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【vol.51】こころとからだの健幸タイム|ゲスト 合田 道人 さん~前編~


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 音楽事務所、芸能プロダクション代表として数々の音楽番組を構成、プロデュースしている合田道人さん。『案外、知らずに歌ってた童謡の謎』シリーズが累計60万部を超えるベストセラーを記録、一昨年に出版された『全然、知らずにお参りしてた 神社の謎』シリーズも増刷を重ねるなど、作家としても活躍している合田さんに、心身ともに健幸で生きる秘訣を伺いました。
 

鳴海周平(以下 鳴海)
 道人さんとのご縁は、Facebookをとおして、私と同姓同名の鳴海周平さんがつないでくれたんですよね。

合田道人さん(以下 合田)
 あのときは、おもしろかったねぇ。ウチのピアニストの鳴海周平にFacebookのタグ付けをしたつもりが、なぜかあなたについちゃった。それで「たぶん、同姓同名の鳴海周平さんだと思いますよ」って、連絡をいただいたのがご縁。
 ふつうはそれで「あ、そうでしたか。それは失礼」って終わっちゃうと思うんだけど、たった1回メッセージのやり取りをしただけで、同じ北海道出身だとわかり、さらに高校の後輩だときたもんだ。

鳴海 道人さんのご実家と、自分がいま住んでいるところもご近所さん。趣味で神社まわりをしているという、ちょっとアヤシげなあたりも共通点でした(笑)。

合田 「目に見えない世界」のことも、共通の話題だよね。周平君は、高校生のときからヒーラーをしていたんでしょう?

鳴海 はい、17歳から20歳までヒーリング関係の仕事をしていました。癒しのエネルギーを扱うことは、まさに「目に見えない世界」なので、道人さんが神社をまわって感じる「氣」の話もとてもよくわかります。

高校生で歌手デビュー

鳴海 道人さんは、渡辺プロダクションから「第2の松山千春」として歌手デビュー。地元・北海道でラジオのDJ(ディスクジョッキー)もしていたんですよね。女子高生が、バス停に現れるかもしれない道人さんを、毎朝団体で待っていた、という逸話も聴いています。

合田 そんなこともあったなぁ。朝はバス停がそんな状態だから、タクシーで高校に通ってましたよ(笑)。 デビューの日に『8時だョ!全員集合』に出演させてもらったんだけど、そのときにマネージャーが「たった1分半しか歌えないんだから、その間にいかにインパクトを与えられるかが大事だ。オレだったら、北海道のスズランを口にくわえて画面を睨むね」とか言うもんだから、本当にそのとおりやってみたんだよね。たしかにインパクトはあったんだけど、「スズランには毒があります」っていう投書が凄かったみたい(笑)。

鳴海 当時の『8時だョ!全員集合』は視聴率30%を超える番組でしたから、反響も凄かったでしょう。
 デビュー曲の『釧路にて』は、ヒットチャートの上位にランキング。とくに地元の北海道ではクリスタル・キングやオフコースと1位を競っていましたから、順風満帆な滑り出しですね。

合田 そんな感じだったから、大学には行かなくてもいいかなと思ってた。でも父親は、歌手を続けるなら2つの条件があるって言うわけ。1つは「自分で作詞作曲をすること」もう1つは「大学に行くこと」。それでしばらく学業優先でやってたんだけど、その間は新しい曲を出せないし、あとからデビューした人たちも売れだしてくるから、だんだん目立たなくなってしまったんだよね。それで、先のことを考えたときに何となく思うところがあって、大学3年生で渡辺プロダクションを辞めて独立するんです。
 それまで歌でまわっていた先へ直接営業に行くと、事務所を通さないからギャラもいい(笑)。いずれは東京で、って思っていたから、すべて上京資金として貯め込んだけど。

鳴海 「自分で作詞作曲をすること」も条件だったとは、さすがノンフィクション作家として長年活躍している合田一道さん。道人さんがさまざまな分野で多才さを発揮しているのは、御父様からの影響も大きいように思います。

