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【vol.33】こころとからだの健康タイム|ゲスト あがた森魚 さん


 「赤色エレジー」の大ヒットでも知られるミュージシャンのあがた森魚さん。俳優、映画監督としても活躍し、還暦を迎えた昨年は全国約60箇所をまわってコンサートツアーを行ないました。
 益々活動の幅を広げていらっしゃるあがた森魚さんに「元気と健康のコツ」をお伺いしました。

鳴海周平(以下 鳴海) 「赤色エレジー」の大ヒットなどで皆さんよくご存知のあがた森魚さんは、北海道留萌市のご出身で、小樽や函館にもお住まいになっていたことがあるそうですね。音楽に目覚めたのも北海道だったとお伺いしています。

あがた森魚さん(以下 あがた) 僕は留萌で生まれてから小樽へ移り、その後青森や函館、横浜といった港町を転々として過ごしました。父が海運局に勤めていたため転勤で移動していたんです。海運局という堅い仕事の父親だったから、僕はこんなやわらかい仕事に就いたのかもしれません。(笑)
 音楽の面白さに目覚めたのも函館ラ・サール高校に通っていた時ですから、北海道とは本当に縁が深いんだな、って思いますね。

鳴海 ミュージシャン、俳優、映画監督など、本当に幅広い分野でご活躍のあがたさんですが、幼少時代はどんなお子さんだったんでしょうか?

あがた どちらかというとあまり目立たない、いつもボーっとしていた感じの子供だったようです。特に高校に入ってからはいつも音楽のことしか頭にないような状態でしたから、さらに輪をかけたようにボーっとしていたんじゃないかな。(笑)おとなしい子供だったと思いますよ。
鳴海 感性が育まれる幼少時代に、様々な港町での生活を体験してこられたことが、あがたさんの作品に大きな影響を与えているのかもしれませんね。

あがた そうですね。特に中学・高校という思春期を、函館という情緒豊かな港町で過ごせたことは大きいと思います。ギターを初めて持ったのも、曲を初めて作ったのも函館ですから。当時はまだ髪を伸ばしたり、ギターを持っていたりするだけで「わー、不良だ!!」とか「ビートルズ!ビートルズ!」とか言って騒がれていた時代でしたが(笑)、なにか夢のある時代でしたよね。

デビュー曲「赤色エレジー」

あがた 僕がもっとも影響を受けた音楽はボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」です。こんな音楽を一緒に出来るような仲間を探して上京した、と言ってもいいかもしれません。でもいざ東京へ出てみると、どこに行って何をしたらいいのか、どこの門を叩けばいいのかがさっぱりわからない。しばらくストリートで歌ってみたけれども、投げ銭をしてくれる人はいても肝心のスカウトはまったく来ない。(笑)ちょっと途方に暮れかけていたそんな時に、岐阜県で「中津川フォークシャンボリー」が開催されるということを聞いたんです。そしてそのサブステージで1曲歌わせてもらうことが出来る、というんですね。僕は出来たばかりの曲を引っさげて会場へ乗り込みました。

鳴海 日本のフォーク史上最大のイベントといわれる「中津川フォークシャンボリー」で、そういった機会があったというのは驚きです。そのステージで披露されたのが「赤色エレジー」だったんですね。

あがた この曲は林静一さんが書いた漫画に、僕が勝手に感動して主題歌を作ってしまったのですが、直感的に閃いてパーッと作ってしまった曲なんです。読んで感動した気持ちをそのまま表現したので、メインフレーズなんかは本当に一瞬で書き上げた感じです。何かが降りてきた、という表現がぴったりかもしれないな。とにかくストレートに、登場人物の幸子と一郎にエールを送ったわけですよ。そうしたら、その会場にいた三浦光紀さんという音楽ディレクターが「よかったら一緒にやりませんか?」って声をかけてくれたんです。この方は、はっぴいえんどや矢野顕子といった面々を発掘した敏腕ディレクターでした。
鳴海 そして大ヒットにつながったわけですね。それにしても「赤色エレジー」がそんなふうに直感的に作られていたというのは、とても興味深く思います。「何かが降りてきた」という表現は、とても自然な感じがしますね。

あがた 楽曲の作られ方っていろいろあると思うんですよ。最初から原稿を用意して、テーマに沿った詩を考えてから曲をつけよう、というスタイルもないわけではないと思うのですが、いちばん自然なのは、パーッとメロディが出てきた時に、自分の中にある世界とか光景とかが導かれるように言葉となり、自然にメロディにのっていく、という感じでしょうか。後で聴き返してみても、そうやって出来た曲はとても自然な感じがするんです。

鳴海 あがたさんの作品から感じる「優しさ」や「温かさ」は、そういった自然なスタイルを尊重しているところからきているのかもしれませんね。

聖書のことば
「はじめに言葉ありき」

鳴海 あがたさんは音楽の他にも、俳優や映画監督としても活躍していらっしゃるわけですが、どの分野においても「大正ロマン」的で、いつもどこかを旅しているような雰囲気を感じます。これが「あがた流」なのでしょうか?

