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Vol.208 8月 「身代わり」という考え方


「身代わり」という考え方

 何ごとも、考え方次第でずいぶん楽になるものです。

茶碗を割ってしまったときは…

 子供のころ、何度か誤って茶碗を割ってしまったことがありました。
 一緒に暮らしていたひいばあちゃん(母の母の母)は、その都度、

「あらまぁ、ケガはないかい?きっと、身代わりになってくれたんだねぇ…ありがたい、ありがたい」

と、割れてしまった茶碗に手を合わせていました。
 おかげで、茶碗を割っても反省をしない大人へとスクスク育ってしまいましたが(笑)いま思い返しても、本当にありがたい環境で育ててもらったんだなーと思います。

他人が羨ましく思えたときは…

 さて、この「身代わり」という考え方、少し観点を変えてみると、様々な場面で活用できます。
 落語家の立川談慶さんは、健康情報誌『月刊DAY』の中で落語『不動坊』に出てくる吉公のセリフを紹介しています。

(不動坊という芸人が、美人で評判の妻である「お滝さん」を伴って、長屋に住み始めます。
お滝さんに、すっかり惚れてしまった吉公は四六時中、お滝さんのことを思い始めますが、お滝さんは人妻…)

「これではだめだと思いまして、こう思うようにしたんですよ。お滝さんは本当はあっしの女房、あっしの女なんですが、今あっしが忙しいんで、不動坊のバカに貸してやっているんだって。以来、お滝さんはあっしの女房なんですよ」

 この「身代わり」観、なんか、いいでしょ?(笑)
 吉公のように考えられると、不平や不満、嫉妬という感情が少しずつ和らいでいきます。

 例えば、立派な家を見て、

「あの家、ホントは私の家だけど、今、忙しいから貸しているのよ。掃除は、きちんとしておいてね」

 とか、
 高級車に乗っている人を見て、

「この車、ホントは俺の車だけど、乗る暇がなくて、貸してるんだ。その間、大切に扱ってくれよな」

 とか、
 豪勢な食事をしている人を見て、

「あれ、ホントは私のなんだけど、ダイエットのためにあげたのよ。食べ過ぎないように注意してね」
 …という感じで。

 こんなふうに考えられると、物事を客観的にみられるようになって、氣持ちにも「ゆとり」が出てきます。
 ゆとりが出てくると、こころもからだもゆるんで、他人の環境には、だんだんと興味がなくなってくるでしょう。

 私たちには、先天的に「誰かに喜んでもらえると嬉しい」という本能が備わっていて、ゆるんでいると、この本能にも氣づきやすくなります。
「本能」に氣づくと、「嫉妬」という感情もまた、人生を彩るスパイスのように思えるかもしれませんね。

 
 

参考
アメブロ 鳴海周平の「こころとからだの健幸タイム」

 

 

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