合田  父親は、新聞社に務めていたころから連載したものなどを出版していて、今年100冊目の本が出版されたんだ、って言ってましたね。僕のライフワークの1つとして本を書くことがあるのは、少なからず影響があるのかもしれないなぁ。

東京で音楽事務所を起ち上げ

合田 上京してからしばらくは、池袋や銀座のクラブでピアノを弾いたり、教材の訪問販売をしたり。どれもそれなりによかったんだけど、ふと「あれ、東京へ何をしに来たんだっけ?」って思ったんだよね。そして「やっぱり、音楽の仕事がしたい」って。 そんなときに、付き合いのあった社長さんが作曲の仕事を紹介してくれて、そのことをきっかけに新人演歌歌手のプロデュースを手がけたり、歌謡教室を運営したり、歌番組の司会を仰せつかったり、とだんだんいまの仕事のモトができていったんです。

鳴海 道人さんが構成を手がける歌番組には、雪村いづみさんやペギー葉山さん、菅原洋一さん、倍賞千恵子さんといった大物がたくさん出演していますが、こうした方々との信頼関係は、一朝一夕に築けるものではありませんよね。

合田 東京で音楽業界の裏方としても経験を重ねていくうちに、日本の歌謡曲や「紅白歌合戦」などに関する情報がたくさん入ってくるようになったんだけど、もともと関心のあることだったので、氣づけばその分野の本も何冊か出すくらいになっちゃってて…。テレビ番組や新聞記事でも、掲載前に「これで間違いないですか?」って確認にくる。「まったく、懐メロ104じゃないんだから」(笑)と思いながらも、そのことが少しずつ信用につながっていったんじゃないかな。
 それと、自分が一歌手だったら、淡谷のり子さんや藤山一郎さんと同じ目線で話すことはできないだろうけど、構成作家や、斡旋のプロダクションだったら、そうじゃないんだよね。
「一緒に素晴らしい舞台を作り上げていこう」っていう同志になる。
 そんな立場で仕事がしたいなぁ、って想っていたことが形になったという感じかな。

鳴海 そう言えば、マネージャーさんが「道人さんは『こうなったらいいなぁ』と想うことを、どんどん形にしていく人だ」と言っていました。
 テレビ番組『徹子の部屋』にも「出たいなぁ」と言って、本当に出ちゃったと(笑)。

合田 周りの人も、まさか本当に出演できるとは思ってなかったみたい。
 僕の場合、あまり一生懸命に「絶対にこうしたい」とかは思わずに、何となく「こうなったらいいな、楽しいだろうな」くらいにイメージするんです。すると、たいていはいつの間にか叶ってる。
『徹子の部屋』に出演するきっかけになった『案外、知らずに歌ってた 童謡の謎』という本も「40歳までに本を出せたらいいな」と想っていたのが、ひょんなことから出版につながったんだよね

案外、知らずに歌ってた童謡の謎

合田 いまから15年くらい前、小学生だった長女が「パパ、『ずいずいずっころばし』って、どんな橋?」って訊いてきたのね。「ここはひとつ、パパの株を上げておこう」なんて思って、『ずいずいずっころばし』の歌詞を読み返してみたんだけど、これがさっぱり意味わかんない(笑)。調べてみても、そんな橋はないし…。
 わらべ歌というのは、作者不明の歌。明治時代以降は、ほとんど作者がわかってるから、それより前の古い歌ということになるんだけど、当時はいまほど言論の自由がなかったから、歌詞の中にいろいろな意味を含ませていたんじゃないかな。
 そういう視点でみると、『ずいずいずっころばし』って、けっこう意味深な歌だってことがわかるんです。

ずい…北総地域で穫れる「ずいき」(サトイモの茎)
ごまみそずい…ずいきの胡麻味噌和え=胡麻味噌酸い
茶壺…お茶壺道中(京都の宇治から徳川幕府まで新茶を届ける行列)