あがた ありがとうございます。僕がイメージしているものとピッタリの感想をいただけて、とても嬉しく思います。(笑)
 歌手を目指して上京するまでは、港町ばかりで暮らしていましたからね。小樽や函館、横浜などの港町は比較的早くから欧米文化が開化されていたので、そうしたイメージがどことなく「大正ロマン」への憧れにつながっているのでしょう。また長く同じ場所に住んだ体験がないので「定住」よりは「移住」、つまり「いつも旅をしているような生活」というのが僕の自然なスタイルなんです。作品から僕のそうしたイメージを感じていただけるとは、鳴海さんもなかなかやりますねぇ。(笑)

鳴海 (笑)どうもありがとうございます。私も港町で生まれ育って、あちらこちら旅をしていましたので、あがたさんとは感性が似ているのかもしれません。
 ところで、あがたさんはインタビュー記事の中で「肩書きを一つだけ選ぶとしたら『歌い手』だろう」と仰っていますが、いろいろな分野で活躍なさっている中でも「歌い手」という肩書きを選んだのは何か理由があるのですか?

あがた 僕にとっては「歌い手」も「俳優」も「映画監督」も、自分の中にある世界を表現するということにおいては同じなんです。
 聖書に「初めに言葉ありき」という一節がありますが、自分の中にある何かを表現するために、まず言葉にしてみるんですね。その言葉に曲をつけると歌になるし、シナリオにすれば映画になる。文字にしたら本にもなるわけです。中でも僕にいちばんしっくりくるというか、やってていちばん楽しいのが「歌い手」。だから「肩書きは?」って聞かれると迷わず「歌い手です。」となるわけですよ。

鳴海 表現によっては歌になり、映画になり、本にもなる。言葉というのは本当に面白いですよね。
 水の結晶写真で知られる江本勝さんは「大自然が発するいろいろな振動、音を聞き分けることで、それらを真似し、仲間に伝えていくことによって言葉が生まれた」と仰っています。小川が流れる音からは優しい言葉、危険な動物の鳴き声からは危険を知らせる言葉、といった感じですね。江本さんは「こうして自然の気配や波動を感じ取って出来たものが言葉であるならば、その言葉を発することで、そうした気配や波動が再現出来るのではないか。」とも述べています。昔から「言霊(ことだま)」と言われてきたのも、言葉の力の大きさを表しているのかもしれません。
 あがたさんの曲から感じるどこか懐かしい温かさは、きっとあがたさんの世界にあるものがそのまま優しい言葉となって表現されているからなのでしょうね。

与えることが、与えられること

鳴海 あがたさんは昨年還暦を迎えられたことを記念して、全国をキャンピングカーで移動しながら行うツアーコンサートを60箇所で開催されたそうですね。
 ほぼ連日の移動とコンサート、というたいへんハードなスケジュールだったようですが、その「元気のコツ」は何でしょうか?

あがた 基本的には「楽しいと疲れない」ですよね。僕はとにかく「歌うこと」が楽しくてしょうがないんです。僕が楽しんで歌っているのを、楽しんで観てくれる人がいる。その人もまた楽しくて元気になる。
 団塊世代の方々は、無理して頑張っちゃう人が多いんです。だから健康のためには、先ず「自分が楽しめることを見つける」という意識が大切なんじゃないでしょうか。そしてそのための時間を確保する。けっして強制されたり束縛されたりしないで、自発的に楽しめることがいいですよね。あくまでもマイペースに、自分を楽しませてあげる。その「楽しい」という雰囲気が、周りにいる人にも伝わって、その楽しさを共有出来る。そして自分にもまた「楽しさ」が還ってくる。「楽しいと疲れない」わけですから、いつも元気でいられるんです。
 僕は「エネルギーは与えなければ貰えないもの」だと思うんです。でも「エネルギーは欲しいけど、あげるのは絶対イヤ!!」(笑)という人、けっこう多いんですよ。歌い手さんがわりかし元気なのは、歌うことでエネルギーを分け与えているからじゃないでしょうか。その歌を聞いた人の喜びが自分に還ってくるから元気でいられる。「与えることが、与えられること」というエネルギーの法則みたいなものがあるように思いますね。

鳴海 自然界においても植物が子孫を残していくためには、先ず動物に自らの果実を提供して種を運んで貰いますね。また健康法のひとつである「呼吸法」も、息を吐く方が先で、吸うことよりも重きをおいています。先に自分から差し出してあげる、というのが自然の摂理に適っていることなのでしょうね。
「与えることが、与えられること」。今日はあがたさんから、たくさんの貴重なお話を伺うことが出来ました。
 お忙しい中、どうもありがとうございました。

あがた森魚・プロフィール

1948年北海道留萌市生まれ。
1972年「赤色エレジー」にてデビュー。
20世紀の大衆文化を彷彿とさせる幻想的で架空感に満ちた作品世界を音楽、映画を中心に展開。
映画監督作品に
「僕は天使ぢゃないよ(1974年)」
「オートバイ少女(1994年)」
「港のロキシー(1999年)」がある。
2007年からは月刊日記映画を毎月製作、上映会も行っている。
2008年には還暦を記念して「惑星漂流60周年」と銘打ち全国60箇所あまりでコンサートを行った。
2009年、そのツアーと2月の記念イベントを合わせたドキュメンタリー映画が秋に公開予定。

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