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Vol.237 1月 「養生」の根底にあるもの


「養生」の根底にあるもの

 このコーナーでも何度か紹介したことがある『養生訓』。江戸時代の儒学者・貝原益軒さんが書いたこの本は、なんと300年も読み継がれている超ロングセラーです。
 健幸・長寿を自ら体現した益軒さんの「健幸のコツ」を、あらためて学んでみたいと思います。

わが身は、いただきもの

 「人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つゝしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし」(巻第一の1)

 『養生訓』は全部で8巻。そのうち1巻と2巻には「総論」として、益軒さんが考える「養生とはなにか」ということが書かれています。とくに第1巻の冒頭にあるこの言葉は益軒さんの「養生観」が、とくによくあらわれているところです。
 人の身(生命)は父母からのいただきもので、父母もまたその父母から生命をいただいている。その源を辿っていくと、限りない生命(天地自然の摂理)へとつながる。わが身は、こうした天地自然の摂理から祖先を通じていただいたものであるから、感謝してたいせつに養う(養生する)ことが大事だということでしょう。
 『養生訓』の3巻以降に書かれている具体的な養生法の根底には、益軒さんのこうした考え方が流れているんですね。

「ルーツ」の語源

 自分には、お父さんとお母さんがいて、お父さんとお母さんにも、お父さん(じいちゃん)とお母さん(ばあちゃん)がいて…と数えていくと、七代前のご先祖様は128人存在することがわかります。十代前までさかのぼると、1024人。二十代前までさかのぼると、1048576人。こうなると、もはや誰をどんなふうに呼んだらいいのか状態ですが(笑)宇宙の歴史が始まってから数え切れないほどのご先祖様たちによって、たいせつな「いのちのバトン」が脈々と受け継がれてきたことがわかります。
 その「いのちのバトン」の最先端にいる自分を「地上に咲く花」に例えてみた場合、ご先祖様は「根」に例えることができる、という考え方があります。
 「根」は英語で「r o o t( ルート)」。複数形は「roots(ルーツ)」 つまり「私のルーツは…」というのは、「私の『根(=先祖)』は…」という意味だったんですね。

本当の「親孝行」とは?

 「根」が元氣だと、とてもきれいな「花」が咲き、とても立派な「実」が成ります。
 これは、ご先祖様(根)が喜んでいると、その恩恵は自分にもつながっているということでもあります。
 では、どうしたら、ご先祖様に喜んでもらうことができるのか?
 「根」は、ずーっとつながっているから、いちばん喜んでもらいやすい身近なご先祖様(=親)に喜んでもらったらいいんですね。親が喜んでくれると、そこへつながっているたくさんのご先祖様も、きっと喜んでいるでしょう。
「親が生きているうちに、親孝行ができなかったことを後悔している」と相談してきた人に対して、宇宙の法則などを研究していた小林正観さんはこんな話をしていたそうです。

 「親が生きている間に、親に何かしてあげること「養生」の根底にあるものを親孝行というのではありません。本当の親孝行は、親が亡くなったときから始まります。親があちらの世界に行ってこちらを見たときに、『ほら、見てください。あれが私の娘です。いつも笑顔で、おだやかに楽しく生きているでしょう』とか、『あれが息子です。いつも誠実で、まわりの人に喜ばれているのが私の息子ですよ』と、自慢できるような生き方を、自分がすること。それが、最大の親孝行です。親孝行とは、親に何かをしてあげることではなく、親が自慢できるような生き方を子ども(自分)がすることです。だから、親孝行に手遅れはないのです」
 
 親がこの世にいる人も、あの世にいる人も「自分の人生(身)をたいせつに生きること」が親孝行であり、そこへ連綿とつながっているご先祖様をとおして、限りない生命(天地自然の摂理)へ感謝することにもつながっているように思います。

 
参考
『養生訓』 貝原益軒
『貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意』
             帯津良一著(朝日新聞出版)

『すべては見方次第』 高島 亮 著(扶桑社)

 
 

 

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