「お茶壺道中」はとても権威があって、1年に1回の行列が通る日には、どんな落ち度も許されなかった。朝ご飯を炊く煙でさえご法度だったから、通り道に住む人たちはお腹を空かせて「胡麻味噌ずい」を食べていたんじゃないか…。
「茶壺」に追われるようにして「とっぴんしゃん」と戸を閉め、ひたすら行列が通り過ぎるのを待つ。で、「あけたらどんどこしょ」なんだね。
 行列はとにかく怖いわけだから、「俵のねずみが米食ってチュウ」と鳴いても「おっ父さん(集落の長や役人)がよんでも、おっ母さんがよんでも、聞きっこなしよ」なわけ。「井戸の周りで、お茶碗かいたの」は「井戸端の茶碗を欠く」で、非常に危なっかしい様子、危ないものの例え…。こう解釈していくと、じつにぴったりくる。

鳴海 ホント、案外、知らずに歌ってました…。

合田 ところが、この歌。もう1つ、とても艶っぽい解釈もあるんです。

ずい…素早い
ずっころばし…転ぶ=遊郭などで女性と男性が関係を持つこと
ごまみそ…ごまかし・嘘をおこなう

「茶壺」は女陰の隠語だというし、「ずいき」は男根に巻き付けていたなんていう説もある。となると、茶壺にとっぴんしゃんと締め付けられて、抜けたらどんどこしょ、って、男性が果てて、事が済んだとみるしかないでしょ?(笑)
『ずいずいずっころばし』の遊び方って、何人かで円陣を組んで、片手に指が入るくらいの小さな輪をつくるでしょう。そこへ人差し指を出し入れする仕草は、まさにそういうこととも言えちゃうじゃない。

鳴海 娘さんに質問されたときに答えられなくてよかったですねぇ(笑)。

合田 いまでも答えらんないよ(笑)。

かごめかごめ

合田  童謡には、いろいろな意味が隠されていると思うんだけど、中でも『かごめかごめ』の解釈はかなり神秘的。
「かごめ」は籠目。竹で編んだ籠の目は、自然に六芒星になるんだけど、この形は古代人にとって神からの授けものとされていた。
つまり、籠目は神に通じる神聖な器だったと考えられるわけ。「うしろの正面」の人物を当てるのも、テレパシーとか、直感を使うことだったり、伊勢神宮の奥宮ともいわれる伊雑宮の御紋や、伊勢神宮の周辺にある石灯籠に刻まれているのが「かごめ紋」だったりすることも、この歌がもともと神事に関係していたことを示しているんじゃないか、とも解釈できる。

鳴海 私たちの大好きな分野ですね(笑)。
「かごめ」はヘブライ語で「囲むのは誰?」という意味になる、というのも聞いたことがあります。
 古代の日本とユダヤの関係性が、神事に何らかの影響を与えている可能性を示すものかもしれませんね。

合田 その可能性は、十分あると思う。六芒星は、もともとユダヤと関係が深いとされているしね。

鳴海 「夜明けの晩に、鶴と亀が統べった」というところも興味深いですね。
「夜明け」は世明けで、それは「鶴と亀がすべる(統べる)」ことで成されるのかもしれない・・・。

合田 童謡って、本当に面白いでしょう。
『七つの子』や『しゃぼん玉』『ちょうちょ』『故郷』などにも、隠されたストーリーがあって、読み解いていくと、その当時の日本がありありとイメージできるんです。

鳴海 子々孫々に伝え残したい日本の文化ですね。

 次号の後編では、合田道人さんのもう1つの代表作『全然、知らずにお参りしてた 神社の謎』シリーズを中心にお話を伺います。
 どうぞお楽しみに。

 

合田 道人 プロフィール

 1961年北海道釧路市生まれ。
(社)日本歌手協会理事、(社)日本音楽著作権協会(JASRAC)正会員。
1979年高校在学中に渡辺プロダクションからシンガーソングライターとしてデビュー。翌年、数々の新人賞を受賞する。
その後、音楽番組の構成から歌手、作家、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJなど多方面で活躍。童謡の持つ意味をひも解きながら伝える『合田道人 童謡なぞなぞコンサート』も全国で大好評を博している。
著書に『案外、知らずに歌ってた 童謡の謎』シリーズ(祥伝社)『怪物番組 紅白歌合戦の真実』(幻冬舎)『全然、知らずにお参りしてた 神社の謎』シリーズ』(祥伝社)など多数。
 

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