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【vol.31】お客様訪問|福岡県大野城市・松尾 美知江 さん


 今から1300年ほど前。九州を治める役所であった大宰府を護るためにつくられた大野城。須恵器の里としても知られる歴史の街・大野城市に、お客様をお訪ねしました。

「ご縁のあった方々に、何らかの形でお役に立つことが出来たら、これほど嬉しいことはありません。」

 現在大野城市にお住まいの松尾美知江さんは、福岡の繁華街である川端で履き物店を営んでいたご両親のもとに生まれ育ちました。

「物心がついた時は、既に戦争真っ只中でした。川端は街中でしたが、ちょっと離れると山と田園が広がっていましたから、子供の頃は毎日真っ黒になって遊んでいましたね。祖父母も商売をしていましたから、家事も仕事の手伝いも、小さい頃から当たり前のようにやっていました。」

 ご両親が結婚されてから20年目に生まれた待望の子供。しかも一人っ子ということで、両親の寵愛を一手に受けて育てられたという松尾さんは、福岡県立中央高校から洋裁の専門学校である香蘭女子学院へと進学しました。

「映画が大好きで、雨の日も風の日も通いました。学校の帰りに直行することもあれば、授業の途中でちょっと失敬することもあったかもしれません。(笑)学校の先生も『黙って行け。隠れて行けよ。』と小声で耳打ちしたりして。(笑)のんびりした時代だったんですね。」

 その後中学校の教師をしていたご主人と結婚。3人のお子さんに恵まれました。昭和50年には、夫婦でそば店を開業。幼少の頃から商売をしている家庭で育ったため、脱サラをしたご主人よりも商売を要領良くこなされていたようです。

「忙しい毎日でしたね。休みは、ほとんどとった記憶がありません。子供たちの運動会にも行けなかったし、高校時代にいくらお小遣いをあげていたかもわかりません。(笑)でも反抗期の記憶がまったくないんですよ。父母が同居してくれていた事も大きかったでしょうし、一生懸命働く背中を見て育ってくれたんだと思います。ありがたい事ですね。」

 お子さんも独立した平成6年、お店の経営にもひと息つこうとしていた矢先、ご主人が脳梗塞で倒れてしまうという出来事に見舞われました。

「約10年間、自宅で介護をしました。一緒に暮らしている娘も協力してくれて、毎週末には車椅子でショッピングセンターに出掛けるんですが、その時の主人の嬉しそうな顔といったら、こちらまで楽しくなってしまうくらい。本当にいい顔をしていましたよ。主人は平成17年に他界しましたが、介護中は健康のためにいろいろなことを勉強させてもらいました。中でも私自身が効果を実感出来た『玄米菜食』と『自彊術(じきょうじゅつ)』は、今でも続けています。お陰で、ここ数年はお医者さんの世話になったことがありません。」

 お店を閉められてから始めたという「咲織(裂織)」や「ちぎり絵」などの趣味は、やっているその時が楽しいとのこと。ご自宅にはこうした趣味の仲間や、昔からの友人がいつも遊びにいらっしゃっているそうです。

「ナルミさんの『ダッタンそば茶』が大評判なんです。遊びに来る人たち皆が『ダッタンそば茶』をリクエストするんですよ。(笑)また部屋のあちこちにはナルミさんの竹炭を置いているので、皆さんからよく『松尾さんの家は空気が澄んでいるよね。』って言われます。お風呂には、竹酢液を入れると身体の温まり方が違いますね。我が家のあちらこちらでナルミさんが活躍しています。(笑)

両親、主人、そして子供たち。振り返ってみると私はいつもたくさんの愛情をいただいてきました。そのお陰でしょうか。特に最近は、布団の中で目覚める時も、食事の時も、お風呂に入っている時も、一瞬一瞬がとてもありがたく思えるんです。ご縁のあった方々に、何らかの形でお役に立つことが出来たら、これほど嬉しいことはありません。」

 様々な体験を重ねてきた松尾さんの「自分の主治医は自分」というお言葉に、何より大切な「健康の秘訣」を教えていただいたように思いました。

 スタッフ一同、益々のご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げております。

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