスタートですから、お芝居と同じようにとてもクリエイティブな、やりがいのある仕事でした。」
1年間の準備期間を経てオープンしたニングルテラスは、現在も新富良野プリンスホテルの人気施設としてたくさんの人たちが訪れています。
「森の時計は、昨年12月からの勤務です。やはり、ドラマのイメージを持たれて来店されるお客様が多いですね。特に、大竹しのぶさんの座っていたカウンター席がいちばん人気で、夏場は開店前から並んでくれているお客様もいらっしゃいます。ただ、やはり人気の席ですから、何度もご来店いただいて何年越しかでようやく座れた、というお声もよく聴きます。とても申し訳なく思いますが、そこまで想っていただけるのは本当にありがたいことですね。」
テレビドラマそのままの店内に「わ~、同じだぁ」と感激するお客様も多く、六条さんもイメージに合った接客を心がけているそうです。
「壁にかけてある言葉のとおり、森の時計はゆっくりと時を刻みます。お客様にも、日常の忙しさを忘れて、心からゆっくりと寛いでいただけたら嬉しいですね。」
喫茶店「森の時計」は、テレビドラマそのままに今もゆっくりと時を刻んでいます。